脳科学者の母が、認知症になる 記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?

恩蔵絢子

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784309027357
ISBN 10 : 4309027350
フォーマット
出版社
発行年月
2018年10月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
219p;19

内容詳細

アルツハイマー病になっても最後まで失われることのない脳の迫力に迫る。記憶を失っていく母親の日常生活を2年半にわたり記録し、脳科学から考察。認知症の見方を一変させる画期的な書。

目次 : はじめに 医者ではなく脳科学者として、母を見つめる/ 1 六五歳の母が、アルツハイマー型認知症になった/ 2 アルツハイマー型認知症とはどういう病気か/ 3 「治す」ではなく「やれる」ことは何か―脳科学的処方箋/ 4 「その人らしさ」とは何か―自己と他者を分けるもの/ 5 感情こそ知性である/ おわりに 父母と竿燈まつりに行く

【著者紹介】
恩蔵絢子 : 1979年神奈川県生まれ。脳科学者。専門は自意識と感情。2002年、上智大学理工学部物理学科卒業。07年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で、非常勤講師を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • nyaoko さん

    認知症について、タイトル通り、脳科学者である娘さんが書いた本。なかなかこれまでの認知症の本には無い内容で面白かった。認知症になって失われた事はあっても、その人らしさ、お母さんの基本的な性格や、感情は消えないままでいると言う事。それは介護する家族にとっては救いの一つだなぁ。しかし、67歳の若さで認知症とは辛い。その若さから症状が進んで行く未来を思うとせつないけれど、これからも記録して、続刊を出して欲しい。

  • ネギっ子gen さん

    【母が認知症になったからといって、父、母、私の時間のすべてを「介護」一色にしたくない。人生に色んな感情を混ぜることが必要だ】母親が認知症と診断された脳科学者が、記憶を失っていく母親の日常生活を2年半にわたって記録。<母を「症例」として見るのではなく、徹底的に母という「個」に向き合うことによって、「認知症」という病の普遍に触れようと試みた。「脳にどんな変化が起こっているのか」という視点から母の行為を観察し続けていくと、やがて不可解に見える母の言動も、脳の働きからすると自然なことに思えてくるようになった>。⇒

  • naoっぴ さん

    “老いる”ということを考えるとき、ボケると人格まで変わると聞くけど、本人の頭の中はどうなっているんだろうとよく思う。本書では脳科学者の視点で海馬の働きや萎縮による判断の低下などが説明されていて、未解明な領域ながら「なるほど」と思うことも多かった。私の高齢の両親は健在だが、アルツハイマーになった母親を娘(著者)の立場からみた日常風景は他人事と思えず、依存関係にある親子の対応の難しさ、意識を変えることの大切さをリアルに考えさせられた。

  • TATA さん

    たとえ認知症になってもその人の感情は今迄通りであってそれこそが知性なのだとの意見にひどく感銘を受ける。認知症になってもそれでもできることはあるわけで、本人なりに思い考えることはある。その中でどうやってお互いに居心地の良い環境を築けるかということ。認知症のお母さんはへこんだ娘を心配するし、慰めてくれる。娘さんだってお母さんに甘えられる。この辺りを読んでなんか泣きそうだった。

  • クリママ さん

    脳科科学者である著者の65歳のお母様がアルツハイマーを発症した。脳科学とお母様の具体的な症状を関連させた説明はわかりやすい。娘としての思いが感じられるが、脳科学者の立場から書かれたものであるためか、日常の切迫感、悲壮感は感じられなかった。自分の居場所、役割を求めることが徘徊の原因になるのではないか。できなっことが増え失敗をしても主体的に生活していくことが幸福感に繋がる。新しい経験から多様な感情を持つことが好ましい。そして、記憶ではなく感情がその人であることなど、勉強になり、考えもした。

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