完訳フロイス日本史 豊臣秀吉篇 5 「暴君」秀吉の野望 中公文庫

ルイス・フロイス

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784122035843
ISBN 10 : 4122035848
フォーマット
出版社
発行年月
2000年05月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
16cm,308p

内容詳細

フロイスの滞日三十年の経験から生まれた、織豊期の優れた日本人論。第五巻は、後陽成帝の聚楽行幸、ヴァリニャーノや遣欧少年使節の謁見、坂東の平定など、全盛期の秀吉を描く。日本六十六カ国の絶対君主となった、秀吉の野望は、遂に朝鮮侵寇(文禄の役)に至る。毎日出版文化賞、菊池寛賞受賞。

目次 : フランシスコ・ガルセスが、暴君(秀吉)に、その意図を思い留まらせ得るかどうか窺うために、贈物を携えて大坂に彼を訪れた次第/ 暴君関白が当1588年第5月に行なった祝典と偉業について/ 関白が坂東での戦争に勝利を収め、全日本六十六カ国の絶対君主となった次第/ 巡察師(ヴァリニャーノ)がインド副王ドン・ドゥアルテの関白に対する使命を帯びて長崎を出発し、都への旅路についた次第/ 巡察師の室における遅滞と逗留より生じた効果と利益について/ 巡察師(ヴァリニャーノ)が室を出発して大坂に上陸し、そこから都に向かった次第/ 関白殿に(インド副王からの)使命が伝達された次第、ならびに彼が巡察師とその同伴者一同に供した饗宴のこと/ 関白の宮殿(聚楽亭)とその結構、ならびに日本の建築物が我がヨーロッパのそれに優り、もしくは劣ることについて/ 関白が(副王)使節を帰らせるよう命ずるに決した次第、およびその時に彼が述べた幾つかのこと、ならびに(使節のことから)生じた利益について/ 関白が贈答品についてジョアン・ロドゥリーゲス修道士と語った諸事、および巡察師アレシャンドゥロ・ヴァリニャーノが関白の許へ齎した使命につき関白が抱いていた妄想を修道士が除去した次第〔ほか〕

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • それいゆ さん

    小豆島における高山右近の潜伏地については二つの説があります。遺跡や遺物が発見されていないので、「フロイスの日本史」や郷土史家たちの書いた資料からしか推測するしかありません。卑弥呼の邪馬台国は何処にあったのか?と同じように、潜伏地を想像することには歴史ロマンが感じられます。邪馬台国の1800年前に比べると、右近は400年前ですし、その場所も島の中の何処かだということがはっきりしているので、想像しやすいのです。実際に候補地を歩いてみれば、より身近になってきます。

  • rbyawa さん

    h003、進みつつあるキリスト教徒の締め出し(インド副王ってイギリス系かなぁ? ポルトガルとは南米支配を巡って揉めてる時期だったような)と、それを一時的に緩和させることになった秀吉の「朝鮮征伐」について。確かにちょいちょいキリシタン大名らの活躍を聞いてはいたものの、中央とはまた別系統の補給(博多と縁が深い)によってイエスズ会が支えていたというのは他で聞いたことはなくても納得の展開。ただ、フロイスさんはやっぱり政治には興味がないんだろうか…妙に曖昧だなあその辺。人に聞けば教えて貰えそうなものなのだけれども。

  • godubdub さん

    秀吉の朝鮮侵略を描く。国内では秀吉の計画に対していろいろ不満がありながら,結局誰も止められずに出陣するはめになる。秀吉の治世を想像するのに適した一冊

  • namoken さん

    晩年の秀吉のMADぶりが種々の描写から垣間見える。秀頼は当時から、世間的に秀吉の子じゃないと思われていたんだなあ。それも豊臣政権の正当性を傷つけていたわけか。しかし秀吉さんは、存命中に家康の力を削ぐことにもっと熱意を傾けるべきだったんでは……。

  • go725 さん

    フロイスの文章から、手に取るようにその時代の人々の暮らしがわかり、正直言って驚きました。秀吉の書物は数々あれど、すごくリアルに表現されていて、例えば聚楽第に関する記述など、まさに目の前にそれがあるかのような表現であり、タイムスリップしたような驚きを感じました。

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ルイス・フロイス

1532年(天文元年)、ポルトガルの首都リスボン生まれ。十六歳でイエズス会に入会。63年(永禄6年)来日。83年(天正11年)、日本副管区長から「日本史」の編述を命ぜられる。秀吉の伴天連追放令の後、マカオに退去したが再び日本に戻り、97年(慶長2年)、長崎で没する。長い布教活動を通し、信長との会見は

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