天下人の父・織田信秀 信長は何を学び、受け継いだのか 祥伝社新書

谷口克広

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784396115012
ISBN 10 : 4396115016
フォーマット
出版社
発行年月
2017年04月
日本
追加情報
:
18

内容詳細

織田信長は中世的権威の破壊者、近世の開拓者、改革者とされてきたが、近年その評価が変わりつつある。彼の独創的とされる戦闘方法、外交政策、経済政策、家臣統制に、父・信秀からの影響があったことを実証したのが本書である。信秀は、守護代家臣から短期間で尾張随一の実力者に伸し上がった、戦国の出世大名の一人である。しかし、史料の少なさから、その実像は謎とされてきた。今回、信長研究の第一人者である著者が、一次史料を含む多くの史料を読み解き、信秀、信長二代にわたる事績を明らかにした。天才、魔王、革命家とまで称された信長像は本書で変わるだろう。

目次 : 序 斎藤道三に敗北して…/ 第1章 織田信秀の台頭/ 第2章 信秀の合戦と政策/ 第3章 父信秀のもとの信長/ 第4章 信秀の後継をめぐる争い/ 第5章 信長が受け継いだもの/ 終章 信秀の評価

【著者紹介】
谷口克広 : 戦国史研究家。1943年、北海道室蘭市生まれ。横浜国立大学教育学部歴史科卒業。横浜市役所、港区立港南中学校教諭、岐阜市信長資料集編集委員会委員などを経て、現在に至る。戦国史、なかでも織田信長に関する研究を一貫して継続。著作『織田信長家臣人名辞典』は信長に仕えたすべての家臣1458人を網羅、研究者からも引用される大著(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • アキ さん

    信長の父・信秀は、尾張守護代家臣から尾張随一の実力者にのし上がり、津島と熱田を支配して経済的に潤い、皇居修復への献上や伊勢神宮へ寄進など行い、勝幡城から那古野城を居城とした。40近くで死に、三男信長は19歳で家督を継ぎ、弟信勝を蹴落とし、天下を窺うまでに成った。2人の共通点は、1:居城をニーズに合わせて移した。2:戦いに籠城はせず、出撃して戦った。3:権力者(守護)に対し敬うが、反抗すれば戦うことを辞さない。4:経済政策では商工業を重視した。5:天皇・朝廷と融和政策。この父にしてこの息子あり。納得の分析。

  • スー さん

    あの織田信長の父親はどんな人だったのか?読むのを楽しみにしていました。残念ながら資料が少ないので人間味を感じるまでにはいきませんでしたが、信長の原点を感じられ信長は突然変異で登場した訳ではない、ちゃんと見本となる人物がいたと分かりました。居城を変えるのも経済に力をいれたのも父信秀から受け継いだ物で、他にも農政はほぼノータッチと敗北からの回復力、籠城はしない必ず打って出るのも同じでした。槍を長くしたのは信長の発想で、偶然なのかアレクサンダー大王の重装歩兵の槍の長さとほぼ同じなんですよね。

  • hk さん

    「子は親を見て育つ」 信長の実父・織田信秀は、いまだ尾張の守護代の一家臣に過ぎぬ頃より長期的な視野にたって戦略を推し進める。皇居の修復資金を惜しげもなく献上したかと思えば、伊勢神宮の式年遷宮資金もおもむろに寄進した。こうして朝廷や幕府の覚えをめでたくし、来るべき天下布武の機会を見据えていたのだ。その経済力の源泉は、居城を流通の要衝にコロコロと置き替えて域内経済を刺激する斬新な政策などにあった。そして信秀逝去ののち織田家の家督を継いだのが戦国の寵児・織田信長だ。信長は父の衣鉢と巨視眼を継ぎ天下取りに挑む。

  • 鐵太郎 さん

    謎の多い織田信長の父の姿を、信長研究の大家というより信長マニアの谷口克広さんが、少ない史料を元に調べ上げ、まとめあげたもの。さすがに史料の乏しさから推定が多いのはしかたがないけれど、信長が一代の改革者ではなく、父の背を見て反発しつつその路線を延ばして新しい世界を築いていった過程を美味く描き出しています。信秀・信長のめざした産業構造が第一次産業の拡充つまり農業振興ではなく、第三次産業すなわち商業中心であったことは、はたして彼らの描く未来が現実だったら今はどうなっていたのか考えさせられるところ。うむ。

  • 文章で飯を食う さん

    織田信長の美濃攻略以前の話を知りたかったが、その意味で面白かった。信長の強さの一端は経済力で、その基礎は、父の信雄から始まるものなのだ。経済的に豊かだから、農民への課税も緩やかで、農民の多くは織田の支配を望んだらしい。織田信長は中世に突然産まれた現代人のようだが、その父も、やはり合理主義者なのだ。

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谷口克広

1943年、北海道生まれ。戦国史研究家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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