基本情報
内容詳細
【ヒンデンブルグ号爆発事故】
1937年5月6日、アメリカ合衆国ニュージャージー州。ドイツの誇りであり空のタイタニックと称された、豪華な飛行船ヒンデンブルグ号は、ドイツのフリードリヒスハーフェンからアメリカまでの大西洋横断を成し遂げようとしている。61人の乗務員と36人の乗客が乗っており、料金は1人約12,000ポンドである。ヒンデンブルグ号は、アメリカの海岸に近づいてきている。朝には、ニュージャージー州のレイクハースト空軍基地に上陸するとされている。静電気が原因とされる連続して起こったこれらの大惨事は、目撃者たちの証言によって思い起こされる。 乗客の中にいた曲芸師のジョセフ・スパは、飛行中、映画用のカメラで撮影をしたり、乗客に自分のパフォーマンスを見せたりしていた。そんな彼は、長い間待ち望んでいた家族との再会を楽しみにしていた。ドイツ空軍フリッツ・エルトマン大佐は、船に事故が起こるとのうわさを調査するために乗船していた。彼のポケットには、飛行船が爆破されるというアメリカ人霊能者の予言書が入っていた。 一方、レイクハースト空軍基地では、司令官のチャールズ・ローゼンタールが悪天候の中、無事に着陸できるようにこの巨大な飛行船と交信をとっていた。ローゼンタールは過去2回の事故経験から、この手の旅客機の危機的状況については熟知していたが、この日はヒンデンブルグ号が無事に着陸できると確信していた。レイクハーストで天候がよくなるのをイライラしながら待っていたもう1人は、録音技師のチャーリー・ネルセンと一緒にいるシカゴのラジオ局リポーター、ハーブ・モリスンである。モリスンは、新たな放送界の歴史を作ることと、これまでの生中継にとってかわる、事前に収録されたニュース放送にこそ未来があるということを上司たちに証明したいと願っていた。 しかし彼は、20世紀で最悪の航空事故の目撃者になろうとしていることに、まったく気がついていなかった。彼がのちにリポートしたニュースは、世界中に放送されることになった。それは、ラジオリポートという媒体に変化をもたらし、また、軽航空機産業の終わりと宇宙開発競争の時代を示していた。
【チャレンジャー号爆発事故】
1986年1月27日、アメリカ合衆国フロリダ州。この日遅くに、NASAミッションSTS 51-Lスペースシャトル、チャレンジャー号打ち上げのカウントダウンが始まり、薄れてきていたアメリカ人の宇宙開発に対する興味を再燃させることとなる。 乗船するのは、初の民間宇宙飛行士になるチャンスを心待ちにしていたクリスタ・マコーリフ。ニューハンプシャー州出身の37歳のこの女性教諭は、シャトルの席を狙う11,000人の候補者の中を勝ち抜き、歴史に名を残すまであと数時間と迫っていた。彼女の任務は、軌道を周回しているチャレンジャー号から2回の授業を行なうことであり、この宇宙で教鞭を執るという役割は今回の宇宙計画の突然の大ニュースとして、マスコミを騒がせていた。 しかし、この日の打ち上げは何度も延期され、NASAは世界中のメディアの注目を集める中、もはや延期することのできない打ち上げスケジュールを実行するのに苦闘していた。天候は季節外れに寒く、それもまた面倒な事態の原因でもあったが、管制塔はこの日の打ち上げを楽観的にみていた。 一方、ユタ州では、NASAへ部品を供給している大手取引先のひとつ、モートン・サイオコール社のロジャー・ボイジョリーと彼の技術チームがミーティングを開いていた。このまま打ち上げればシャトルに事故が起こる可能性があるとのことで、彼らはすぐに打ち上げを止めるようNASAに連絡する。しかし、彼らの警告は無視され、チャレンジャー号と7人すべての乗組員の命を失う結果となり、宇宙計画の欠点を浮き彫りにした。
世界史に残る事件や事故を特集した英国BBCのドキュメンタリー・シリーズ。第13弾となる本作は、ドイツの飛行船“ヒンデンブルグ号”とスペースシャトル“チャレンジャー号”の爆発事故に焦点を当て、その実態と歴史的教訓を探る。(CDジャーナル データベースより)
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