米は神格化され、日本文化の中心に置かれているが、実はイモがその地位にいる文化も日本にはあるのだと論じた本。米を崇めながら日常では食べない文化やそもそもイモを神聖視する文化などグラデーションを描きながら存在し、必ずしも米がないからしょうがなくイモを食べている訳ではないことが示されています。それは米ヒエラルキーを前提にしたもので、日本にはイモヒエラルキーもあり得たということです。麦などはどのような位置づけだったのか気になります。本書の内容は幅広い応用の可能性を感じるもので、もっと広められるべきかと思います。