Graham Coxon (グレアム・コクソン) プロフィール

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ブリットポップの寵児、英国生粋のバンドとして90年代を駆け抜けてきたブラー。由緒正しい王室的な香り、午後に紅茶を味わうようなハイソな感覚、そして資本主義社会が擁護する堕落と快楽・・・様々な変化を遂げてきたバンドだが、ブラーの音楽の底にはいつも気品と退廃が同居し、すさまじい快楽の量と、そして虚無がバンドをここまで大きくしていったように感じる。それはまるで人々の意識を取り込み続けた結果のように緩やかに行われ、今ここにとてつもなく大きなバンドが、不可避的に存在している。デーモンの野望が果てしなく高みを目指していく一方、「ギターを使って表現するんだ」という意志をしっかりと持ってそこに拮抗し続けたギタリスト、グレアム・コクソングレアムの存在はバンドを一歩も二歩も前進させ、今や世界的なスケールでその音が人々に届いているのである。

グレアム・コクソンは1969年3月12日にドイツに生まれている。まもなくイギリスに移り、ゴールドスミス・カレッジに通っていた時、幼馴染のデーモン・アルバーン、幼い頃からドラムに慣れ親しんでいたデイヴ・ロワントゥリーらと共にバンドを結成、同級生のアレックス・ジェイムスが参加して現在のラインナップが誕生。バンドはセイモアと名乗り活動をスタートさせたが、それがすぐに当時ジーザス・ジョーンズらの在籍していたfoodレーベルの眼にとまり契約を勝ち取ることに。バンド名をブラーと改め、90年10月シングル“シーズ・ソー・ハイ”でデビュー。

シニカルな発言、スマートなルックス、過激なステージングなどが話題となるなか、91年にファースト・アルバム、レジャー(Leisure)をリリース。このアルバムは今でこそ、大ヒットしたイギリス映画トレインスポッティング(Trainspotting)に使用されるている“シング”収録という売りがあるものの、当時は今ひとつパンチ不足の作品に感じられたのも事実。もちろん、ここで既にバンドが醸し出しているよく言えばスマートな印象、悪く言えば軽薄な感覚、というのは彼らの重要な個性で、デビュー作にしてそのセンスは十分に発揮されている。ともあれ全英ツアーは熱狂的な支持で迎えられ、バンドはシーンに颯爽と登場した。

センセーショナルなデビューにも関わらず、バンドはここで急に勢いを落とす。アメリカで勃発したグランジの動きと、それに被さるように敢行されたアメリカツアーの影響である。英国内での評判とは裏腹に、米国本土はまさに火のついたグランジの真っ只中で、ブラーの”センス”はどこかに吹っ飛ぶような環境と、経験だったと言える。この時の身を切られるような体験が、彼らをして英国気質への忠誠、グランジの対極ともいえる快楽主義へと向かわせ、そしてそれは限りない飽和を続けながら、グレアムのオルタナ指向がウルトラC的にバンドを救うまでの長い間、ブラーを突き動かしていくのである。

93年シングル“フォー・トゥモロウ”さらにアルバム、モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ(Modern Life Is Rubbish)をリリース。ブラー渾身の一作と言えるこのアルバム。楽曲の質の高さもさることながら、キンクスザ・フーといった系脈を感じさせるメロディが素晴らしい。さらにジャケットには、産業革命時と思われる古風な蒸気汽車が疾駆するというあまりにもブリティッシュな一枚。それにしてもこのジャケットを見せながら「現代生活はゴミだ」というタイトルを付けるあたり、ブラーが完全にその意識の対象をアメリカ的なもの、外部的なものに向けずにイギリス的、内面的な部分に当てたことが分かる。それは、今は無き栄華を誇った大英帝国への憧憬と、現にある衰退した環境への苛立ちを同時に表明している。それこそがグランジの嵐の中、カウンターカルチャーのように本国を中心として絶大な支持を受けたことの証である。

続く3rdパーク・ライフPark Life)(94年)、4thグレイト・エスケイプ(Great Escape)(95年)の2作品は、ブラーにとってまさに右肩上がりの高度経済成長だった。どこまでも純度を高めていくメロとセンス、パーク・ライフブラーの金字塔であり、シングル“ガールズ&ボーイズ”のどこか調子はずれなディスコ・サウンドは高らかに鳴り響いた。グレイト・エスケイプにおいてはもはや、憧憬が過去に向けられるだけでなく未来をも取り込み始め、その渦の中でリスナーを虜にしていくという永久運動が続いていった。ブリット・ポップという言葉が出現したのも、こうしたブラーの活躍に伴ったもので、ソングライティング指向、ブリティッシュ的メロの復権という成果を成し遂げた。オアシスとの対決もその顕著な例で、その動きの中心に質の高いブリティッシュロックがあったのは事実。96年、日本のみの企画盤としてブラー・ライヴ・アット武道館をリリース、絶頂期のバンドの姿が記録されている。

あくまで自分達の内部に眼を向けて、向けている様なふりをしながら打っちゃりをする、といったブラーのポップシステムはこの時期遂に飽和を迎えることに。「バンドの状態は最悪だった」とデーモン、グレアム共に語るように転換を迫られた彼らは、グレアムのオルタナ指向を軸に据えて大胆な方向転換アルバムブラー(Blur)(97年)を発表。実験的なサウンドが多く含まれ、これまでのポップ然とした佇まいは一掃されており、「これがやりたかった!!」と聞こえてきそうなほど自由にかき鳴らされるグレアムのギター、そしてそこに半ばヤケクソ気味に被さっていくデーモンのボーカルがある。常に人々の意識を取り込みながら、その欲求のはけ口のようにして肥大してきたバンドが、遂にアメリカ的なもの=グランジをも取り込むことでより一層の肥大化に成功した、そんなギリギリのダイナミズムが満ちている。ブラーはここで生まれ変わった。”ルック・インサイド・アメリカ”で「そして世界中が僕の中を通り抜けていく でもそれがどれだけの意味があるのか分からない」と歌うデーモンの声がバンドの決意を感じさせる、新章突入となったこの作品。バンドは音楽的にも商業的にも成功を収め、ブラーがチャレンジしていく存在であることを世に知らしめた。

この時期からブラーは外部のミュージシャンと積極的に関わるようになる。98年ジョン・マッケンタイア(トータス)、サーストン・ムーアソニック・ユース)等が参加したリミックス集Bustin'+Dronin'(remix album)をリリース。メンバーの個人活動も活発になり、デーモンが映画のサントラに参加する一方で、グレアムは自らのレーベルTrance Copicを設立、8月には自身の初のソロ・アルバム、スカイ・イズ・トゥ・ハイ(Sky Is Too High)(全英第31位)を発表している。オルタナ趣味が全開となっているこの作品は、キャッチーなサウンドにグレアムのソングライティング・センスが光る名盤。

99年いよいよ10周年を迎えたブラー。更なる音楽的挑戦を試み、プロデューサーにウィリアム・オービットを迎えた意欲作13をリリース。デーモンの心理を反映したと言われる内省的な内容は議論を呼んだが、音響系などのサウンドを取り入れながらもポップさを保っているところはさすがで、前作ブラーを踏襲しながらもバンドの前進を伝える内容になっている。ここにあるのはもはやブリット・ポップの寵児ではなく、音楽を追求していこうとするバンドの逞しい姿である。安易な発想かもしれないがブラー(blur=あいまいな)というバンド名が意味するとおり自らをボカしたようなスタンスで様々なものを取り込みながら、大きな存在となっていったこのバンド。デーモンの内省がここに来てその流れに決着を付けた形だが、やはりそれをもたらしたのは、アルバム、ブラー製作においてリードを取ったグレアムの果敢な挑戦心だろう。

翌00年、ブラー初のベスト盤ザ・ベスト・オブにより活動がまとめられる中、グレアムはソロ第2弾となるゴールデンD(Golden D)をリリース。パンクバンドのカバーや、スラッシュ・メタル風の曲を収め、大いに気を吐いている。01年には2週間で創り上げたというクロウ・シット・オン・ブラッドトゥリ(Crow Sit On Blood Tree)をリリース。 この元気さに負けじとデーモンのプロジェクトゴリラズも始動。01年にゴリラズ(Gollilaz)、レア・トラック集Gサイズ(G Sides)をリリースしている。ここ最近、自らの活動にひと区切りをつけたブラー。ここまで紆余曲折を経て、何度も危機を乗り越えて、ねばり強く次の一手を掴んでいくという活動を行ってきた彼らの今後はどのような展開となるのだろうか?ブラーの歴史を見ていると、古くからあるフロントマン&ギタリストの対決と昇華・・・といった構造が、月並みだが思い浮かぶ。今後もグレアムのギターは、ブラーの方向性を決める上で大きな役割を果たして、デーモンと取っ組みあっていくに違いない。奇しくも紙ジャケでよみがえることになっているもはや名盤入りとなった感のある13を聴きながら、バンド本体の活動を待ちたい。

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