捨てられる宗教 葬式・戒名・墓を捨てた日本人の末路 SB新書

島田裕巳

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784815605568
ISBN 10 : 4815605564
フォーマット
発行年月
2020年09月
日本
追加情報
:
248p;18

内容詳細

現代の日本社会において宗教は根本的な危機に直面している。宗教が生まれたのは、死生観Aの時代においてである。それが、死生観Bへと転換すると、当然ながら宗教は力を失っていく。110年人生になれば、宗教が力を持つことは難しい。では宗教が不要となった社会で今、何が起こっているのか。誰もが逃れられない生き死にの問題とどのように向き合っていけばいいのか。問題の深層を解き明かしていく。

目次 : 1章 終活さえもめんどくさい―宗教が用済みになった社会(ローマ教皇来日の本当の意味/ カトリックの牙城崩壊 ほか)/ 2章 なぜ宗教は捨てられたのか(なぜカトリックは時代遅れになったか/ 死生観A―寿命の短い時代 ほか)/ 3章 スケジュール化された終わりなき人生(「葬式仏教」が金儲けばかりは本当か/ なぜ『葬式は、要らない』はこれほど売れたのか ほか)/ 4章 いまだ“死のある世界”で生きる人たち(信仰と平均寿命の関係/ 死亡率の高まるアメリカの特殊な事情 ほか)/ 5章 “死のない時代”の生き方・死に方(65歳でも死は遠い/ 「貧病争」という宗教の入り口 ほか)

【著者紹介】
島田裕巳 : 作家。宗教学者。東京女子大学非常勤講師。1953年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。学生時代に宗教学者の柳川啓一に師事し、とくに通過儀礼(イニシエーション)の観点から宗教現象を分析することに関心をもつ。大学在学中にヤマギシ会の運動に参加し、大学院に進学した後も、緑のふるさと運動にかかわる。大学院では、コミューン運動の研究を行い、医療と宗教との関係についても関心をもつ。日本女子大学では宗教学を教える(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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コロナを踏まえた人々の宗教観の変遷につい...

投稿日:2021/06/19 (土)

コロナを踏まえた人々の宗教観の変遷についても書かれておりタイムリーな一冊でした。「人生はこなすものとなった」現代に宗教の役割とはなにか?

watatak さん | 兵庫県 | 不明

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これだけ合理的な世の中なんだから、確かに...

投稿日:2021/06/16 (水)

これだけ合理的な世の中なんだから、確かに世界的な宗教の退潮というのはやはりあると思う。著者の言う通り、長命になったこともその原因なのかもしれない。出来れば新書ではなく、もうちょっと厳密な数字的裏付けを伴った研究を見てみたい。

kam さん | 大阪府 | 不明

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読書メーターレビュー

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • パトラッシュ さん

    藤子・F・不二雄の漫画で、科学が発展しすぎて超長命が実現した惑星を描く作品がある。そこでは生きるのに飽きた老人は、ある建物に入ると一切の苦しみなく消えられる。短命な国ほど宗教は根強く残り、日本など長命国では信者が激減する死生観の変化は、この漫画に予言されているようだ。かつて徳川幕府や大日本帝国が体制硬直化で崩壊したように、冠婚葬祭を通じて何とか維持してきた宗教の存在価値も長命化で限界に来ているのではないか。それでも何かにすがらねば生きていけない人の弱さは変わらない。果たして宗教に変わるものは生まれるのか。

  • よっち さん

    仏教徒が平成の30年で2000万人激減、行事・しきたりの形骸化、終活さえもめんどくさいと感じる高齢者…人類史上、初の事態に直面する日本で、これからいかに生と死に向き合っていけばよいかを考える一冊。平均寿命が伸びてきたことで定年後の時間がやたら長くなったこと、様々なものがスケジュールに組み込まれる時代には死生観も変わり、終活とかわりとどうでも良くなったり、宗教に救いを求めることがなくなっていくのはなんか分かるような気がしました…自分の世代がもっと上になった時にどうなっているのか、正直想像もつきません(苦笑)

  • 香菜子(かなこ・Kanako) さん

    捨てられる宗教 葬式・墓・戒名を捨てた日本人の末路。島田 裕巳先生の著書。生物であれば必ず最後には死を迎える。それなのに死が身近からなくなって死が遠くて特別な存在になってしまった。だから宗教は捨てられて、葬式・墓・戒名も捨てられた。それが今の日本。無宗教であるなんて国際社会から見たら断然少数派。自分が信じる宗教があって自分が信じる宗教を真剣に語れる人が国際社会では大多数。どの宗教を信じても個人の自由なのだから自分に合った宗教をもっと追い求めてもいいはず。

  • きゃれら さん

    いつ死ぬか分からないと思っているが、その意味が逆転していることに気づいた。19世紀の小説で登場人物がバタバタ死ぬのは、いつ死ぬか分からない世の中と実感させるが、今自分が思うのは「いつまで長生きしてしまうかわからない」ということだ。筆者はそれを死生観Aから死生観Bへの転換だと名付け、宗教が機能しなくなっていると論じる。ああ、そうだったのかと合点がいった。ベストセラー「ゼロで死ね」は80歳くらいで死ぬことをスケジュール化してそれまでの人生を計画する話だったけど、こんなの人類史上初めてだよね。

  • 紫の煙 さん

    人類の寿命が延びたがために、宗教への関わりが変化したとの論旨であるが、自分の実感としては違う。そもそも、暮らしの中での宗教の必要性が無かった。行事として関わってきたが、それ以上の意識は無かった。科学、医学の発展、情報の氾濫で宗教は捨てられた。でも、いざという時の神頼みはしてしまう。

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人物・団体紹介

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島田裕巳

作家、宗教学者。1953年、東京都生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了(宗教学専攻)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を経て現在、東京通信大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたも

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