日本の最深部へ 岡本太郎の宇宙 4 ちくま学芸文庫

岡本太郎

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784480093745
ISBN 10 : 4480093745
フォーマット
出版社
発行年月
2011年05月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
15cm,551p

内容詳細

「伝統」といわれるものの正体を徹底的に見返した岡本太郎のまなざしは、さらなる核心、すなわち日本の最深部へと向かう。沖縄の離島、恐山、熊野、高野山…。聖なる場所や秘境を精力的に訪ね歩き、祭りに飛び込み、歴史を体感し、人びとと語り合うなかで掴みだしたもの。それはいわゆる「伝統」を突きぬけた、全く異質な日本であった。悲しみを秘めつつ、たくましく躍動し、原始の大らかさに連なる根源的な人びとの営み。本巻では文化の基層と本質に鋭く迫った岡本太郎の日本文化論を集成、その問題意識を側面から浮き彫りにする対論・鼎談も収録する。

目次 : 沖縄文化論―忘れられた日本(沖縄の肌ざわり/ 「何もないこと」の眩暈/ 八重山の悲歌 ほか)/ 神秘日本(オシラの魂―東北文化論/ 修験の夜―出羽三山/ 花田植―農事のエロティスム ほか)/ お答えいたします―花田清輝、鶴見俊輔、唐木順三、木下順二に答える(花田清輝より岡本太郎へ。『今日の芸術』をめぐって。/ 岡本太郎より花田清輝へ。/ 鶴見俊輔より。岡本太郎「日本の伝統」「伝統序説」によせて。 ほか)/ 日本の伝統と私(対談)/ 縄文の文化こそ、日本人の心のふるさとだ(鼎談)/ 諏訪「御柱祭」

【著者紹介】
岡本太郎 : 1911‐96年。父は漫画家・岡本一平、母は作家・岡本かの子。29年渡仏、抽象芸術、シュルレアリスムの運動に参加。パリ大学で民族学、哲学を学び、バタイユらと活動を共にした。40年に帰国、42年中国戦線に出征。46年に復員後、花田清輝らと「夜の会」を結成し、アヴァンギャルド芸術を推進した。『今日の芸術』『日本の伝統』はベストセラーとなった。70年、大阪万博テーマ館のプロデューサーとして「太陽の塔」を制作。以後、テレビをはじめとするあらゆるメディアを通じて発言と行動をつづけた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • roughfractus02 さん

    「アンチ」は反対でなく挑戦であり、挑戦は「自他に対する挑み」だと著者はいう。沖縄を「日本人の心のふるさと」という時、自らの立場を主張するために「沖縄」を擁護すると同時に自らの立場と戦う両面的な挑戦の過程が、著者を「沖縄」に出会わせる。自他を分けること自体に挑むその過程は、分けることを旨とする理性の論理と異なる論理を感性に見出す試みとして記される。力が現れないことが力が現すことの前提であるオシラの呪術や密教の両界曼荼羅に無時間の時間のような矛盾に出会わせるこの論理は、沖縄の地に無の中の有を著者に直観させる。

  • ラウリスタ〜 さん

    さすがに飽きがくる。岡本太郎の芸術論は非常に感銘を受けるし、その強烈なエネルギーに奥底から揺り起こされるのだが、彼の民俗学的記述はそこまで面白いとは思えない。ソルボンヌで社会学や民俗学といった具体的な学問を修めることが彼の芸術において重要であったそうだが、だからといって民俗学における太郎の文章が一流であるとはいえないのだろう。もちろん、興味深い点も多いし、現在では消えてしまいつつある原初のエネルギーを見つめなおす太郎の視点を面白い。ただ、前の3巻を読んでいる者としては、どうしても竜頭蛇尾に思える。

  • J. Tamura さん

    日本各地に根付く祭りや神事、宗教の紀行文及び日本文化に関する対談記事などが収録されている。著者は日本のこれからの芸術を考える上で、各行事に久しく根付く、生きていくための圧倒的な活力が要になると考えた。明治以降の官僚化が地方の文化を抑圧した点を辛辣に批判するとともに、地方が抱える文化のコンプレックスに対しては早急に解放されるべきと括っている。各行事の根底に流れる活力は文章上でも圧倒的に感じられ、特に沖縄八重山の悲歌・久高島のイザイホー、花田植、諏訪の御柱祭が印象的であった。梅原猛とのユニークな鼎談も面白い。

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人物・団体紹介

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岡本太郎

1911〜1996年。1929年に渡仏し、『アプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)協会』に参加するなど、30年代のパリで前衛芸術運動に参画。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと行動をともにした。40年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り

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