CD 輸入盤

交響曲全集 デニス・ラッセル・デイヴィス&リンツ・ブルックナー管弦楽団(11CD)

ブルックナー (1824-1896)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
88985483372
組み枚数
:
11
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


ブルックナー交響曲全集
デニス・ラッセル・デイヴィス&リンツ・ブルックナー管弦楽団


ドイツ・ソニーからデニス・ラッセル・デイヴィス&リンツ・ブルックナー管によるブルックナーの交響曲全集が登場。この全集は、ORF(オーストリア放送協会)によって、リンツ・ブルックナー管の本拠地であるリンツ・ブルックナーハウス大ホールで実際の演奏会をライヴ収録した音源を使用したもので、かつてARTE NOVAレーベルから単品リリースされていました。

【デニス・ラッセル・デイヴィスとヨーロッパ】
アメリカ生まれのアメリカ育ちで、ルチアーノ・ベリオ[1925-2003]のもと現代音楽バリバリだったデニス・ラッセル・デイヴィスが、ヨーロッパに移り住むきっかけとなったのは、ネーデルランド・オペラでの『ペレアスとメリザンド』の指揮でした。
 この公演はもともとベリオの親友でもあるブルーノ・マデルナ[1920-1973]が指揮する予定だったのですが、直前にマデルナが53歳で亡くなってしまったため、ベリオの弟子筋のデニス・ラッセル・デイヴィスに代役が依頼されたというものです。
 1974年にアムステルダムでおこなわれたその公演の聴衆の中には、高名な演出家のハリー・クプファー[1935- ]がおり、デニス・ラッセル・デイヴィスを気に入ったクプファーは、ヴォルフガング・ワーグナー[1919-2010]に連絡、ヴォルフガングは1977年にシュトゥットガルトでおこなわれたハンス・ヴェルナー・ヘンツェの反戦オペラ『われわれは川に来た』の上演に出かけてデニス・ラッセル・デイヴィスを高く評価、1978年のバイロイトで『さまよえるオランダ人』を指揮するよう依頼し、ハリー・クプファーの演出で3年連続で上演される大成功となります。
 このバイロイトの成功で注目を集めたデニス・ラッセル・デイヴィスのもとに、シュトゥットガルト州立歌劇場音楽総監督兼シュトゥットガルト州立管弦楽団音楽監督という重要な職務への就任要請が舞い込み、1980年にドイツに移住することとなります。
 その後、1996年にはオーストリアに移り、以後、現在に至るまで、コンサートやオペラの指揮に加え、夫人の滑川真希とのピアノ・デュオもおこなうなど幅広く活躍。

【デニス・ラッセル・デイヴィスとブルックナー】
ハイドン交響曲全集がベストセラーを記録、フィリップ・グラスの交響曲ボックスも話題となったデニス・ラッセル・デイヴィスの音楽は、古楽から現代音楽に至る豊かな演奏経験を反映した柔軟で視野の広いものです。
 このブルックナーの交響曲全集は、デニス・ラッセル・デイヴィスが2002年に音楽監督に就任したリンツ州立劇場のオーケストラである「リンツ・ブルックナー管弦楽団」を指揮したもので、オペラとコンサートの両方に手腕を発揮する楽員たちと共にブルックナーの楽譜に誠実に向きあい、適切なリズムと繊細なフレージング、声部バランスによって各パートが十分に聴こえる演奏を実現しています。
 楽譜のヴァージョンが多数存在するブルックナーの交響曲について、デニス・ラッセル・デイヴィスはそのすべてを指揮してみたいとも語っていますが、ここでは全10曲、レオポルト・ノヴァークが校訂した楽譜を使用し、ヴァージョンについては第4番と第8番のみ初期稿、ほかの8作品では一般的なヴァージョンを選んで演奏しています。


【ブルックナーとグラス】
デニス・ラッセル・デイヴィスの指揮した演奏は、細かな表現が隅々まで浸透しているのが印象的。これはデニス・ラッセル・デイヴィスが、フィリップ・グラスやルチアーノ・ベリオ、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、ジョン・ケージ、ウィリアム・シューマン、ウィリアム・ボルコム、アーロン・コープランド、マイケル・ナイマンといった作曲家たちと直接交流することで、楽譜に対して細部まで誠実に取り組む姿勢が標準化されてきたからではないかと思われます。
 加えて、オーケストラやオペラの音楽監督という立場から、楽員とのコミュニケーションの機会にも恵まれ、また、リハーサル時間も融通が利きやすいことから、解釈や表現方法について細部まで意思の疎通を図ることができ、リズムやフレージング、ダイナミクスについてごく小さな単位までアクセスすることが可能になっているのもポイントです。
 ブルックナーとフィリップ・グラスの作品では、反復的な技法が巨大な音楽空間に繋がるところに共通点がみられるとデニス・ラッセル・デイヴィスは語っています。そして、その実際の演奏に際して重要になるのが、反復形成の最小単位となる素材を的確に仕上げるということになると考えられますが、楽譜への取り組み姿勢、目標実現に向けての楽員との関係構築といった面で申し分ない状態にあるデニス・ラッセル・デイヴィスとリンツ・ブルックナー管弦楽団のコンビでは、その辺りが高い精度でクリアされていると考えられます。

【リンツ・ブルックナー管弦楽団プロフィール】
リンツ州立劇場のオーケストラであるリンツ・ブルックナー管弦楽団のルーツは、1803年、皇帝フランツがリンツ国立劇場を建設した時に遡ります。当時は上演時には検閲がおこなわれるなどしていましたが、1848年には皇帝フェルディナントが検閲を廃止、オペラや演劇が盛んに上演されるようになり、劇場オーケストラの出番も増加、1938年、ドイツによるオーストリア併合の際には、劇場オーケストラは、帝国大管区管弦楽団という名前で放送番組の仕事にも携わっていました。
 また、1950年代になると運営母体が、国からオーバーエスターライヒ州に移って、リンツ州立劇場となり、かつてNHK交響楽団の首席指揮者(1951-1954)だったクルト・ヴェス[1914-1987]が、1961年から1968年にかけて劇場のオペラ監督を務める一方、1967年からはオーケストラの指揮者となってシンフォニック・コンサートを本格化、1968年には地元由来の作曲家の名前を冠して「リンツ・ブルックナー管弦楽団」という名前に改称、1974年まで音楽監督を務めあげます。
 その後の音楽監督は、テオドール・グシュルバウアー(8年)、ローマン・ツァイリンガー(2年)、マンフレート・マイヤーホーファー(7年)、マルティン・ジークハルト(8年)、デニス・ラッセル・デイヴィス(15年)、マルクス・ポシュナーという面々で、デニス・ラッセル・デイヴィスの15年間が最長で楽員も130名近くまで増加しています。


【デニス・ラッセル・デイヴィス・プロフィール】
1944
●4月16日、オハイオ州エリー湖のほとりの町トレド(トリード)に誕生。

1947
●3歳でピアノで遊ぶようになり、メロディを弾いたりします。

1950
●6歳でピアノのレッスンを開始。教師はトレドのベレニス・マクナブ。

1961
●17歳でトレド交響楽団のコンサートでピアニストとしてデビュー。
●ジュリアード音楽院に入学。ロニー・エプスタインとサーシャ・ゴロニツキーピアノを学んだのち、指揮に転向しホルヘ・メスターとジャン・モレルに師事。

1968
●ジュリアード音楽院大学院在学中に、教授のルチアーノ・ベリオと共にジュリアード・アンサンブルを結成、指揮者としてデビューし、1974年まで指揮に携わります。
●ニューヨーク近郊のノーウォーク交響楽団の音楽監督に就任(1972年まで)。

1970
●サンタ・フェでルチアーノ・ベリオの作品『オペラ』を指揮してオペラ・デビュー。

1972
●ジュリアード音楽院大学院で音楽博士号取得。
●セントポール室内管弦楽団の音楽監督に就任(1980年まで)。

1973
●アスペン音楽祭に出演。

1974
●ネーデルランド・オペラの『ペレアスとメリザンド』公演で、急病のマデルナの代役として指揮。公演を見てデニス・ラッセル・デイヴィスを気に入った演出家のハリー・クプファーが、バイロイトのヴォルフガング・ワーグナーに連絡。ヴォルフガングは1976年のシュトゥットガルトでおこなわれたヘンツェのオペラ『われわれは川に来た』のドイツ初演に出かけてデニス・ラッセル・デイヴィスを高く評価、1978年のバイロイトで『さまよえるオランダ人』を指揮するよう依頼します。
●カリフォルニアのカブリージョ現代音楽祭に出演。

1977
●ヘンツェのオペラ『われわれは川に来た』をシュトゥットガルトでドイツ初演。イギリスの劇作家エドワード・ボンドのテキストに付曲した反戦作品。
●ニューヨークでアメリカン・コンポーザーズ・オーケストラを共同創設。初代音楽監督に就任(2002年まで)。
●ECMレーベルに、ピアニストとしてキース・ジャレットのリチュアルをレコーディング。

1978
●フィリップ・グラスと交流。
●バイロイト音楽祭に初登場。『さまよえるオランダ人』を指揮。演出はハリー・クプファー。1979年と1980年にも出演。

1980
●ドイツに移住。
●シュトゥットガルト州立歌劇場音楽総監督兼シュトゥットガルト州立管弦楽団音楽監督に就任(1987年まで)。

1983
●ハンス・ヴェルナー・ヘンツェの『イングリッシュ・キャット』をシュトゥットガルト州立歌劇場で初演。

1984
●フィリップ・グラスの『アクナーテン』をシュトゥットガルト州立歌劇場で初演。

1985
●ベルクの『ルル』をシカゴ・リリック・オペラで上演。

1987
●ボン・ベートーヴェン管弦楽団音楽監督兼ボン市立劇場音楽監督就任(1995年まで)。『サロメ』『魔弾の射手』『オテロ』からルー・ハリスン、アルフレド・ルリエの現代オペラまで上演。

1990
●ブルックリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督就任(1996年まで)。

1995
●ニューヨーク・フィル・デビュー。

1995
●シュトゥットガルト室内管弦楽団首席指揮者就任(2006年まで)。デニス・ラッセル・デイヴィスがシュトゥットガルト室内管弦楽団を初めて指揮したのは1989年でした。

1996
●ウィーン放送交響楽団首席指揮者(2002年まで)。

1997
●ザルツブルクのモーツァルテウムで開講。

2002
●リンツ・ブルックナー管弦楽団音楽監督兼リンツ州立歌劇場音楽総監督就任。

2003
●滑川真希とピアノ・デュオ結成(滑川真希とはのちに結婚)。

2009
●バーゼル交響楽団首席指揮者就任(2016年まで)。
●アメリカ科学芸術アカデミー会員に選出。

2011
●震災直後に来日。二期会で『フィガロの結婚』を指揮。

2012
●1月、リンツでフィリップ・グラスの交響曲第10番を初演。

2014
●フランス文化省より芸術文化勲章コマンドゥール授与。

2017
●1月、カーネギーホールでフィリップ・グラスの交響曲第11番を初演。
●リンツ・ブルックナー管弦楽団音楽監督兼リンツ州立歌劇場音楽総監督退任。2002年就任時の契約は5年でしたが延長に次ぐ延長で、15年間の長期契約となりました。


【収録情報】
ブルックナー[1824-1896]

Disc1
● 交響曲第0番ニ短調 WAB.100 [46:42]
使用楽譜:1869年/ノヴァーク版
録音時期:2008年11月23日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc2
● 交響曲第1番ハ短調 WAB101 [43:45]
使用楽譜:第1稿(リンツ稿)/1866年/ノヴァーク版
録音時期:2005年6月7日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc3
● 交響曲第2番ハ短調 WAB102 [58:39]
使用楽譜:第2稿/1877年/ノヴァーク版
録音時期:2005年2月22日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc4
● 交響曲第3番ニ短調 WAB103『ワーグナー』[57:17]
使用楽譜:第3稿/1889年/ノヴァーク版
録音時期:2005年2月27日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc5
● 交響曲第4番変ホ長調 WAB104『ロマンティック』[67:19]
使用楽譜:第1稿/1874年/ノヴァーク版
録音時期:2003年9月14日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc6
● 交響曲第5番変ロ長調 WAB105 [76:52]
使用楽譜:1878年/ノヴァーク版
録音時期:2006年11月16日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc7
● 交響曲第6番イ長調 WAB106 [63:26]
使用楽譜:1878年/ノヴァーク版
録音時期:2008年2月7日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc8
● 交響曲第7番ホ長調 WAB107 [63:42]
使用楽譜:1885年/ノヴァーク版
録音時期:2007年5月24日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc9-10
● 交響曲第8番ハ短調 WAB108 [80:02]
使用楽譜:第1稿/1887年/ノヴァーク版
録音時期:2004年3月10日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

Disc11
● 交響曲第9番ニ短調 WAB109 [59:35]
使用楽譜:1894年/ノヴァーク版
録音時期:2005年9月11日
録音場所:リンツ、ブルックナーハウス大ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

リンツ・ブルックナー管弦楽団
デニス・ラッセル・デイヴィス(指揮)

総合評価

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2000年代のブルックナー演奏、非常に見通し...

投稿日:2023/04/12 (水)

2000年代のブルックナー演奏、非常に見通しが良く、演奏の整理が行き届いているのが印象的である。旧来の少し団子状になった音響での演奏を楽しんでいた身としては、目から鱗が落ちた感である。1960年代のジョージ・セルの演奏した懐かしい第3番、第7番、第8番をもう一度聴き返してみようと思っています。とにかく、この全集はオーケストラの素晴らしい演奏です。

RN さん | 東京都 | 不明

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ブルックナーの交響曲はさんざん聴いてきた...

投稿日:2023/01/27 (金)

ブルックナーの交響曲はさんざん聴いてきたけれど、さまざまな演奏にそれぞれの魅力があり、同曲異演にふれるのはいつも楽しい。ラッセル・ディヴィスの本演奏もまた魅力に富んでいる。まずは録音のすばらしさに頬がゆるむ。ボックス・セットになりレーベルがArte NovaからSONYに変わったけれど、音質に変化はなさそうだ。演奏もまたみごと。聴き慣れた版ではないものも含まれているから、よけいに耳をそばだてずにはいられない。こんなメロディがあったのか、こんな音型ははじめてだなどと作品を再発見しながら、なんて美しいんだろうとうっとりし、なんてダイナミックなんだろうと興奮する。愉悦の境地、ここに極まれりだ。入門用と評している方がいるけれど、ブルックナー通に評価される演奏と感じられた。ひとことでいえば、絶品!

大沢夏男 さん | 兵庫県 | 不明

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初期の録音は第1稿を使用したりして、4番...

投稿日:2020/02/01 (土)

初期の録音は第1稿を使用したりして、4番、8番など指揮者の意欲を感じたが、だんだん後になるほど内容が落ちてきた感じがする。特に7番ではうるさい打楽器の音が耳障りだ。ああ、この人も凡人だったか、と溜息を禁じえなかった。シモーネ・ヤングと同じような進み方だ。彼女も第1稿を初期には愛用していたが7番ではノヴァーク版でガッカリしたのを思い出す。それほどこの人も8番は素晴らしかった。ティントナーに勝るとも劣らない気がした。いやライブ盤だったことを考えればこっちの方が良かったかも・・・。解説も気にいった。4番もそうだった。その時はこれはすごい指揮者が出てきたぞ、と思った。しかし後の曲を聴きはじめて、だんだん「全集のための録音」という気がしてきた。3番が特に落差が激しい。軽すぎるのである。ノヴァーク3稿はカットが多すぎて(くどさがなくて聴き易いという人もいるだろうが、世の多くの方はそう思っているのだろう)ブルックナーの苦労した跡が消されてしまっていて面白くない。全集として完成した功績を考慮して敢えて★3個にさせてもらいます。

mid-massa さん | 三重県 | 不明

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人物・団体紹介

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ブルックナー (1824-1896)

1824年:オーストリアのアンスフェルデンでヨーゼフ・アントン・ブルックナー誕生。 1845年:聖フローリアン修道院の助教師に就任。 1856年:リンツ聖堂及び教区教会のオルガン奏者に就任。 1866年:交響曲第1番完成。 1868年:音楽大学の教授に就任。 1869年:交響曲第0番完成。 1872年:交響曲第2番完成。 1873年

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