Larry Coryell

Larry Coryell (ラリー・コリエル) プロフィール

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ラリー・コリエルは70年代後半から80年代に掛けて日本でも爆発的な人気を博し、ロックギター・ファンから、オヴェイションのギター・ファンまで幅広い支持を得た。4歳からジャズに興味を持った(!)というコリエルは生地ガルベストンからワシントンに移り、タル・ファーロウバーニー・ケッセルといったジャズ・ギターの先人たちのプレイを研究していた。10代でマイク・マンデルのバンドで演奏、その後、大学ではジャーナリズムを勉強していたが、1965年、ニューヨーク、グリニッジヴィレッジでジャムセッションに加わり、1966年にはガボール・ザボの後釜として、チコ・ハミルトンのバンドに加入した。ハミルトン・バンドで始めてのレコーディング『The Dealer』を経験している。その後、ロック〜ブルースよりのバンド「フリー・スピリッツ」でプレイ、ゲイリー・バートンのバンドに参加するに及んで、コリエルの名前は広く知れ渡ることになる。
1968年録音のハービー・マンの大ヒット・アルバム『メンフィス・アンダーグラウンド』でのプレイでコリエルの人気が沸騰、1973年にはジャズ〜ロック・コンセプトの自己のバンド「イレヴンス・ハウス」を結成した。
1975年、コリエルはアコースティック・ギターによる試みに転換、フィリップ・カサリーンスティーブ・カーンジョン・マクラフリンらと共演、マクラフリンとパコ・デ・ルシアとの“スーパー・ギター・トリオ”によるツアーの演奏は、超絶技巧によるアコースティック・ギターの演奏の限界に挑んだヴァーチュオーソならではの演奏として高い評価を得た。
その後も様々なユニットで活躍を続け、2000年には息子達と一緒の「コリエル・ファミリー」によるアルバム『Coryells』を発表した。(Apr.2)

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