戦艦大和ノ最期 講談社文芸文庫

吉田満

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784061962873
ISBN 10 : 4061962876
フォーマット
出版社
発行年月
1994年08月
日本
追加情報
:
16cm,201p

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読書メーターレビュー

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  • もりくに さん

    総員3332名を載せて、僚艦9隻と1機も護衛もない「沖縄特攻」に出撃した「戦艦大和」は、米軍機の度重なる猛攻にあえなく九州沖で撃沈された。辛くも生還した者、わずかに280名。その一人、学徒兵の吉田満少尉は生還後、故郷で大和で見聞きしたことを語った。それを涙を溜めて聞いた父の友人、作家の吉川英治は「君はその経験を必ず書き証さなければならない。それはまず自分自身に対する義務であり、また同胞に対する義務である」と。それに応えて彼はが一晩で書き挙げたのが本書の初稿。第一行を書き下ろした時、文体はおのずと文語体。→

  • yoshida さん

    学徒出陣により東京帝大法学部から帝国海軍に入り少尉任官。副電測士として戦艦大和に勤務。昭和20年4月の沖縄突入作戦に従軍。大和は轟沈するも著者は生還を果たす。しかし、佐世保での入院治療の後、再度、特攻志願する。読みやすい戦記文学ではないが日本人として一読すべきと思う。兵学校出身士官と学徒出身士官の「死」についての論争。それを収拾する臼淵大尉の「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた(以下略)」言葉に考えさせられる。定期的に読みたい作品。

  • おたま さん

    日本最大の戦艦大和の最期に、士官として乗り込んでいた吉田満が書いた小説(?)。文語体で漢字とカタカナで書かれており、最初は読みづらいのだが、途中からあるリズムをもった長編詩のように思えてくる。非常に荘重なトーンの文章。大和が呉の軍港を出発して、撃沈されるまでを抑制された文章で描いていく。死と隣り合わせた乗組員たちの様子や心情を描いており、戦争の中での生と死について様々に考えさせてくれる。また、呉出港直後から、大和の中では対等な意見が沸き起こり、自分たちの出撃の意味について議論が続いたという。⇒

  • 傘緑 さん

    「哲人『スピノザ』が伝記…蜜の如く心を包む…活字に餓え、本屋をさ迷い血まなこに背文字を追い求めいる悪夢に悩みし」本書は終戦の直後に、著者・吉田満によって一日の内に書かれたもの。大和に乗った副電測士として、生き残った者として、戦争という極限状態に置かれた若き青年たちの、貴重な肉声を後世に伝える本。彼らは絶望的な状況を驚くほど冷静に分析し、死の恐怖を静かに堪えている。「われ、ただ伏して死するのみ、わが死の実りあらんことを願うのみ」「死を恵まれず、なお生を強いらるる人々よ、明日よりの日々を如何に堪え忍び給うや」

  • ジャズクラ本 さん

    ○全編カタカナ混じりの文語体。著者の吉田満は大和による特攻に出撃して生還した士官。従い、この本は一次資料であり国家のために自己犠牲を厭わない当時の特攻兵の心情が綴られている。それだけに刊行当時(1952年)は軍国精神鼓舞のものと相当叩かれたようであるが、反戦一色の論調が持て囃されるなかで、吉川英治や小林秀雄は正直な心中の吐露として賛辞を贈っている。戦後の感覚でこの本を評するのはナンセンスであり、当時の兵がどういった心境で特攻に向かったかの一記録としてはやはり貴重な記録だと思う。/渡辺清「戦艦武蔵の最期」

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吉田満

1923・1・6〜1979・9・17。小説家。東京生まれ。東京府立四中、旧制東京高等学校を経て、1942年、東京帝国大学法学部入学。43年に学徒出陣、44年に海軍予備学生となり東大を繰り上げ卒業、少尉に任官され戦艦大和に副電測士として乗艦。45年4月、沖縄特攻作戦に参加するも奇跡の生還を果たす。敗戦

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