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江戸はこうして造られた ちくま学芸文庫

鈴木理生

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784480085399
ISBN 10 : 4480085394
Format
Books
Publisher
Release Date
January/2000
Japan

Content Description

徳川家康が「江戸入り」して以来の百年間は謎に包まれている。たびかさなる「天下普請」によって都市インフラが整備され、戦国時代の江戸湊は百万都市「大江戸」に変貌した。そして、江戸の前史は地下深く埋もれてしまったのである。江戸の原型とは、いったいどのようなものだったのか?それは、入間川(隅田川)といまはなき日比谷入り江の間に突き出た半島、「江戸前島」だった。こうして、江戸の記憶がつぎつぎと復原されていく。臨海の低地にはじめて進出した私たちの祖先は、継続的な埋め立てと土木事業をつみ重ねながら、膨大な物資や労働力の需要をまかなうべく、一大流通圏をつくりあげていったのである。

目次 : 第1章 都市の記憶(江戸の位置/ 中世の江戸湊 ほか)/ 第2章 奪われた江戸前島(家康の江戸入り/ 徳川の江戸建設 ほか)/ 第3章 日光造営の深慮遠謀(利根川から見た江戸/ 江戸と日光)/ 第4章 「寛永図」の世界(三都物語/ 「寛永図」の江戸 ほか)/ 第5章 大江戸の成立(明暦大火と復旧/ 江東地区の市街化 ほか)

【著者紹介】
鈴木理生 : 1926年生まれ。法政大学高等師範部卒業。千代田図書館勤務を経て、東京都市史研究所理事。都市史研究家。地質学・考古学の視点から実証的に都市史をとらえ直す作業は、歴史学界、建築史学界への新しい提言として注目を集めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • saga

    円覚寺領(荘園)江戸前島が家康によって横領され、その記録が幕府により隠蔽されたというショッキングな序文で始まる本書は、自分のそれまでの江戸に対する思いを改めることになった。江戸の痕跡を探しながら東京を歩くのは楽しいことだが、江戸前島の記憶を辿るのは無理筋というものだろう。運河の都・江戸も、埋めては掘り、そしてまた埋めるという繰り返しの中で発展したという歴史と地層の重層の上に成り立っていったのだな〜。内川廻しの項で故郷・銚子湊が家康の物資回送の拠点だったと知り、ちょっと嬉しい。

  • kk

    図書館本。自然的・地形的な条件を背景に、天正18年以降四代70年に及ぶ江戸の開発・発展過程を丁寧に追っていく試み。基本的な視点は、都市とは情報を含めた人と物の交流の場であり、単なる空間占拠物ではなくて機能による空間構成の主体であるという認識。そうした見方に立って、累次の天下普請を契機とする市場機能の成熟や、水路を中心とする物流インフラ整備による有機的市場圏の拡大などに注目。興味深く感じられた事柄として、日光造営と内川廻し整備の結び付き、寺社移転と新街区開発の関係など。とても勉強になりました。

  • yooou

    ☆☆☆☆★ 期待以上に濃厚重層的に描かれる黎明期からの江戸の姿に眩暈を覚えます。街あるきが何倍も楽しくなること間違いなしです。

  • OjohmbonX

    人が密集して住むには上下水道の整備が必須になる。電力のない時代は水の流れを地理的な高低差、ポテンシャルエネルギーに頼るしかない、という観点から見つめると江戸は確かにそんな作りになっているという。あるいは江戸城を建造するには大量の資材を運び込む必要がある。そのためには港が必要になるし、建設が終われば防衛上その他の理由で閉ざされる。そうした種々の経緯や制約を多面的に追いながら、江戸が(家康以前の時代も含めて)どのように巨大な都市として形成されてきたかが詳細に描かれる本だった。

  • RYU

    1590年の徳川家康の江戸入りから1690年の天下普請完了までの江戸造成記。家康は、鎌倉円覚寺の荘園「江戸前島」だった江戸を横領し、幕府はその事実を隠すために徹底した言論統制を敷いた。江戸は日本人の社会が初めて臨海低地に意識的・継続的に都市を造った場所。当時の唯一の大量輸送手段としての水運と基地を確保する目的もあった。もともと現在の大手町〜銀座辺りの微高地が、日比谷入江の埋立、上下水道の勾配を考慮したメインストリート(現在の中央通り)成立、外郭工事・神田川整備により、江戸として形作られることになる。

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