開戦と終戦 帝国海軍作戦部長の手記 中公文庫プレミアム

富岡定俊

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784122066137
ISBN 10 : 4122066131
フォーマット
出版社
発行年月
2018年07月
日本
追加情報
:
260p;16

内容詳細

海軍軍令部作戦課長として対米開戦に立ち会い、終戦の年に同作戦部長として戦艦大和水上特攻に関わったエリート海軍軍人が、日本海軍の作戦立案の過程や、中枢部の人事機構、陸軍との連携など、組織としての海軍の有り様を詳述する。

目次 : “男爵少尉”の誕生/ 太平洋戦争の予測/ 右回りか左回りか/ ハル・ノート/ ハワイ奇襲作戦/ つぶれたF・S作戦/ 海軍参謀/ 図上演習の系譜/ 軍令承行令と海戦要務令/ 「大淀」艦長からラバウル時代へ〔ほか〕

【著者紹介】
富岡定俊 : 明治30(1897)年、広島県江田島に生まれる。父は海軍中将・富岡定恭(男爵)。大正6(1917)年、海軍兵学校を卒業(四五期)。昭和4(29)年、海軍大学校を首席卒業(甲種二七期)。フランス駐在武官、国際連盟海軍代表随員、ジュネーブ軍縮会議全権委員随員、軍令部参謀、海軍省人事局員、第二艦隊首席参謀、海軍大学教官等を経て、太平洋戦争開戦時は軍令部第一部(作戦部)第一課長(大佐)。戦時中は大淀艦長、南東方面艦隊参謀長等を歴任し、終戦時は軍令部第一部長(少将)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • さきん さん

    作戦部長の反省記といったところ。お坊ちゃんなところがあって艦長になったところを無邪気に喜んだり、フィリピン戦あたりからは、作戦に関わる文書がお題目みたいになったとか妙に軽いところがある。実際に本人が軽い人物なのか、あまりにも深刻な状況でそういったところで喜んで見せていたのか。解説にもある通り、語らずのところも多いようだ。数字はとくに開戦前には抑えられていたが、終わり方を描けないため、立てる戦略は常にアメリカの物量が増す前に叩く、各個撃破をし続けると都合の良いものになり続けた。

  • CTC さん

    7月の中公文庫新刊、単行本68年毎日新聞刊。開戦時の軍令部作戦部1課長で、終戦時の同部長である富岡定俊による手記。富岡少将といえば、対米戦での第二段作戦についての見解が印象に残り、視野の広い戦略家といったイメージがある。本書には、各所に引用される著者の“米豪遮断”戦略への見解(開戦2年で10倍となる米機が、広大な豪州から突き上げてきたら「ちょっとかなわない」)の原文も見られる。が、むしろ目を引くのは陸の参本と違って、海軍軍令部が出先の連合艦隊の作戦を主導できなかった事とその理由。言い訳がましくも聞こえる。

  • 新父帰る さん

    2018年7月初版。著者は開戦時に軍令部作戦課長、終戦時に軍令部作戦部長とそれぞれ重要なポジションにいた。現場にいた人の手記なので、なるほどとか、そうだったのかと頷きながら読んだ。陸軍と海軍が仲が悪いとか、ロンドン軍縮会議で条約派と艦隊派が対立していたとかはほとんどなかったと言う。特に注目すべき発言は山本五十六長官の真珠湾奇襲作戦についての軍令部が強硬に反対した事を全面的に否定。なお、太平洋艦隊司令長官キンメルは真珠湾奇襲の可能性について想定していたと指摘。戦艦ミズーリに海軍を代表して参列したのも著者だ。

  • くらーく さん

    どうなんだろうね。戦後20年経って書いたのでしょう。どうも、自己弁護、組織弁護の感が強いように思えるのだが。あと、引用が多くて、ご自身の事があまり書かれていないようです。 正直な感想を述べると、あのような国家の命運を握る戦争の時に、この程度の作戦部長しかいなかったのが残念です。秋山真之を望むのは無理としても。

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富岡定俊

明治30(1897)年、広島県江田島に生まれる。父は海軍中将・富岡定恭(男爵)。大正6(1917)年、海軍兵学校を卒業(四五期)。昭和4(29)年、海軍大学校を首席卒業(甲種二七期)。フランス駐在武官、国際連盟海軍代表随員、ジュネーブ軍縮会議全権委員随員、軍令部参謀、海軍省人事局員、第二艦隊首席参謀

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