おわらない音楽 私の履歴書

小澤征爾 (1935-2024)

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784532169336
ISBN 10 : 453216933X
フォーマット
発行年月
2014年07月
日本
追加情報
:
177p;19

商品説明


おわらない音楽 私の履歴書
小澤征爾


1970年にサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任、1973年からはボストン交響楽団の音楽監督に就任し、29年間にわたりその任を務め上げ、その間にもウィーン・フィル、ベルリン・フィルをはじめとする世界屈指のオーケストラの指揮者として招かれ、1984年にはサイトウ・キネン・オーケストラの創設にも参加し、2002年からはウィーン歌劇場の音楽監督を務めるという偉業を成し遂げた小澤征爾が、その指揮と同じくスピード感あふれる筆致で、自らの半生をカラッと明るく綴っており、読み始めたら一気読みは必至。ひたすら音楽を信じた日本人による、スカッと爽やかな世界冒険物語。
 この本は、昔を振り返らず、いつも次の演奏会のことばかりを考えてきた音楽家の感懐でもあります。四六判 上製 144 ページ。

「指揮者という商売は自分一人ではどんな音だって出せない。宿命的に人の力がいるのだ。その恩人たちを紹介するのが僕の『履歴書』かもしれない」(小澤征爾)

【小澤征爾プロフィール】
1935年、中国のシャンヤン(旧奉天)に生まれた小澤征爾は、幼いころからピアノを学び、成城学園中学校を経て桐朋学園で故齋藤秀雄に指揮を学びました。1959年秋、フランスのブザンソンで行なわれたオーケストラ指揮者国際コンクールで第1位を獲得。
翌年、クーセヴィツキー賞を受賞しました。 西ベルリンでヘルベルト・フォン・カラヤンに師事していた小澤征爾は、バーンスタインの目にとまり、1961/62年のシーズンには、ニューヨーク・フィルの副指揮者をつとめ1962年1月、サンフランシスコ交響楽団を指揮し、アメリカ・デビューを果たしました。
 1964年の夏から5年にわたる夏の間、シカゴ交響楽団のラヴィニア・フェスティバルの音楽監督、トロント交響楽団では4シーズンにわたって音楽監督をつとめ1970年からタングルウッドで4年間にわたって毎年夏、ボストン響を指揮しました。1968年1月ボストン・シンフォニー・ホールではじめて同交響楽団を指揮し、1970年タングルウッド音楽祭の芸術監督に就任、その年の12月サンフランシスコ交響楽団の指揮者・音楽監督に就任し活動をはじめました。1973年ボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任、1976年春にはサンフランシスコのポストを退き、1976/77年のシーズンからサンフランシスコ響の音楽アドヴァイザーに就任しました。
 ボストン響の音楽監督として、アメリカ国内はもとより、オーケストラの評価を国際的にも高め、1976年のヨーロッパ公演および1978年3月の日本公演で多大の成果を挙げています。
 中国政府の公式招待により、北京中央楽団と一週間にわたって公演し、1年後の1979年3月にはボストン交響楽団を率いて再度訪中し、演奏活動に加えて、中国音楽人の指導・学習、並びに討論会など、文化交流を果たしました。1981年3月には、楽団創立100 周年を記念して、アメリカ14都市演奏旅行を果たし、同年秋には、日本、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスを回る世界公演を行いました。その後も1984年、88年、91年にヨーロッパ公演と1986年、1989年には日本公演を行い、いずれも絶賛を博しています。
 小澤征爾はヨーロッパでの評価と人気も絶大なものがあり、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどのオーケストラを定期的に指揮しています。また、オペラの方面でもパリ・オペラ座、ザルツブルグ、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場にしばしば出演し絶賛を博しています。
 1983年12月には、メシアンの唯一のオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」をパリ・オペラ座で初演し、ニューヨーク、東京でも演奏しセンセーショナルな話題を集めました。 日本においては、創立時より密接な関係にある新日本フィルと定期的に活動しており、1991年秋より名誉芸術監督の任にあります。
 オペラの分野でもしばしば指揮を行っており、特に1989年より始めた「ヘネシー・オペラ・シリーズ」では海外から一流歌手や演奏家を招いての上演で、高い評価を得ています。
 サイトウ・キネン・オーケストラを、秋山和慶とともに恩師齋藤秀雄を偲んで1984年に組織し、東京・大阪公演で大成功を収め、1987年、1989年、1990年、1994年にはヨーロッパ公演を、1991年にはヨーロッパ、アメリカ公演を行い絶賛を博し、1992年より、芸術的念願であった国際的音楽祭“サイトウ・キネン・フェスティバル松本”へと発展させ、大きな注目を集めています。さらに98年にはサイトウ・キネン・フェスティヴァルで演奏された「カルメン会修道女の対話」は特に高い評価を受けています。
 レコーディング活動も活発で、フィリップスとドイツ・グラモフォンを中心に50枚以上のレコード、CDを制作ボストン交響楽団とのマーラーの交響曲全集を完結。最近では、サイトウ・キネン・オーケストラとベートーヴェンの録音に取り組みんでいます。(HMV)

【目次】
はじめに
指揮者として
満州生まれ
敗戦の日
リヤカーで運んだピアノ
ラグビー少年
指揮者を志す
桐朋学園音楽科
桐朋学園短大進学
外国で勉強したい
淡路山丸
パリへ
ほか

内容詳細

昔を振り返らず、いつも次の演奏会のことばかりを考えてきた音楽家の感懐。「指揮者という商売は自分一人ではどんな音だって出せない。宿命的に人の力がいるのだ。その恩人たちを紹介するのが僕の『履歴書』かもしれない」

78歳とは思えぬスピード感あふれる筆致で、自らの半生をカラッと明るく綴っており、読み始めたら一気読みは必至。ひたすら音楽を信じた日本人による、スカッと爽やかな世界冒険物語!


【目次】

はじめに

指揮者として/満州生まれ/敗戦の日/リヤカーで運んだピアノ

/ラグビー少年/指揮者を志す/桐朋学園音楽科/桐朋学園短大進学

/外国で勉強したい/淡路山丸/パリへ

ほか

【著者紹介】
小澤征爾 (1935-2024) : 1935年9月1日生まれ。1951年4月、成城学園高校に入学。1952年桐朋女子高校音楽科に第一期生として入学。1955年桐朋学園短期大学に入学。1957年桐朋学園短期大学留年。1960年フランス国立放送管弦楽団を指揮し、パリ・デビュー。1961年2月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初めて指揮。以後、国際的指揮者として活躍。2010年1月、食道全摘出手術を受ける。2014年5月、新日本フィルでバルトーク『弦楽のためのディヴェルティメント』とベートーヴェン『レオノーレ』序曲第三番、水戸室内管でベートーヴェンの交響曲第七番を指揮(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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投稿日:2014/08/24 (日)

小澤征爾が2014年1月1日から31日まで、「日本経済新聞」朝刊で連載した「私の履歴書」が単行本となった。≪どんな人たちに支えられてきたか。その恩人たちを紹介するのが僕の「履歴書」かもしれない。≫という巻頭の言葉通り、小澤征爾のサクセス・ストーリーの陰には、決定的な場面で重要な役割を果たした様々な人々との出会いがあった。 両親、兄弟、成城の仲間たち。ピアノを教えた豊増昇を始め、特に重要な人物は桐朋学園の創始者のひとりで小澤に指揮を教えた斎藤秀雄であることは自明である。 初めて海外へ渡航したとき援助してくれた実業界の人々、ブザンソン指揮者コンクール参加を助けてくれたアメリカ大使館員。師事した偉大な指揮者ミュンシュ、バーンスタイン、そしてカラヤン。N響事件でバックアップしてくれた錚々たる文化人たち。ラヴィニア音楽祭に紹介した敏腕マネージャーのウィルフォード。小澤を音楽監督に指名したトロント響、サンフランシスコ響、ボストン響のマネージャーや理事たち。N響との和解を進言してくれたロストロポーヴィチ。サイトウ・キネン・オーケストラを支援したスポンサー会社。ウィーン国立歌劇場のホーレンダー総監督などなど。中でも食道がんの闘病生活の支えとなった家族の力は大きい。これほど周囲の人々に恵まれた音楽家がほかにいるだろうか。 今回読み直してみて、小澤征爾という音楽家の原点は人を引き寄せる魅力ある人間性であることを改めて実感した。その人間性が演奏家たちはもとより、彼に関わるすべての人々を魅了することは確かだが、では小澤征爾の指揮する音楽がどこまで深く人を感動させるか、はまた別の問題だ。これまで数え切れないほど実演を聴き続けてきたが、心の底から感動した演奏会は、新日本フィルとの「カルミナ・ブラーナ」、N響との歴史的な和解コンサート、復帰後、第1楽章だけ指揮したサイトウ・キネン・オーケストラとのチャイコフスキーの弦楽セレナーデ、潮田益子を追悼した水戸室内管とのモーツァルトのディヴェルティメント第2楽章など、決して多くはない。「おわらない音楽」というタイトルは、小澤征爾が永遠に追求せざるを得ない、音楽の奥深さ、難しさ、怖さを暗示しているように思う。

ベイ さん | 東京都 | 不明

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読書メーターレビュー

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  • いたろう さん

    日経新聞「私の履歴書」より。日本が誇る世界のマエストロ、小澤征爾。若い頃の逸話が非常に興味深いが、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した時の話は、20代の頃の著書「ボクの音楽武者修行」の方が詳しいので、そちらを読むべき。もともとピアニストを目指していたのに、ラグビーで指を骨折して指揮者に転向したということは、今回初めて知った。

  • Y さん

    日本に帰ろうか迷っていた小澤さんの気持ちを変えるきっかけとなった井上靖さんの言葉がすごく印象に残る。小澤さんは苦境に陥ろうとも、その度に自分を支えてくれる人に出会えていた。きっと小澤さんが特別幸運に恵まれているのではなく、与えられたチャンスを真正面からチャンスとして認識してものにできるよう努力してきたんだろうと思った。そうした姿勢が成功をつかみ取るためには必要なんだと思った。国内外での立ち位置などの共通項を鑑みても村上春樹と友人なのが頷ける。それにしても面白い人生だった。クラシックへの興味が俄然増した。

  • Book & Travel さん

    先日亡くなった小澤征爾氏の本を読みたくて手に取った。本書は2014年の日経新聞の連載「私の履歴書」をまとめたもの。満州で生まれ、桐朋学園で指揮を学び、世界を飛び回る指揮者となっていく半生が語られ、改めて凄い人だったことがわかる。連載の特性か本人の性格なのかあっさり語られているが、世界に出るまでに相当な苦労と努力があったことが推察される。師の斎藤秀雄、カラヤン、バーンスタインをはじめ、イサム・ノグチ、グールド、井上靖など出会う人物の顔触れが凄い。晩年は若い人の指導や普及活動に注力されていたのも印象的だった。

  • Isamash さん

    小澤征爾2014年出版の自伝記。優れた芸術家の形成にサポートする人間の存在や環境の影響が大きいことを知った。指揮を学んだ斎藤秀雄先生は母方の親戚だったらしい。そして海外に学びに出れたことが大きいが、同級生(後に最初の妻となるピアニスト)の父親の金銭的サポートがあった。あと、カラヤン及びバースタインの弟子になれたことも重要だが、彼自身が積極的に動いたことも覚えておくべきか。「叩けよ、さらば開かれん」を文字通り実践。オペラは苦手だが小澤征爾もそうであったのは初耳。ただ優れた指揮者の本質は自分には未だ分からず。

  • Nobuko Hashimoto さん

    日経新聞「私の履歴書」に加筆修正したもの。疾風怒濤な小澤氏のこれまでをざっと追える本。すごい密度、すごい交友関係。恩師への尊敬の念と、自らも次の世代を育てようと教育活動に力を入れているところに感動。おかげで、我が息子も、小澤征爾音楽塾の青少年無料招待リハ公開で、小澤征爾指揮カルメンをかぶりつきで観ることができ、良かった良かったと大興奮して帰ってきた。初めてのオペラがそれだったおかげで、すっかりオペラ好きになった模様。一流は違うと思った次第。私も小澤氏の公演、聴きに行きたいなあ。

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