古事記と日本書紀 「天皇神話」の歴史 講談社現代新書

神野志隆光

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784061494367
ISBN 10 : 4061494368
フォーマット
出版社
発行年月
1999年01月
日本
共著・訳者・掲載人物など
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追加情報
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18cm,211p

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読書メーターレビュー

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  • モリータ さん

    長らく積読になっていたのを、チャンスが来たので消化。(共通)神話があるという仮定に引きずられずにテクストに即して古事記・日本書紀を読むべし、というのは、二つの物語の枠組みの違いが分析されるとなるほどと思った。『日本書紀』が中国に対する公式文書としてある、という前に知ったこととどう関係するのかと思いながら読んでいたが、それに関わる内容も盛り込まれてあった。自分で『日本書紀』を素直に読んでみて違いがわかると面白い読書体験になるかもしれない。

  • mstr_kk さん

    『古事記』と『日本書紀』が、まったく異なるコスモロジーにもとづく、別々の神話であることが説かれます。朝廷は、「日本は中国と並ぶ大国である」という帝国的世界観を作るため、9世紀から10世紀にかけて、神話を一元化しようとしたといいます。また、明治の日本は、国体論の根拠とするため、『古事記』と『日本書紀』を同じひとつの「日本神話」とみなしました。この「日本神話」に陥らないよう、著者は、『古事記』と『日本書紀』をそれぞれの内部のロジックによって読もうとします。すぐれてテクスト論的な考え方だと思いました。

  • Hiroshi さん

    日本神話が書かれているという記紀。古事記では別天つ神(天之御中主神他4柱)がおり、イザナミが死に黄泉の国の話があり、3貴神はイザナギから生まれるが、日本書紀には別天つ神の記述はなく、イザナミは死なずにイザナギとイザナミの子として3貴神は生まれし、高天原さえもない。712年と720年に編纂された記紀の神話の違いをどのように説明するのか。記紀の歴史を見渡しながら考える本。古事記は江戸時代の本居宣長により再評価された。古事記伝では、古事記の漢文風ではないことばより古の穢れのない正実「もののあはれ」が得られたと。

  • じめじめ さん

    古事記と日本書紀を忠実に読み解く。古事記においてイザナミは黄泉の国へゆき、天孫降臨は高天原の司令で行われるが、日本書紀においてイザナミは死なず、陽陰論を下敷きに各神が自発的に行動する。こうした差分の根本は同一神話の別の側面といったものでなく、そもそも別の神話であるとし、これまでの同一神話を前提とした時代ごとの解釈を否定していく。神話の多元性の真偽はともかく、記紀のテキストは時代に応じて解釈され、日本人の自己確証に用いられたことがよく分かる。

  • 星辺気楽 さん

    一般論すぎて、あまり面白くなかった。

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神野志隆光

1946年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授を経て、東京大学名誉教授。専攻は、日本古代文学

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