母の前で

ピエール・パシュ

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784000244879
ISBN 10 : 4000244876
フォーマット
出版社
発行年月
2018年10月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
224p;19

内容詳細

老いることで自分の母親は、遠くへと去ってしまう―。最後まで尊厳を保とうとする母親と向き合いながら、その人をその人たらしめているものとは何であるのか、人間の意識の境界を問いつづけた思索の日々を綴る。

目次 : 母の前で/ 内なるラジオ/ 独りでしゃべる/ 言葉の括約筋/ どのように脳は死ぬのか?/ 訪問のあとで

【著者紹介】
ピエール・パシェ : 1937年パリ生まれ。1962年古典文学教授資格を取得。1972年から2003年まで、パリ第七大学教員。2016年6月死去

根本美作子 : 1967年生まれ。1996年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士。現在、明治大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • ケイ さん

    作家が70歳ぐらいの時に、100歳の母について記したもの。日々記憶を失っていく、慕っていた母。きちんとした記憶を保てず言語すらあやふやになってゆく母に対峙することは、ある種の自省となる。時に息子を自分の弟と間違え、移住するまで住んでいたリトアニアの頃の記憶と混ざる。言葉も、母国語をまじえていくようになる。そして、日々身体が不自由になっていく人。それでも会いにいく。とても個人的な独白だが、私は95歳の祖母に5日とあけずに会いに行くから、彼を同志と思いながら読んだ。その同志は、3年前に79歳で亡くなっている。

  • らぱん さん

    思考や認識といった精神活動から人間を人間ならしめているものを思索する。70歳を越える著者が100歳の母親の老化を観察者となり描写する。その行為が献体さながら知への奉仕になればと自らを奮い立たせながら劣化していく人体の殊に観念的な機能の喪失プロセスからシステムを推量する。音韻に過ぎない発語や意味不明な言葉から言語と律動の関係を考察し、会話能力が壊れる過程に彼女の孤独を想う。 偶然でも噛み合う会話に在りし日の彼女の知性が窺われ、微笑の応酬が言語を越えた交歓となる様子に心を打たれる。密度の高い読書体験になった。

  • りつこ さん

    老いて自分のこともわからなくなってしまった母を前にして、あの聡明でユーモアに溢れていた母はどこへ行ってしまったのだろう、母を母たらしめていたものはなくなってしまったのか、それはいつから何がきっかけでどういう経緯で…。考えてもどうしようもないことのようにも思えるけれど、パシェは考え続ける。考えれば考えるほど辛くなるのではないかと思いながら読んでいると、それが決してそうではないということが後半になってわかる。感情を排した文章で書かれているのに、胸を打たれた。

  • ぶんこ さん

    100歳を超えた実母の老いを、70歳過ぎの息子さんである著者が綴る。つい最近99歳で大往生した私の母と重なる部分が多くて、辛い読書となりました。母に子どもと分かってもらえない辛さや、衰えていくばかりの様子を見る辛さがよみがえる。読んでいくと娘である私と、息子である著者との違いを感じる。かなり理性的に立ち向かえていると感じられました。100歳の親が、17〜8歳の娘にかえっている様を見ること。興味深いこともあるけれど、著者のようにはとらえられない。

  • mstr_kk さん

    自身若くないひとりの知識人男性が、非常に年老いた母の衰弱と言語喪失・記憶消失に立ち会いつづけながら、日記のように綴った哲学的エッセイです。静謐かつ真摯な思考が、高密度で展開され、とても読み応えがあって感動的です。孤独の中で言語と記憶を失っていく母は、ベケットの作品を思わせます。また個人的には、祖母の死を看取ったときのことを想起すると同時に、今まさにさまざまな言葉や動きを身につけようとしている息子のことを考えました。この本は、人生に必要な本かもしれないと思います。

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