’67年にはR&B界のプロデューサーを起用し、R&Bナンバー2曲をポップ・チャートに送り込んだ彼等は翌’68年、スタックスと契約。まさに彼等にとっての黄金時代を迎える事となる。’70年のセルフ・タイトル・アルバムから、レーベルのオーナーでもあるアル・ベルをプロデューサーに起用、’71年に姉パーヴィスが抜け、メイヴィスの一つ年上のイヴォンヌが参加して発表されたのが、彼等の最高傑作と言われる「Be Altitude:Respect Yoursef」だ。タイトル曲「Respect〜」に続き大ヒットとなった「I'll Take You There」は、R&B、ポップ両チャートでNo.1に輝いた。ここでのメイヴィスのエモーショナルなヴォーカルはまさに絶品。
彼女はこうしたグループでの活動と平行して、’69年からソロとしてもキャリアをスタートさせ、スタックス傘下のヴォルトからスティーヴ・クロッパー制作の「Mavis Staples」と翌、’70年、ドン・デイヴィス制作の「Only For The Lonely」を発表。R&Bチャート最高13位を記録した「I Have Learned To Do Without You」等、そのダイナミックなスタイルは他を圧倒するほどの素晴らしさだった。’73年、「I'll Ta 〜」に次ぐR&Bチャート1位となった「If You're Ready(Come Go With Me)」を最後に、’75年スタックスが倒産。
カーティス・メイフィールドのレーベル”カートム”に迎え入れられ、再スタートを切った彼等は、シドニー・ポワチエ主演映画「Let's Do It Again」のサントラを手掛け、これまでのメッセージ・ソングとは180度違うラヴ・ソング「Let's Do It Again」で再び、R&B,ポップの両チャートを制覇。’76年からはワーナーに移籍、グループ名を”ザ・ステイプルス”と改名するも、ヒット曲に恵まれず、一時レコーディング活動を休止。’84年、プライヴェイト・アイに移籍後再び、ステイプル・シンガーズとして活動を再開。
一方、ソロとしても地道な活動を続けいたメイヴィスは、あのプリンスとの運命的な出会いによって、’89年、彼のレーベル、ペイズリー・パークから起死回生の傑作「Time Waits No For One」を発表。全盛期を担ったアル・ベルとプリンスとの共同プロデュースによって制作されたこのアルバムは、チャート・アクションこそ芳しくなかったものの、らしさを活かしつつも、その斬新なサウンドは往年のメイヴィス・ファンを満足させるに充分な刺激的なものであった。一見、ミス・マッチと思えるこのコラボレイトは、プリンスの映画「グラフィティ・ブリッジ」のサントラでも見事な効果を上げ、その曲「Melody Cool」はまさにタイトル通りのクールなナンバーだった。
’91年、ビービー&シーシー・ワイナンズがカヴァーしてR&BチャートNo.1に輝いた「I'll Take You There」にゲストでフィーチャーされ、まさに魂を揺さぶるかの様な貫禄のヴォーカルを披露した彼女は、’93年再びプリンスと組んでアルバム「The Voice」を発表。メイン・プロデュースはリッキー・ピーターソンが手掛けているが、ほとんど楽曲はプリンスによる(共作も含む)もので、エグゼクティヴ・プロデューサーは勿論プリンス自身が担当。前作に比べ、よりファンク色を打ち出したそのサウンドと、53歳ながらもまったく衰えを感じさせないメイヴィスの圧倒的な存在感とが、見事な相乗効果を生み出し、ファンクとゴスペルの理想的な融合をここに実現させている。