Johnny Marr & The Healers

Johnny Marr & The Healers (ジョニー マー & ザ ヒーラーズ) プロフィール

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80年代イギリスが生んだ最大のインディ・バンド、ザ・スミスのギタリストとして活躍したジョニー・マー。バンド脱退後から90年代にかけては、自ら表舞台に出ることは少なく、スミス時代からのファンは少々淋しく思っているところだが、それでも、というか逆にそのことが彼を、80年代を彩った異色のギター・ヒーローとして輝かせている。

ジョニー・マーは1963年10月31日、イギリス北部のマンチェスターに生まれた。マーがギターを手にしたのは13歳のころだという。また独学でギターをマスターした彼は、当時あまりバンドに入りたいという気持ちは持っていなかったといわれている。

幼少の頃から自分自身のことを、パフォーマー/エンターテイナーといった人種とは程遠いと考えていたマーは、そうした煌びやかなショウビズの世界に魅せられるといったことはなく、それよりも自らの書いた楽曲を他のアーティストがレコーディングしてくれるといったようなポジションを望んでいた。そうしてジョニー・マーは思春期の大半をドラム・マシーン相手にひたすらギターを弾き、作曲を試みていたのだった。

ジョニー・マーの個人史にとっても、英国インディの歴史においても重大な転換が訪れるのは1982年のことだった。共通の友人を介して知り合ったモリッシーという、同じくマンチェスターに在住する男との邂逅である。モリッシーことスティーヴン・パトリック・モリッシーは1959年5月22日、マンチェスター生まれ。オスカーワイルドの本とジェイムス・ディーンを愛し、ニューヨーク・ドールズの大ファンだった彼は、英国の音楽新聞NME誌に投稿するなどして地元ではわりと知られた存在だった。彼は少年時代からかなり自閉的な生活を送っていたといわれており、部屋にこもっては読書と音楽を聴くこと、あるいは夢想に生きることを楽しみに生きていたという。また同時に成人を過ぎると親元を離れるのが普通、といわれている英国北部においては、23、4歳になって独立しないモリッシーは、普段の様子とも相俟って変人のように扱われたとも言われている。

ともあれ、マーモリッシーも、もともとは華やかなスポットライトを浴びることに気が進まないような人種であり(モリッシーには陰では密かにそうした願望もあったかもしれないが…)、純粋に自らのソングライティングの技術で人々から認められたいと考えるような人達であった。しかし彼らが書いた曲を現実にうまく演奏する、あるいは歌うことができるのはまた自らだけであったのも事実だったのだ。マーモリッシーは、やがてマーの友人であったベーシスト、アンディ・ロークと、ヴェクティムやザ・ホークスというバンドに居たドラマーのマイク・ジョイスを加え、ザ・スミスという風変わりな名前を持つバンドを結成。同年の1982年10月にデビュー・ギグを地元マンチェスターにて敢行。早くも評判を呼ぶようになった彼らのもとには、数多くのレコード・レーベルからオファーが舞い込んだが、結局彼らは、それまでにスクリッティ・ポリッティを育てあげ、アズティック・カメラと契約を結んでいたインディ・レーベル、ラフ・トレードと契約を結ぶことになる。そして1983年5月、ザ・スミスはラフ・トレードから、日陰者の恋が歌われ、ホモ・セクシャル的なニュアンスも仄めかされるデビュー・シングル“ハンド・イン・グローヴ(手袋はめて)”をリリースし、シーンに登場した。

イギリス国内で日増しに人気の高まっていったザ・スミスは、1984年初頭の時点で、デビューからリリースした3枚のシングルがインディ・チャートのトップ3を独占する、という快挙を成し遂げていた。そしてそうした中、同年2月に発デビュー・アルバム ザ・スミス (The Smiths)を発表。同作はインディ・チャートのみならず全英2位となるヒットを記録することになる。モリッシーの描く、典型的な北部人労働者階級の悲哀を感じさせつつも文学的な表現で纏め上げた歌詞、独特のヴォーカル・スタイル、ジョニー・マーによる繊細かつ大胆なギター・プレイとソングライティングの妙。これらの音楽的要素を中心にザ・スミスはデビューから間もない頃にその人気を確定的なものとしたのだった。

その後、英国インディのトップ・バンドにまで登りつめた彼らは4年間の活動中に、多くのシングルとスタジオ録音のオリジナル・アルバムを3枚残し<ミート・イズ・ マーダー(Meat Is Murder) クイーン・イズ・デッド(Queen Is Dead) ストレンジ・ウェイズ・ヒア・ウィ・カム(Strangeways Here We Come) >、その活動に終止符を打った。なおその活動中にはバンド周辺のいざこざが絶えなかったといわれるスミスだが、バンドの終わりを決めたのはジョニー・マーの決断だったとされている。マーは自分のキャリアの全てをモリッシーザ・スミスのために捧げるのはご免だとばかりに、1987年8月、バンドからの脱退を突如発表したのである。やはり決定的な原因はマーモリッシーとの関係のもつれだったようだ。また当初、スミスは新たなギタリストを加えて活動を続行するとも伝えられたが、結局翌月の9月には解散を表明。既に録音され完成していたストレンジ・ウェイズ・ヒア・ウィ・カム(Strangeways Here We Come) が同月に発表され、バンドは最終的に終結した。

ザ・スミスなき後、メディアはジョニー・マーに次代を担う英国ロックのギター・ヒーローの座につくことを期待したが、あにはからんや彼は「最強のサイドマン」となることを望み、バンド脱退直後から他アーティスト、バンド作品への参加を中心に活発に活動を行った。マーブライアン・フェリートーキング・ヘッズプリテンダーズ 、ザ・ザカースティ・マッコールなどのレコーディングに参加。またニュー・オーダーバーナード・サムナーのプロジェクト、エレクトロニックにも合流(当初はペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントも参加していた)。こうしてジョニー・マーは、一時期はプリテンダーズ のメンバーとなり、ザ・ザのメンバーとなり、またエレクトロニックのメンバーとして3枚のアルバムを発表するという活動を行いながら、数々のアーティストの作品へのゲスト参加、プロデュース・ワークといった裏方仕事を経て現在まで至っている。なお2000年前後には、彼自身のバンドとなるヒーラーズというグループを結成してギグを行うなどの活動を行い(2000年夏のFuji Rock フェスティヴァルにも参加)、ファンをいろめき立たせたものの、現在までのところ作品リリースはシングル一枚のみに留まっており、本格的な活動の話が伝わってきていないことを最後に付け加えておこう(2002年6月現在)。

ザ・スミスジョニー・マーのギター・プレイと聞くと、大半の音楽ファンはあの「ザ・バーズの再来」とも言われたキラキラとしたセミアコ系のサウンドを思い起こすだろう。ただ実際に両者の音をよく聴いてみると、バーズのフォーク・ロックな12弦ギター・サウンドとジョニー・マーの奏でるギターの音色の間にはかなり相違点がある。端的に言ってしまうと、そのリズム感覚に関することで、3分間のポップス美学を追求したジョニー・マーのギターには、フォーク・ロック的な部分に留まらない、モータウンなどR&B的ともいえるハネるリズム感覚が多分に見出されるのである。ただ彼らのサウンドには(特にライヴでは)ほぼリズム・キープのみというようなリズム隊の上を、モリッシーのヴォーカルとマーのギターがひらひらと自在に舞う、という形があるが、その面についてマーは以前、スミス時代には音の隙間を埋め尽くさねばならないといったような強迫観念があった、という意味のことを発言していた。その意味でいえば、バーズロジャー・マッギンによる空間を埋め尽くすような12弦ギター・サウンドは類似しているともいえるのだが。また筆者の記憶に間違いがなければ、マープリテンダーズ のギタリストを介してロジャー・マッギンが使用したリッケンバッカー社製12弦ギターを譲り受けていたと思う(これは確かスミス解散後だったような気がする)。

またジョニー・マーは、自らのギターを上述したような[「バーズの再来」的に評されること、あるいは元スミスのギター・ヒーローといったレッテルに一時期うんざりし、スミス脱退以降はそうしたサウンドを意図的に封印した感がある。1989年初頭には、インタビューなどで最近のフェイバリットは?と訊かれると、ハッピー・マンデイズデ・ラ・ソウルといった一般的に言ってザ・スミスの音楽性から遠いアーティスト達の名前を答えていたものだったし、例えばその後参加したザ・ザマインド・ボムや、エレクトロニックのデビュー・シングル“Getting Away With It”といったところでは、ギターのボリュームのツマミ部分を操作してキーボードと同様な効果を聴かせたりもしていた。しかし実はこうしたギターを普通に使うことに飽き足らない個性といったものは、ザ・スミス時代にも垣間見せてもいた。その最たる例が編集盤ハットフル・オブ・ホロウミート・イズ・マーダーに収録された“ハウ・スーン・イズ・ナウ?”。オーヴァーダブを重ねたギターに、ヘヴィなまでにディレイ系のエフェクトをかけ作り出された不穏な響きを持ったサウンドはその好例である。これはエフェクトをかけるといった意味合いを超えて、エフェクトがリズム、曲のうねりを生み出しているといっていい斬新なサウンドだった(のち90年代にこの曲をサンプリングしてラップを載せたグループがいたのも思い起こされる)。

本人はいまだに嫌がるのかもしれないが、紛れもなくジョニー・マーの業績は(今のところ)ザ・スミスの名曲を生み出した作曲家堅気のギタリストといった表現に集約されるだろう。スミスの当時のライヴ映像などを見るとカポをギターのフレットにはめて演奏するジョニー・マーの姿が見られるが、これはあらゆる工夫を凝らして作曲を行い、スミスという80年代を代表する偉大なるバンドに貢献したマーの姿を雄弁に物語っている。常に新鮮な曲を作ろうと、自らを鼓舞して作曲に挑んだマーは、変則的なチューニングにインスピレーションを受けながら作曲時からこれを多用したため、ライヴでもそのサウンドを再現するためにカポや複数のギターを使っていたのだった。

冒頭のほうでも述べたように元来、作曲や裏方といった仕事を指向していたジョニー・マーは、スミス時代、かなりムリをしてある意味メディア向けな、インディ界の謎めいたギタリスト像を演じる的なワイルドな振る舞いをも見せていた。そうしたことのトラウマもあって本格的なアーティスト活動をいっこうに始めないということをファンはわかっているのだけれど、それでも彼が本当にその才能を充分に発揮した作品というものは今でも多くの人に待ち望まれているのである。

(追記)2003年1月、ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズはアルバムをリリース。

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