天皇と儒教思想 伝統はいかに創られたのか? 光文社新書

小島毅

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784334043544
ISBN 10 : 4334043542
フォーマット
出版社
発行年月
2018年05月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
小島毅 ,  
追加情報
:
320p;18

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読書メーターレビュー

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  • Willie the Wildcat さん

    仏教vs.儒教、天皇家vs.将軍家の2つの対立軸。前者は皇霊祭や葬制、後者が陵墓や年号。踏まえた維新思想の具現化が、暦であり皇統。興味深いのが、皇霊祭などと暦との関連性。「廟」の概念。『二十四節気』に文化を感じると共に、七夕や桃・菊の節句の季節感喪失がやはり残念。中韓のように暦の”使い分け”が、できなかったのか?一方、陵墓や皇統はControversialだが、その歴史の深みが嬉しくある。様々な説があるのも、歴史の楽しみではなかろうか。践祚vs.喩年などと共に、恥ずかしながら「吉野朝時代」も初耳でした。

  • 崩紫サロメ さん

    ホブズボームの「伝統の創造」、アンダーソンの「想像の共同体」論は現在では一般的に知られ、「日本古来の伝統」も明治時代に作られたものであるという認識は多くの人が持っているであろう。その上で、明治時代にどのようにして、何を素材として「日本古来の伝統」が創られたかについて、儒教思想、徳に朱子学の要素に着目する。中国思想を専門とする著者ゆえ、元号を巡る問題など具体的な例も典拠をあげて丁寧に示されており、わかりやすい。

  • 樋口佳之 さん

    「梅雨の真っ最中の星祭り」という、ありえない風習は、ここに由来/私は毎年、雨のなかを片手に傘、片手に自作の笹飾りを持って下校する小学生たちを見るにつけ、明治政府の重大な失政を糾弾したい義憤にかられる/中韓両国とも、近年は日本同様に一族の紐帯は希薄化しているようだが、それでも行事の日付は変わらず旧暦である。こうしてみると、七夕を梅雨の最中に祝うわが国の風習の滑稽さが、ひときわ目立つ/伝統文化を正しく継承することを声高に叫ぶのであれば、他の何にも増して、明治の改悪を排除すべく、まずは旧暦の復活から取り組むべき

  • さとうしん さん

    お田植えと養蚕から始まり、祈年祭などの祭祀、誰を天皇として認め、代数をどうカウントするかという皇統、太陽暦の導入、そして昨今問題になっている元号と、天皇にまつわる伝統の多くが近代に創られたものであったということと、その「創られた伝統」の根源に儒教思想があるということを見ていく。「儒教に支配されている」のは悲劇かもしれないが、それを自覚できないのは喜劇ではないか、そんなことを考えさせられた。

  • kanaoka 56 さん

    明治において多くの伝統が創作されたことは、理解していたが、天皇の伝統が、かくも朱子学に基づいているというのは、認識を改めさせられる。東アジアの儒教文化圏の重みを感じさせられた。 社会機能の維持・運営のためには、ある程度、伝統を大切にする事も必要だろうが、一定の意図のもと創作されたものや、現代環境にそぐわないもの等は、賢く排除していくことが、肝要だろう。

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