古代道路の謎 奈良時代の巨大国家プロジェクト 祥伝社新書

近江俊秀

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784396113162
ISBN 10 : 4396113161
フォーマット
出版社
発行年月
2013年04月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
226p;18

内容詳細

1300年前の巨大な道路はなぜ造られ、廃絶したのか?奈良時代、国家を挙げて造成した古代道路「駅路」。それは、天武天皇による日本列島改造だった。文化庁文化財調査官が謎に迫る。

目次 : 第1章 古代道路とは何か/ 第2章 なぜ、造られたのか/ 第3章 奈良時代の交通制度/ 第4章 古代道路の工法/ 第5章 地図から読む古代道路/ 第6章 現代によみがえった景観/ 第7章 古代道路の見つけかた/ 第8章 廃絶の謎

【著者紹介】
近江俊秀 : 文化庁文化財調査官。1966年、宮城県石巻市生まれ。1988年、奈良大学文学部文化財学科卒業。奈良県立橿原考古学研究所主任研究員を経て、文化庁入庁。現在、文化庁文化財部記念物課埋蔵文化財部門に勤務。専門は日本古代交通史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • HMax さん

    どこかで読んだような気がすると思ったら、著者の「日本の古代道路」を10年前に読んでいた。すっかり忘れていたので良い復習になりました。6世紀後半、幅12mの直線道路が20km以上続き、総延長はなんと6300q。とにかく都まで真っすぐ一番短い距離でカッコ良い道路を作り、16q毎に駅家も作り、1日160q以上を突っ走らせた。合わせて溜池や水田も整備。その後の政変、国防、内乱、等々で律令体制が崩れ、立派な駅路を維持できなくなった。それでも当時の道が今でも残っているのが感慨深い。奈良に行ってみよう。

  • kk さん

    図書館本。古代律令制下の駅道・駅制について、その整備目的、ルート選定のパターン、工法やメンテの概要、その衰退と終焉など、一般向けにざっと分かりやすく教えてくれる一冊。遥か明日香や奈良の昔に、これほどまでの大プロジェクトが実行に移されていたとは。日本の律令制ってのも、単なるお題目やマニフェストだけってわけじゃなかったんすね。全体として、古代駅道に対する著者の並々ならぬ思いのほどが感じられますが、マニアックにならず、また押し付けがましさを感じさせないサラッとした語り口。ナイスです。

  • loanmeadime さん

    ローマ人の物語 Xでローマ街道について読んだとき、日本初?の大規模公共事業、駅路敷設のことを思い出しました。10年ぐらい前に「 日本の古代道路を探す」という本を読んだのですが、再読してみようとして図書館へ行ったら同様のが色々あって、その中の一冊として本書を読みました。条里制との関連で直線性を持った駅路は現代の高速道路とも対応するそうです。最低でも幅員6mというのは現代の対向2車線道路ですから、まさに古代のハイウェイですね。

  • 中年サラリーマン さん

    今僕らが古道と言ってるのは江戸の道路だろう。城下町や名産地、良地盤を通すため道は曲がりくねる。しかしさらに昔、大化の改新後ようやく日本が統一されたころに全国に張り巡らされた道路網があった。その道路網は直線であることを思想としていた。スタート地点から都までとにかく直線。丘はけずり湿地は埋めるのだ。その道跡は現代の高速道路と一致することも多く、つまり同じ設計思想で敷設されたと考えられるのである。文献は少なくなぜ作られたのかも分からないし何よりもなぜ廃道となったのかも不明。古代人はどんな思想だったのだろう。

  • elf51@禅-NEKOMETAL さん

    奈良時代に作られた古代道路。道路の跡はあるが,あまり記録になく,幅は6m〜30mと広く,20km以上の”直線”道路。推定総延長6300kmは1966年の高速道路計画6500kmに迫る。これだけでも謎がつまっている。なぜ作られ,その後なぜ捨てられたのか?なかなかの謎である。とにかく丘も湿地もかまわず真っ直ぐに作られていて。意外と実家の近くも通っていたりするのだが。歴史からも技術的見方からも面白いミステリーとして読める。

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