Larry Carlton

Larry Carlton (ラリー・カールトン) プロフィール

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 1948年3月2日、カリフォルニア州トランスに生まれたLarry Eugene Carlton,ことラリー・カールトンは、6歳のときからギターのレッスンをはじめ、14歳のときはじめて、“プロ”としてサパークラブで演奏している。

 当時西海岸で人気を誇ったジェラルド・ウイルソン・ビッグバンドにフィーチャーされたジョー・パスのギターに魅せられ、ジャズとブルースを演奏するようになった。当時影響を受けたのは、ウエス・モンゴメリーバーニー・ケッセルの2大巨頭だった。さらにブルース・ギターの大物、B.B.キングを聞き、ほかの楽器では当時隆盛を極めていたジョン・コルトレーンを好んだという。次第にギターの腕を挙げたラリーはフィフス・ディメンションズのツアーに参加するまでになっていた。時代は60年代後半だった。

 1968年、初めての自主制作に近いリーダー作、With A Little Help My Friends を録音、次第に頭角をあらわしていった。当時のラリーはセッションマンであり、スタジオ・ミュージシャンであった。このころラリーの代名詞となるES335を使用するようになる。
 
 そうこうしているうちに、1971年、ジャズをとって、Crusaders となったクルセイダースからギタリストとして参加のオファーが舞い込んだ。結局、ラリーは1976年まで在籍し多くの名演を残している。
 
 1973年、ラリーは自己名義のソロ・アルバム、Singing Playing を録音。まさにタイトル通りの内容は、ラリーの印象を決定付け、人気が急上昇していった。ラリーはサミー・デイヴィス、ハーブ・アルパート、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ジョン・レノン、ジェリー・ガルシアなどそうそうたる顔ぶれのアルバムに参加、揺るぎのない地位を築いていった。100枚以上のゴールド・ディスクに参加、最も忙しいギタリストとなった。

 1977年、「ワーナー・ブラザース」と契約し、クルセイダーズを離れたラリーは、培った音楽の経験を持って自己の音楽を作り出していった。自己の名前を関したLarry CarltonStrike Twice,そして、名曲“夢飛行”収録のSleep Walk を発表、人気ギタリストとして地位を固めた。

 1986年、MCAに移り、全編アコースティックによるDiscoveryを発表、その後、ホームスタジオの近くで銃撃に遭うアクシデントがあったが克服し、On Solid Ground を完成した。

 1996年Gift,前後して、1995年にはリー・リトナーのコラボレイション、Larry&Leeを録音、このときの縁がきっかけとなって、Fourplayを退団したリー・リトナーの後任としてラリーが迎えられた。同時に個人としても古巣「ワーナー・ブラザース」と再契約、自己名義の作品。Fingerprintsを発表、さらに2001年、クルセイダーズ時代のヒット曲をタイトルにつけたDeep Into Itを発表ますますアクティブである。

 また、一方でハードなギタープレイに挑んだ、Steve Lukather とのNo Substitutions: Live in Osakaを発表し、ギタリストとしてのアイデンティティを発揮した。

 ラリー・カールトンは、世代的にはロックギター全盛時代にもかかわらず、ジャズの影響を大きく受けたギタリストであり、セクシーなフレーズと、長年のスタジオ経験で培った優れた構成力を併せ持つ稀有な存在のギタリストとして今もアクティブに活動している。

 FouplayもBMGに移籍し、新作が発表された。

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