基本情報
内容詳細
昭和16(1941)年、伝説の対外宣伝グラフ誌『FRONT』の創刊に向け、軍の全面協力により各地の軍施設においてロケが行なわれた。同誌は国家宣伝・国力誇示、ひいてはソ連の牽制・戦争抑止までを視野に入れた大プロジェクトであり、当時の日本を代表する最高の人材と機材が集められていた。その驚異的なまでの洗練と完成度は、現代日本の写真表現やグラフィックデザインの原点とも言われている。本書は陸軍の精鋭部隊として千葉陸軍戦車学校と習志野騎兵学校を舞台に、菊池俊吉がテクニックの限りを尽くして撮影した約150点をネガナンバー順に一挙掲載。旧日本陸軍の戦車や軍用車両の生き生きとした姿と撮影時の状況を鮮やかに再現する。
目次 : 1 千葉陸軍戦車学校 昭和16年秋、東方社『FRONT』のための撮影(戦車の大集団による機動演習/ 中戦車小隊の降坂機動/ 小隊縦列と車長の肖像/ 冠水地における徒渉の状況)/ 2 千葉陸軍戦車学校2 昭和16年秋、歩戦協同訓練(雨中の歩戦協同訓練/ 試製一式砲戦車(ホイ)と一式自走砲原型の通過/ 九七式中戦車の突進)/ 3 陸軍騎兵学校(習志野騎兵学校) 昭和16年秋(軽戦車と自動二輪車の連携/ 泥濘地を通過する軽装甲車/ 機動九〇式野砲の牽引/ 九五式九七式の超堤シーン)
【著者紹介】
北川誠司 : 昭和38年、埼玉県生まれ。昭和時代に、当時のプラモデルの新製品だった九七式中戦車と出逢い、他国のものとは異なるその複雑・繊細な造形に強く惹かれた。以降、ブランクを多々はさみつつ、そして多くの方々の御力添えを頂戴しながら旧日本陸海軍の戦車・装甲車の研究に微速前進で励む。現在、京都市在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ユーザーレビュー
人物・団体紹介
菊池俊吉
大正5年、岩手県花巻市生まれ。昭和13年、東京光芸社写真部に入社。報道写真家への道へ。昭和16(1941)年、東方社・写真部へ入社、翌年2月創刊の『FRONT』写真スタッフとして参加。昭和20年、旧文部省原爆災害調査団の記録映画班に同行、被爆後の広島を撮影。翌年、木村伊兵衛らと文化社を設立。焼け野原
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