QUEEN
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QUEEN (クイーン) プロフィール

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QUEEN

'60年代イギリスが生んだ国民的ヒーローをビートルズとするなら、'70年代はまさしくこのクイーンが、イギリスが生んだ国民的英雄といえるだろう。そしてこの言葉に加えて言うならば、’70年代のロックを代表するまでに音楽的に高度な達成を為した偉大なるバンドであるのは当然のこと、現在でも最もファンに愛され続けるバンド、という形容が似合う際立った存在であるということだろうか。

クイーンは、ブライアン・メイ(g.vo./1947年7月19日生)とロジャー・テイラー(ds.per.vo./1949年7月26日生)が在籍したグループ、スマイルを母体に結成された。1970年にスマイルが自然消滅した直後、二人はロジャーのかつての仕事仲間であったフレディ・マーキュリー(vo.key./1946年9月5日生)を迎え、更に'71年2月に行ったオーディションでジョン・ディーコン(b./1951年8月19日生)が加入した時点で、クイーンを名乗り活動するようになった。フレディのアイディアによると言われるフランス貴族風のイメージを打ち出した彼らは、ライヴ活動を始め、にわかに評判を集めるようになった。そうこうするうちに彼らはプロデューサーのジョン・アンソニーにすぐさま認められ、彼の仲介によってトライデント・オーディオ・プロダクションと契約。そこでジョン・アンソニーと当時若手プロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーの二人の立会いのもとデモ・テープを録音。そのテープはEMIレコードに気に入られ、クイーンは念願のプロ契約を果たした。1973年初めにシングル"炎のロックン・ロール(Keep Yourself Alive)"でデビュー。6月には1stアルバム『戦慄の王女』(Queen)を発表し、遂に世間にその全貌を現した。

フレディのオペラの影響も感じさせる個性の塊のようなヴォーカル、ヴァイオリンの音色をも思わせるブライアンのギター、そしてその華麗なキャラクター・イメージと、斬新で独創性に富んだクイーンの出現はかなりショッキングなもので、当時のイギリスでは賛否両論の意見も出たため、デビュー直後から本国で大成功、というほどには及ばなかった。よく知られているように、クイーンを当初から評価していたのはむしろこの日本のファンだったかもしれない(多分にアイドル性がウケたという面もあるが)。それでも1974年に『クイーンII』 (Queen II) (全英5位)、同年11月に 『シアー・ハート・アタック』(Sheer Heart Attack)(全英2位)といった作品を発表していくにつれ、イギリス本国でのクイーン人気は急上昇。特に 『シアー・ハート・アタック』(Sheer Heart Attack) からのシングル "キラー・クイーン(Killer Queen)"が全英2位にランクされる大ヒットとなったことで、名実ともにトップ・クラスのグループとしての地位を得ることになったと言えるだろう。

さらにクイーンの人気にとっての決定打となったのは1975年11月の4thアルバム 『オペラ座の夜』(A Night At The Opera) (全英1位/全米4位)と時を同じくしてリリースされたシングル ”ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) ”の至上空前の大ヒットによってだった。”ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) ”は、シングルでありながら過去にはなかった6分に及ぶ大作で、アカペラによるオペラ風の中間部を挟んだ3部構成という画期的な曲だった。同曲のランキングは全英で9週連続ナンバー・ワン、全米でも初の大ヒットとなり、続く”マイ・ベスト・フレンド(You're My Best Friend)”(全英7位)や”サムバディ・トゥ・ラヴ(Somebody To Love)” (全英2位)も立て続けにヒットを記録したクイーンは一気に世界のトップ・バンドの座に就いた。この出来事と前後して彼らは初の来日も果している。

”ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) ”の大ヒットと『オペラ座の夜』(A Night At The Opera) で一挙に巨大な人気を誇るスーパー・ロック・バンドとなったクイーン。1976年には5thアルバム 『華麗なるレース』 (A Day At The Race)を発表(全米1位/全米5位)。また再来日がこの頃。1977年に 『世界に捧ぐ』(News Of The World) 、1978年に 『ジャズ』(Jazz)(全英2位/全米6位)を発表するとともに、シングル"伝説のチャンピオン(We Are The Champions)" (全英2位)、 "バイシクル・レース(Bicycle Race)" (全英11位)、 ”ドント・ストップ・ミー・ナウ(Don't Stop Me Now)” (全英9位)というヒットも放った。またこの頃にはライヴも活発で、総重量75トン以上という大規模な機材を駆使したステージを繰り広げた。1979年にはそうしたライヴ音源をパッケージしたライヴ作 ライヴ・キラーズ(Live Killers)(全英3位)発表し、3度目の来日をこの頃果たした。

1970年代を絶好調なペースで駆け抜けたクイーンは、1980年代に入ると新たな音楽アプローチを見せるようになった。1980年発表の9thアルバム 『ザ・ゲーム』(The Game)(英米1位)からは"愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)" (全英2位/全米1位)、 "地獄へ道づれ(Another One Bites The Dust)" (全英7位/全米1位)というヒットが生まれたが、ソウル・チャートの上位にもランクされた"地獄へ道づれ(Another One Bites The Dust)" が象徴的に示すように、さまざまな音楽要素を取り込んだそのスタイルは、それまで以上にバラエティーに富んだクイーンの楽曲というイメージを感じさせた。同年には映画 『フラッシュ・ゴードン』のサウンドトラック(Flash Gordon)(全英10位)を担当。また翌1981年には『グレイテスト・ヒッツ』(Greatest Hits)の発表とともに、デヴィッド・ボウイとのデュエットによるシングル”アンダー・プレッシャー(Under Pressure)”(全英11位)を制作し、ロジャー・テイラーが初のソロ・アルバム 『ファン・イン・スペース』(Fun In Space)を発表、といった出来事があった。

1981、1982年には2年連続で来日公演が実現。それらを含む大規模なワールド・ツアーを敢行したクイーンはその間1982年に ホット・スペース(Hot Space) (全英4位)を発表。ホーン・セクションを導入したダンス・ミュージックへの接近などが話題になった。1984年 『ワークス』(Works)(全英2位)発表。そこでは大ヒット・シングル”ラジオ・ガ・ガ(Radio Ga Ga)”(全英2位)をはじめ、4人のメンバーのカラーが均等に感じられるようなアプローチやよりシンプルでポップな音楽性が展開された。更にフレディ・マーキュリーが 『ミスター・バッド・ガイ』(Mr. Bad Guy)ブライアン・メイが『無敵艦隊スター・フリート』(Star Fleet Project)、ロジャー・テイラーが 『ロックンロール・フロンティア』(Strange Frontier) と個々にソロ・アルバムを発表したりなど、各メンバー達はバンドとは別に個別活動を積極的に行うという光景もあった。

しばしの間、バンド活動を休止していたクイーンは、1985年5月に6度目の来日を行い、その後7月に世界的なイベントだったライヴ・エイドに出演。翌1986年には通算14作目となる 『カインド・オブ・マジック』(Kind Of Magic) (全英1位)を発表。映画アイアン・イーグルの主題歌や映画ハイランダーのサウンドトラックも収録したアルバムだった。またその直後には新たな伝説となったロンドン・ウェンブリー・アリーナでの3日間のライヴを行い、その模様は 『ライヴ・マジック』(Live Magic)というライヴ・アルバムに収められ、同年11月にリリースされた。

その後バンドが沈黙する中で、ロジャー・テイラーは自らのバンド、ザ・クロスを率いて活動。フレディ・マーキュリーはスペインのオペラ歌手モンセラート・カヴァリエとのデュエット・アルバム 『バルセロナ』(Barcelona)を制作。またブライアン・メイはリヴィング・イン・ア・ボックスほかの幾つかのセッションに参加するなど個別の活動が目立った。一時期にはグループ解散説が流れるも、1989年に3年ぶりとなるアルバム 『ミラクル』(Miracle)を発表(全英1位)。初期の姿も連想させるハードなサウンドを聴かせ、バンドが健在であることをアピールした。だが一方でバンドは『ミラクル』(Miracle)リリースに伴うツアーは行わないと発表。ファンにショックを与えたが、それでもシングル"ブレイクスルー(Breakthru)" (全英7位)、”インヴィジヴル・マン(The Invisible Man)” (12位)を立て続けにチャートに送り込んだ。そんな中次のアルバムのレコーディングに入ったという知らせが早くも届く。結果的には、1991年初頭に『イニュエンドゥ』(Innuendo)が予定よりも早く発表された。同時にリリースされたアルバム表題曲のシングルは初登場ナンバー・ワンを飾り、クイーンの偉大さを久々に見せつけた。しかしこのアルバムにおいてもツアーは行わず、以前から噂されていたフレディの体調不良の深刻化が囁かれ始めた。

クイーンは同年10月に『グレイテスト・ヒッツ』 II(Greatest Hits II) (全英1位/全米4位)をリリースした。そして、その翌月に世界を震撼させるような悲しい出来事が起きたのだった。11月23日にエイズに感染しているという衝撃の発表をしたばかりのフレディが、翌日11月24日、エイズから併発した肺炎によりこの世を去った。享年45歳だった。

その衝撃のニュースの余韻が残る中、メモリアル・シングルとしてリリースされた“ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) ”は全英で5週連続のナンバー・ワンに輝いた。またその収益は全てエイズ救済のために寄付されることとなった。さらにはクイーンがそれまでにリリースしたアルバムの大半が全英チャートのトップ100にランクされるという事態にまでなり、皮肉にもフレディの死はクイーンの偉大な業績を振り返る機会となってしまった。1992年2月、イギリスの音楽賞ブリット・アワードでは、フレディの生前の功績が称えられ、フレディにはDays Of Our Livesの賞が贈られることとなった。そしてその受賞式に出席したロジャーとブライアンは、フレディの追悼コンサートを行うことを発表した。

4月20日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われたフレディ・マーキュリー追悼コンサートには7万人以上の観衆が集まった。その追悼公演にはブライアン、ロジャー、ジョンの3人からなるクイーンは勿論、エルトン・ジョンデヴィッド・ボウイアニー・レノックスジョージ・マイケルガンズ・アンド・ローゼズメタリカエクストリーム、(フレディの憧れだった)ライザ・ミネリなど錚々たる顔ぶれのミュージシャン達が出演し、フレディを偲びクイーンのナンバーが歌われるというステージが展開された。その模様は衛星を通じてテレビ放映され、後にはビデオ作品フレディ・マーキュリー追悼コンサートとして発表された。またジョージ・マイケルが歌った“サムバディ・トゥ・ラヴ”を中心に組まれたファイヴ・ライヴ・EP(Five Live)(全英1位)も翌1993年に発表されている。

フレディを失ったクイーンの存在は考えられない…という声が聞かれる中で、その後クイーンの楽曲は再注目を浴びていた。映画ウェインズ・ワールドで使われた”ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) ”が全米ナンバー・ワンになったことを筆頭に、サン・イン・ロー(Son In Law)で “愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)”、スーパー・マリオ(Super Mario Bros.) で“タイ・ユア・マザー・ダウン(Tie Your Mother Down)”、D2〜マイティ・ダックス(D2:Mighty Ducks)で“ウィ・ウィル・ロック・ユー(We Will Rock You)”と映画のサウンドトラック等に多く使用され、またサッカーのワールド・カップを記念したアルバム グローリー・ランドには“伝説のチャンピオン(We Are The Champions)”が収録されるなど、彼らの過去の楽曲は多くの場面で使われることとなった。また1992年6月には『クイーン・ライヴ・ウェンブリー1986』(Live At Wembley '86)リリース。ここでもフレディの遺産が話題となった。そしてブライアン・メイロジャー・テイラーは個々に活動を活発化させ、クイーンの歴史は終わったかに見えた。

しかしそこで終わらなかったのがクイーンだった。1995年に発表された『メイド・イン・ヘヴン』(Made In Heaven) 。これはアルバム、『イニュエンドゥ』(Innuendo)の後、死の直前までフレディが必死な思いで遺したという新曲のヴォーカル・テイクに、残った3人がサウンドを重ね仕上げたものだった。これが劇的なシチュエーションを用意し、かなりの好セールスを上げたことからクイーンの伝説は復活したのだった。

ここで実質的なバンドとしてのクイーンの話題は終わるかに見えた。だが1997年1月、パリのバレエ・イベントで再び残った3人が終結。 エルトン・ジョンと共にクイーン名義で一曲演奏、実質上の活動再開となる。1997年末には編集盤『クイーン・ロックス』(Queen Rocks)を発表、またダイアナ元皇太子妃死去がきっかけとなり“ノー・ワン・バット・ユー(No One But You)”を発表。1999年には“アンダープレッシャー(Under Pressure)“リミックスのため新しいパートを録音し直したり、また『グレイテスト・ヒッツ III』(Greatest Hits III)をリリースしたりという活動が話題となった。

2004年にはフジテレビ系ドラマ『プライド』の主題歌に“ボーン・トゥ・ラヴ・ユー”が起用され、同曲を収録したベスト・アルバム『クイーン・ジュエルズ』(Queen Jewels)が100万枚を超えるヒットを記録。空前のリヴァイヴァル・ヒットとなった。2005年には元フリーのヴォーカリスト、ポール・ロジャーズを迎えてライヴ活動を再開。10月には、20年振りの来日公演を実現させた。なおこのときの模様はDVD『Super Live In Japan』としてリリースされる。

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