Echo & The Bunnymen

Echo & The Bunnymen (エコー・アンド・ザ・バニーメン) プロフィール

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U2キュアーが米ツアーを足がかりに90年代アメリカでの成功をモノにしたようには、エコー&ザ・バニーメンは成功を収めることができなかった(ザ・スミスも同様か)。80年代エコー&ザ・バニーメンの業績は主にイギリス国内でのものであり、そのため現在では前述の二バンドのような輝かしい伝説が受けられないでいるようにも見える。しかしエコー&ザ・バニーメンのサウンドは80年代当時のイギリスでは多くのフォロワーを生むほどの影響力を誇り、またその飄々とした佇まい(一方でイアン・マッカロクは今のオアシス兄弟顔負けのビッグ・マウスを誇り、マック・ザ・マウス――マック・ザ・ナイフのもじり――の称号を英プレスから頂戴した)が醸し出すミステリアスなバンド像で、ある時期にはバニーズは英国一のニュー・ウェイヴ系バンドともいえる人気を博していたのだった。

1977年頃のリヴァプールにはロンドン・パンク・ムーヴメントに刺激を受けたバンド達がいくつかあった。イアン・マッカロク vo/1959年5月5日生)とジュリアン・コープ(後にティアドロップ・エクスプローズを経てソロとして活躍)、ピート・ワイリー(後にワー!〜マイティ・ワー!を率いた)の3人が在籍した4人組バンド、ザ・クルーシャル・スリーもそうしたバンドのひとつだった。またその後イアンジュリアンを核としてシャロウ・マッドネスというグループが作られたりもした。両グループはレコード発表もなく短命に終わったが、のちに在籍したメンバーのその後から80年代リヴァプール・シーンの「幻のバンド」と言われた。

やがてシャロウ・マッドネスを脱退した受けたバンド達がいくつかあったイアン・マッカロクは、インダストリアル・ドメスティックというグループに居たウィル・サージェント(g/1958年4月12日生)、ラヴ・パステルズというヴォーカル・グループに居たレス・パティンソン(b/1958年4月18日生)の三人と、「エコー」社製のドラム・マシーンという編成でバンドを結成。1978年秋頃のことだ。バンド名はドラム・マシーンに因んでエコー&ザ・バニーメンとなった。

エコー&ザ・バニーメンは当時のリヴァプール・シーンのメッカといえるクラブ「エリックス」で演奏活動を開始。また1979年3月には地元のインディ・レーベルZooからデビュー・シングル“ピクチャーズ・オン・マイ・ウォール”をリリース。このシングルがいきなり高い評価を受ける中、「エコー」の替わりにドラマーとしてピート・デ・フレイタス(1961年8月2日生)が加入、4人組となったバニーメンは英WEA傘下のコロヴァとレコード契約を結ぶ。

1980年7月にデビュー・アルバム、クロコダイルズを発表。ドアーズのジム・モリスンを彷彿とさせるイアンのヴォーカルに、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドや60年代に無数に生まれたガレージ・パンク~サイケ・バンドらに通じる粗削りで独得の美意識を感じさせる鋭いギター・サウンドが組み合わさったこの作品は全英チャート17位という成功を収めるとともに評論家筋からも高い評価を受けた。翌1981年にはライヴEP『Shine So Hard』とセカンド・アルバム、ヘヴン・アップ・ヒアーを発表。前作を上回る全英チャート10位という記録もさることながら、NME誌の読者人気投票でベスト・アルバムに選ばれた同作品でバニーズは、ネオ・サイケデリックと呼ばれたムーヴメントを代表する存在といった以上に、イギリスを代表する気鋭のバンドとしてその地位を確立していくようになる。

翌1982年にはレコード・リリースがなかったが、ピーター・ガブリエル主宰のフェスティヴァルWOMADのなか日にヘッドライナーとして出演し存在感をアピール。そして1983年1月にサード・アルバム、ポーキュパインを発表。全英チャート2位を記録した同作品でさらに幅広いファンを獲得したバニーズはもはや英国でも有数の人気バンドとなっていた。それを象徴するのがクラシックの殿堂、ロイヤル・アルバート・ホールでの公演だろう。これは同年7月18、19日の2デイズにわたって行われ、そこでバニーズは自信に満ち溢れた鉄壁のプレイを披露(この模様はのちのヴィデオ・コンピレイションに収められ、その中で数曲観ることができたが、残念ながら現在は廃盤)。アルバム・デビューから3年という短期間にエコー&ザ・バニーメンは、ニュー・ウェイヴ系アクトとしては、英国が誇る有数のライヴ・バンドとして、そして向かうところ敵なしの実力派若手グループとしての地位を不動のものとしたのだった。加えて同7月にはシングル“ネヴァー・ストップ”を発表(12月には日米で編集ミニ・アルバム、ネヴァー・ストップもリリースされた)。1984年1月には初来日公演。シンプルながら独得の雰囲気を醸し出す彼らのステージは当時大きな評判を呼んだ。5月に4作目となるオーシャン・レイン 発表。全編にオーケストレイションを施したこの異色作は、イアンがかつて最高傑作と語ったものだが、発表当時古くからのバニーズ・ファンからはややおとなしすぎるのでは、といったような違和感も聞かれた。ただアルバムからはシングル“キリング・ムーン”が全英9位を獲得、アルバム自体も4位を記録し人気のほうでは依然健在ぶりをアピールした。その後11月の再来日公演後、彼らはしばらくバンド活動を休止。とはいえイアンはソロ名義のシングル“セプテンバー・ソング”を発表、1985年にはバンドとしてスカンジナヴィア・ツアーを敢行、また新曲含むシングル・コンピレーションダンシング・ホーセズをリリースするなどの動きはあった。しかしその後同1985年暮れにドラマーのピートが突如バンドを脱退。セックス・コッズに加入、という事件が起きた。解散説が流れる中、翌1986年に入ってから開始されたニュー・アルバムのレコーディングは、当初元ヘアカット100のブレア・カニンガムが参加してのスタート。しかしほどなくしてピートがバンドに復帰。バンドは再出発を図った。

1987年7月に前作から3年ぶりとなるオリジナル・アルバム、エコー&ザ・バニーメン発表。また同時期に映画ロスト・ボーイズのサントラに使用されたドアーズのカヴァー“まぼろしの世界”も話題を呼んだ。1988年4月三度目となる来日公演を果たしたバニーズだったが、その後7月にNMEがバンドの解散を報道。結果的にはイアンがソロへ、また残った三人は新たなメンバーを加えてバンドを存続させることになった。脱退したイアンはソロ・アルバム、キャンドル・ランドを1989年9月に発表。ソロとして1990年始めには来日も果たしている。その後1992年に二作目のミステリオを発表した。

一方、残されたバニーズ達三人はデモ・テープの制作を開始したが、その開始直後の1989年6月14日にピートがロンドンからリヴァプールにバイクで向かう途中で自動車と衝突して死亡。バンドは悲劇に見舞われるのだった。解散が濃厚と見られたバンドは、しかし元セント・ヴァイタス・ダンスのノエル・バーク(vo)、デイモン・リース(ds)を迎えて制作したリヴァーバエイションを1990年11月に発表。結局これを最後に解散した。その後しばらくイアンも含め、元バニーズ周辺は話題が途切れたが、1994年に入ってバニーズ復活の噂が流れ始める。結局イアンとウィルに若手二人を加えた形で、新たなバンド、エレクトラフィクションが結成され、1995年にEPとアルバム、バーンドを発表した。それほど成功しなかったエレクトラフィクションだが、しばらくあって1997年に今度はイアンがレスを誘いエコー&ザ・バニーメンを復活させた。同年7月に再生バニーメン第一作となるエヴァーグリーン発表。また同時期にベスト盤バリフーをリリース。なかなかの評判を受けた新作で気をよくしたバンドは1999年にホワット・アー・ユー・ゴーイング・トゥ・ドゥ・ウィズ・ユア・ライフ?を発表。2001年にはフラワーズを発表し昔からのファンを喜ばせている。。

初期バニーメンのサウンドのカッコ良さはどこから来ていたんだろう、と考え直してみると、個人的な見解だが、やはりピート・デ・フレイタスのドラムがキーになっていたのではないか、と思う。イアンの陰影のあるヴォーカルやウィルの我流サイケデリック・ギターも勿論バニーメン・サウンドを語る上で欠かせない要素だが、初期バニーメン独自のサイケデリック・ビートは故・ピート(とベースのレスの扇情的なフレーズを重ねるようなプレイ、そしてリズム隊としてのコンビネーション・プレイ)によるところが大きかったと今では思う。故人のプレイを悪く言いたくはないのだが、実際のところポスト・パンク期に特有の、あのピートの手数が多く前のめりなプレイは、いわゆるタメや安定したタイム感が重視されるドラムの様式からすると決してカッコいいプレイではなく、正直今の感覚で聴くとダサい部分も感じる。しかしながら、初期U2のラリーのドラム、「ドン・パン」というあのダサさも80年代のポスト・パンク期にはこれ以上ないほどカッコ良く響いていたように、ピートのプレイもあのパンクから地続きの時代を非常に「いい意味で」象徴していたように思う。素人同然のプレイヤーが自らの感覚を全開にして、バンドとともに叩き出すスピード感。そんなイノセントな魅力があの時代のバンド特有のカッコ良さであり、エコー&ザ・バニーメンは、そうしたバンド達の中でも稀有な美しさを持つサウンドを出していた。

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