天皇はなぜ生物学を研究するのか 講談社プラスアルファ新書

丁宗鉄

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784062727198
ISBN 10 : 4062727196
フォーマット
出版社
発行年月
2011年06月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
丁宗鐵 ,  
追加情報
:
18cm,221p

内容詳細

“さかなクン”らに賛辞を贈られた天皇陛下は、我が国のトップレベルの生物学研究者。そもそも天皇はなぜ生物学を研究しているのか…。本書では「学問、スポーツ」と「皇族、貴族」の関係を探る。

【著者紹介】
丁宗鐵 : 1947年、東京都に生まれる。医学博士。日本薬科大学教授。東京女子医科大学特任教授。日本未病システム学会幹事理事。百済診療所院長。横浜市立大学医学部大学院修了後、北里研究所に入所。同研究所東洋医学総合研究所診療医長、研究部門長を歴任。この間、1979年から1981年まで米国スローン・ケタリング癌研究所に客員研究員として留学。その後、東京大学大学院医学系研究科生体防御機能学講座助教授などを経て現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • Miyoshi Hirotaka さん

    高貴な社会にはそれに相応しい学問、趣味、信条がある。学問では博物学。動植物や鉱物の研究は上流階級の嗜み。これは、顕微鏡が非常に高価だったり、収集、輸送、展示に費用がかかったりしたため。開国後、王侯貴族らと対等に外交ができる水準に追いつかねばならなかった。昭和天皇が生物学者として世界水準に達したのは、幼少からの興味関心だけではなかった。近代化の過程で国のかたちや天皇のありかたを決めることや皇室外交の戦略を構築することの一環だった。わが国が国際社会で名誉ある地位を占め続けるためには欠くべからざる重要インフラ。

  • inami さん

    ◉読書 ★3.5 これまで読んだ本の題名に「なぜ」という言葉が入っている本は何冊くらいあるか数えてみたら28冊も?あった。本書も「そう言われると、なぜなんだろう」と思い手に取ってみた。昭和天皇が生物学に興味を持たれるようになったのは、学習院の初等科の頃というが、のちに専門とした「ヒドロゾア(ヒドロ虫類)」という水中に棲む小さな生物が動物であることを突き止めるまでに。今上天皇(現在)は、魚類学の中でも、ハゼの分類学が専門。どうもイギリス王室や上流階級のありようを参考に、西園寺公望なる人物がお勧めしたようだ。

  • ゆうゆう さん

    生物学が西欧の上流階級のたしなみだから。学ぶためには高額の機材が必要で、入手出来るのはそれなりの財力のある者だけだった。と言ってしまえば簡単だが、それだけではないのは明白でしょう。生物学でも博物館学でも、学問を通じて帝王学に通ずるものがある。はぜ、なまず、最近はタヌキでしたっけ?単なるたしなみを遥かに超えているような、あの多忙な公務の間に、あぁ、忙しいと仕事を言い訳にするのは、もぅ…ごめんなさいです。

  • Daisuke Sato さん

    昭和天皇、今上天皇が生物学の大一級の専門家であられる事は周知の事実であるが、それに至る経緯を推測であるが西園寺公望の勧めであり、なぜ彼がそれに至ったかを解説してくれている。生物学を含む博物学は、ヨーロッパでは、音楽、美術などと同様に貴族階級の関心事であったとの事。今でも英語が列記とした階級社会である理由やノブレスオブリージュとの関係など興味深い話でいっきに読み進めた。

  • ありうす さん

     一・二章で皇室と学問の関係を紹介し、三章で仮説を披露、その後二章ずつで博物学と階級を書く構成で、本筋は理路整然として読みやすい。「歴史好き」の医「学者」という筆者の強みが生かされている。扱うのはあくまで実話だが、筆者が想像力で補完しているのが塩野七海女史の歴史小説みたいで興味深い。しかし小説とはまた異なり、ノンフィクションとフィクション、学術書と一般書の間に位置する、いうなれば200頁超のコラム。ツッコミ所もあり、脱線だらけで、タイトルの答は第三章を読めば足りる。しかし話題が多様で、だからこそ、面白い。

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人物・団体紹介

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丁宗鉄

昭和22年、東京生まれ。昭和47年、横浜市立大学医学部卒。昭和51年、横浜市立大学医学部大学院修了。昭和54年、北里研究所入所。この間、昭和54年より56年まで米国スローン・ケタリング記念癌研究所に客員研究員として留学。昭和57年、北里研究所東洋医学総合研究所基礎研究部部長。昭和61年、北里研究所東

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