1986年3月レーサーX、ファースト・アルバム、『ストリート リーサル - Street Lethal』をリリース。世界中のヘヴィ・メタル・マニアの間で世界一速いギタリストとポール・ギルバートの名は知れ渡った。同年11月にはG.I.T.の教え子(と言ってもポールより年上。)ブルース・ブレ(Gr)と後のジューダス・プリーストなどの活躍で知られるスコット・トラヴィス(dr)を加入させたセカンド・アルバム、『セカンド・ヒート - Second Heat』を完成させる。(何故か実際のリリースはこの1年後)
よりグローバルな活動を求めたポールと地元でのLAでの活動を望んだ他メンバー間でズレが生じ、これが発端となりメンバーが相次いで脱退。結局バンドは解散の道を歩む事になる。契約の都合上2枚のオリジナル・アルバムの他にライヴ・アルバム、『ライヴ・エクストリーム - Live Extreme』がリリースされている。(後年Vol.2もリリースされた)
そして88年新たなバンド結成の話が持ち上がるタラスやデイヴ・リーロス・バンドでの活動で知られる凄腕ベーシスト、ビリー・シーンが発起人となり、数々のセッション等で腕は確かなドラマー、パット・トーピー、一般的には無名だがソウルフルで実力派のヴォーカリスト、エリック・マーティン、そしてレーサーXでの活動で名を馳せたポール・ギルバートの4人が集まりMR.BIG(ミスター・ビッグ)が結成されるのである。
それぞれの凄腕を活かしたプレイもさることながら、ソング・オリエンテッドな歌モノ・ナンバーを重視したMR.BIGは日本の市場を切っ掛けに世界中でブレイクを果たす。このメンバーでは5枚のオリジナル・アルバム残すが、ベスト・アルバム、『ビッグ・ビガー・ビッゲスト - Big Bigger Biggest - The Best Of』を最後にバンドは活動を一時停止する。
この間ポールはソロとして『キング・オブ・クラブス - King Of Clubs』をリリース。ミスター・ビッグでのセカンド・アルバム、『ラーン・イントゥ・イット』収録の“60’sマインド”(Green-Tinted Sixties Mind)に代表されるポールの作曲能力の高さとパワーポップ趣味(余談だがポールはコレを書いているHMV本社ビル近辺でチープ・トリックのTシャツを着用しているところを目撃されている)が如何なく発揮された本作はハードロック/ヘヴィ・メタル・ファンのみならずパワーポップ愛好家にこそ聴いて貰いたい一枚である。
そして2000年、誰もが驚いたのがレーサーXの再結成!まさかのサード・アルバム、『テクニカル・ディフィカリティーズ - Technical Difficulties』がリリースされる。しばらく早弾きから遠のいていたポールのバカテク炸裂の内容にファンは狂喜乱舞したという。
また同年サード・ソロ・アルバム、『アリゲーター・ファーム - Alligator Farm』をリリース。こちらはこれまでのソロ同様、ポップ路線。さらにポールは休む事無くレーサーXでの活動も並行し、レーサーXとしての復活第2弾、『スーパーヒーローズ - Super Heroes - Adventure Of Racer X Men』をリリース。2年弱の間に4枚ものアルバムを作りあげる。
2001年レーサーXとして13年振り(!)となるライヴをアメリカ、ハリウッドにあるライブハウス「The Whisky」にて敢行。この時の模様はライヴ・アルバム、『ライヴ・アット・ザ・ウィスキー - Snow Ball Of Doom - Live At The Whisky』で聴く事が出来る。また同タイトルのDVDもリリースされている。
2001年暮れには実の叔父であり、ブルース・ギタリストのジミ・キッドとのコラボレイト作、『ロウ・ブルース・パワー - Raw Blues Power』をリリース。タイトル通りのブルース・アルバムで才能の豊かさと創作意欲の強さを再確認させられる。
先ほども述べたがポールには誰にも真似の出来ない素晴らしいギター・テクニックだけでなく、優れた作曲能力も携えておりそれがポールの個性を支えているのではないだろうか。実際彼のファースト・ソロ・アルバムである『キング・オブ・クラブス - King Of Clubs』はとあるパワーポップ本で紹介されているほどなのだ。