91年、記念すべき1stアルバムRed Guitar And The Truthとシングル不良少年のうたを東芝EMIからリリース。一枚目からなんとプロデューサーはジェレミー・グリーン。ピストルズやクラッシュをも手掛けたエンジニアである。勿論レコーディングもロンドンで。アルバムがオリコン初登場8位、というセールス面でもセンセーショナルだったが、その内容も濃かった。この痛さはなんなんだ!とアルバムを聴いても、ライヴを観ても感じた。胸が締め付けられるようで苦しい。青春真っ只中でこのアルバムに出会ってしまった人は、それはもう心中かっ攫われるに決まっている。リリース後に夏までかけて回った全国ツアーは、焦燥にかられた輩でどこもいっぱいだった。その後間もなく2ndアルバムの制作に取り掛かる。ここからプロデューサー土屋昌巳との付き合いが始まる。後になってから彼らが語った事によると名曲揃いの1stの出来には100%満足はしていなかったようだ。ジェレミー・グリーンに上手く日本語の機微が伝わらなかった事や、初めてのレコーディングということで不慣れなため思うようには作れなかった事などを理由に。
95年3月、初のベスト・アルバムThe Sixをリリース。ベストとは言っても、ただ代表曲をオリジナルのテイクのまま集めた類いとは違う。このアルバムに収録すべく、94年の秋に渡英して「Rude Boy」(不良少年のうた)をレコーディング、他にも「ガードレールに座りながら」「胸がこわれそう」「僕の心を取り戻すために」の全4曲が新しいバージョンで収録されているのだ。更に更に、あの「悪いひとたち」が完全バージョンで収録。曲数も14曲と、さすがブランキー、ファンへの配慮は満点。ちなみに渡英の際、レコーディングの後にライヴも行っている。この95年、6月から7thアルバム制作の為に再び渡英。そこでまたUK LIVE TOURとしてロンドンの近郊を6ヶ所回っている。評判は上々だったらしい。8月、日本に戻り、代々木公園野外ステージにてフリー・ライヴを敢行。つまりタダ。「Are You Happy?」と題されたこのライヴは13000人もの動員を記録。日本のロック史上に名を残す素晴らしいライヴとなった。この日の模様は12月に2本組のビデオAre You Happy?としてリリースされた。それに先駆けて11月、7thアルバムSkunkをリリース。プロデューサー土屋昌巳との最後のアルバムとなった。
99年に入り、メンバーは再びソロ・ワークにシフト。ベンジーのSherbetはSherbetsとビミョーに改名しレコーディング、中村はスカパラの青木氏急逝のため、ヘルパーとしてスカパラのツアーに回る。7月、SherbetsのアルバムSiberiaリリース。10月、照井のプロジェクト、Jim SpiderのアルバムWith A Ghostリリース、11月、中村のプロジェクト、Losaliosのアルバム世界地図は血の跡リリース、どれも高い評価を受ける。
そして2000年、4月、ブランキーはマキシSea Side Jet Cityで再びお目見え。ガツンとヤラれた人は多いはず。そして待ちに待った11thアルバムHarlem Jetsが5月10日にリリースとなった。なったのだが…。この日、悲しい広告が新聞に、あった。冒頭にも書いた「BJC解散」の文字である。この最後となったオリジナル・アルバムがとてつもなく素晴らしいものであり、「ブランキーは初期は好きだったけど…」とか言っている人にも絶対満足してもらえると確信していた矢先である。一瞬、時が止まった。7月、最後の横浜アリーナ・ライヴ2daysが8日、9日に行われた。オーディエンスは涙・涙のラストだった。その後、事実上のラスト・アクトとなったフジ・ロック・フェスティバルでのショウ。ブランキー・ファンを自認する人以外の多くのオーディエンスにも、「かっこいい!」と言わせてしまう程の気概を見せてくれた。でも、もう彼らのナマの演奏を体験する事は出来なくなった。9月、最後の横浜アリーナでのライヴがLast Danceという2枚組のアルバムになって送り出された。行けなかった人も、行けた人にも、嬉しいプレゼント。10月25日には白盤黒盤というベストアルバムが東芝EMI、ポリドールからそれぞれリリースされる。どの曲がベストかなんて、選ぶのも大変だろう。「Harlem Jets」のレビューにも書いたが、ブランキーは、昨今のスポーツ化しつつあるロックとは全く異質の存在だ。「聴ける」ロックなのだ。向き合えば必ず何かが胸に突き刺さってくる。深く、深く、突き刺さってくる。こんなイカしたバンド、そうそういないよね?