支那論 文春学藝ライブラリー

内藤湖南

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784168130038
ISBN 10 : 4168130037
フォーマット
出版社
発行年月
2013年10月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
341p;16

内容詳細

「中国の民主化」は原理的に不可能なのか?

博識の漢学者にして、優れたジャーナリストであった内藤湖南。辛亥革命以後の混迷に中国の本質を見抜いた近代日本最高の中国論。

【著者紹介】
内藤湖南 : 1866‐1934年。明治から昭和初期の東洋史学者。本名は内藤虎次郎。陸奥国毛馬内村(現・秋田県鹿角市)生まれ。南部藩に仕えた儒学者の家系。秋田師範学校を卒業。『三河新聞』、雑誌『日本人』、『大阪朝日新聞』、『台湾日報』、『万朝報』などの記者として活躍。その間、中国問題について研究を深め、1907年、狩野亨吉によって京都帝国大学に講師として招かれ、東洋史学講座を担当、のち教授。唐と宋の間に時代的画期を見出し、中国の近世は宋代から始まった、とする説を提唱(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • 南北 さん

    1914年刊行の「支那論」と1924年刊行の「新支那論」を収録している。「支那論」では辛亥革命の熱気に著者が影響を受けているのがわかるが、それでも宋の時代から貴族がいなくなって「近代」になったのだという言説やウイグルやチベットが漢人たちに服属しないという指摘などは興味深く読めた。「新支那論」は10年しか経過していないのに中国に対して一種の諦観めいた視点で見ている印象を受けた。中国人として団結しないことを「砂のようだ」と言っていた孫文の言葉が想起された。漢籍を典拠とするため難しい点もあるが、読む価値はある。

  • Aminadab さん

    『清朝史通論』感想から続く。通論前半を読むと、チベットとかウイグルがどうして清朝の領土となり、朝鮮が属国となったか一発でわかる。また唐代半ばに貴族政治が皇帝独裁に変わってからの中国では、官僚は民間社会とは一切交叉しない、ひたすら公的資金から役得をむさぼって一代で財をなすだけの機構だ、という説は納得。だから王朝が代を重ねると宮中費がかさんで財政危機になり、明清交代はそれをご破算にするための変革、も納得。しかし「新支那論」の〈そういう中国の現状にどこの国もいずれは行きつくのだ〉論は面白いが説得はされなかった。

  • 軍縮地球市民shinshin さん

    著者は東洋学の京都学派の創始者。秋田師範学校を卒業した後、小学校教員、ジャーナリストを経て新設の京都帝国大学講師、2年後に教授。文学博士号まで取得しているが、湖南自身は大卒ではなく異例の学者である。湖南とは十和田湖の南に生まれたから号としたという。南部藩士の出である。元々はジャーナリスト出身だからか、湖南は講演を行って優れた速記者に記録してもらったのを元に著作とすることが多い。本書もその例にもれず、『支那論』は1914年の講演、『新支那論』は1924年の講演が元になっている。そのほかに中国情勢の時事評論も

  • サワ さん

    漢民族的な視点と、新疆、西藏、満洲、蒙古の四つの民族が懐く視点の差は興味深い。そもそも漢民族以外が統一への関心が薄いことを考えれば、現代の中国辺境部が安定しないことの説明がある程度つく。内部統一に成功した一方で、中央集権と財政の困窮から逃れられていない現状を加味すると、歴代の中国大陸が辿った運命と同じ轍を踏みそうだ…単に民主主義にすれば良いワケではないのが、安定化への道を難しくしている。

  • 筑紫の國造 さん

    京都大学で東洋史を講じた碩学、内藤湖南による中国論。幼少期からの漢学の素養に裏打ちされた中国への観察眼は、現代でも十分に通用する。ただし、やはり書かれた当時の時代を中心に論じているものなので、辛亥革命期の知識が多少なりともあった方がいいだろう。内藤の中国論は、どこかその後の日本の歩みを予言したような節がある。中国史に通暁したがくしゃだからこその希望と失望、そこから見出される展望は、未だに我々日本人に知見をもたらしてくれることだろう。

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