小沢昭一

小沢昭一 プロフィール

小沢昭一 | プロフィール | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!

小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。

来歴・人物

東京府豊多摩郡和田堀町大字和泉(現在の京王線代田橋付近)生まれ。父は現在の長野県長野市の出身で、新潟県高田市(現・上越市)で写真屋修行時代に結婚し東京に出てきた。昭一2歳の頃、父親が写真館を始めたため日暮里へ引っ越し、4歳のときに蒲田に移り住む。当時の蒲田は、松竹映画の撮影所があるモダンな街で、また寄席もあり、その猥雑な雰囲気が小沢の後の活動に影響を与えた。

戦争の匂いが身近に迫る中、旧制麻布中学に入学し、同級に大西信行、加藤武、フランキー堺、仲谷昇、なだいなだ等多くの友人を得る。軍事教練や、学徒動員先でも天狗連として彼らと、しばしば落語を披露し合っていた。通学帰り、ネタを増やしに、大西、加藤らと、学生服姿で人形町末廣、神楽坂演芸場、銀座金春亭など禁演落語の時節真っ只中の寄席に入り浸り、そこで出会った演芸評論家・作家の正岡容の知遇を得て弟子になる。桂米朝、大西、加藤らとは正岡門下の兄弟弟子の関係である。さらに大西、加藤らと麻布中で演劇部を立ち上げた。その後、海軍兵学校第78期生として1945年(昭和20年)4月に入校(第703分隊)するが、終戦のために退校。そこで見た一面の焼け野原・終戦体験が昭一青年に大きな影響を与えた。まだ豊かに残っていた大道芸に出た「透明人間」「蜘蛛娘」などの見世物小屋や手品、女相撲に熱中した経験を持つ。

麻布に復学後、早稲田大学文学部仏文科卒。早大在学中にはやはり、大西、加藤らと共に、日本で初めての学校での落語研究会を創設する(名称は「寄席文化研究会」としたかったが、大学に認めてもらえず「庶民文化研究会」とした。顧問は暉峻康隆(当時)助教授)。

1949年(昭和24年…

出典:Wikipedia (Wikipediaで続きを見る)

%%message%%