地元バルセロナのリセウ音楽院でピアノを学んだ後、1911年にエンリケ・グラナドスのフォーレ宛の紹介状を携えてパリに行き、パリ音楽院への留学を志すも断念。結局その地でイシドール・フィリップやフェルディナン・モット=ラクロワにピアノを師事する。同年、クロード・ドビュッシーやエリック・サティに強烈に影響された最初のピアノ曲集の第1部を書き上げる。極端に内気な性格だったため、演奏家として立つことを断念し、代わりに作曲に身を捧げることにした。1914年に第一次世界大戦を避けてバルセロナに戻り、最初の重要なピアノ曲集《内なる印象(Impresiones intimas)》や《魔法の歌(Cants M?gics)》、《子供の情景(Escenas de ni?os)》を書き上げる。