ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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CD 輸入盤

交響曲第5番 バーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1959)(平林直哉復刻)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
GS2054
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
限定盤,輸入盤

商品説明

2010年10月歿後20年のバーンスタイン
作曲者から絶賛されたバースタインのショスタコ『革命』
オープンリール・テープより鮮やかに蘇る!

限定盤

【制作者より】
1959年8月、バーンスタインとニューヨーク・フィルは約8週間に渡るヨーロッパ・ツアーに出かけました。その途次である9月11日、モスクワで演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第5番は作曲者自身から大絶賛され、このニュースはたちまち全米を駆けめぐりました。10月に帰国した指揮者とオーケストラは、その熱狂と興奮をそのままに、わずか1日でこのディスクの演奏をセッション収録しました。演奏そのものは、とてもセッションとは思えないほど燃えに燃えたものですが、このディスクではその雰囲気が驚くほど生々しく再現されています。また、このディスクとほぼ同時に、上記のツアー途中で行われた8月16日のザルツブルク公演(ORFEOR819101)がオルフェオより発売されますが、それとの比較も興味が尽きないでしょう。

【解説書の内容】
大のバーンスタイン・ファンで知られるスポーツ・ライター、小説家の玉木正之さんに、バーンスタインとこの演奏に対する思いをたっぷりと書いていただきました。(以上、平林直哉)

【収録情報】
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 作品47

 ニューヨーク・フィルハーモニック
 レナード・バーンスタイン(指揮)

 録音時期:1959年10月20日
 録音場所:ボストン、シンフォニー・ホール
 録音方式:ステレオ(セッション)
 使用音源:コロンビア(U.S.A.) MQ375(オープンリール・テープ、19センチ、4トラック)

総合評価

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ロジンスキー盤(ウェストミンスター)と並ぶ...

投稿日:2019/05/16 (木)

ロジンスキー盤(ウェストミンスター)と並ぶ名盤です。それぞれの楽音に込められたパワーと言うかエネルギーが物凄いです。好き嫌いがあって当然なのかも知れませんが、何をもってこの演奏を「やり過ぎ」と一方的に批判されるのか、まったく理解不能です。炭酸の抜けたサイダーのような演奏をお聴きになっておれば、宜しいのでは?

紅茶キノコ さん | 東京都 | 不明

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「スピーディーで、ノリノリの演奏がいい。...

投稿日:2018/12/29 (土)

「スピーディーで、ノリノリの演奏がいい。」と言うが、これは、やり過ぎ。どう考えても、内部にのめり込むと言うようなレベルを超えている。これは、ショスタコーヴィチ交響曲だ。クールでも、内容にのめり込み過ぎても、演奏が破綻する。体制に表面的な迎合と内的な風刺がないぜめになった、ロシア的な表現方法が必要です。ショスタコーヴィチ交響曲の全曲を、理想的な演奏は望むべきでないが、だからこそ、自分の出来る1曲を最高の演奏を、望む。これは、バーンスタインの表現方法は、「爽快感を全面に、出している意味で、好き・嫌いの真っ二つに別れる演奏でした。」私は、やはり、やり過ぎと受け取る。

カニさん さん | 兵庫県 | 不明

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スポーティーな快感を味わうのにはこの上ない。...

投稿日:2011/08/18 (木)

スポーティーな快感を味わうのにはこの上ない。しかし、ムラヴィンスキーに代表される切実さは、この演奏にはない。スポーツライターの玉木正之氏は、バーンスタインの「檄速」に「爽快感」を覚え、ムラヴィンスキーの「テンポの鈍重なことと権威主義的重々しさにウンザリした」と書いているが、奇しくもこの言葉が当盤の全てを物語っているといえる。ムラヴィンスキーを「重い」と酷評する向きには、当盤は如何にも歯切れがよく、快速なテンポも心地好く感じられるだろう。しかし、だからといって、この曲を初め数多くの作品を初演し、また、旧ソ連の困難な時代を作曲家と生き抜いたムラヴィンスキーを、主観論で批判するのは如何なものか。むしろ、ムラヴィンスキーのように、圧倒的なスケールで金縛りに遭わせるような切実さがあってこそ、ショスタコーヴィチの真髄に迫れるのではないか。だからではないが、バーンスタインの解釈は、見方次第では、如何にも大衆受けを狙った、恣意的で、短絡的で、深みがないもののように感じてしまうのだ(勿論、若き日のバーンスタインならではの求心力は魅力的であり、一定の評価は可能なのだが)。もし宮〇誠氏なら、「アメリカン・ドリームを地で行く指揮者が、20世紀の陰の部分にはひたすら目を瞑り、ミュージカル映画のように分かりやすく興奮度の高い演奏を大衆に提供し、無知な大衆はそのスポーティーさに酔い、アドレナリンを放出した」云々と酷評するだろう(挙げ句、ヘルベルト・ケーゲルの怪演を絶賛するだろう)。玉木氏は「気持ちのいい音楽、聴き手をワクワクされる音楽が、いい音楽なのだ」というが、胸倉を掴まれるような、呆然と立ち尽くすような凄みのある音楽もまた、気持ちいい音楽以上に芸術的であり、感動的であり、後世に残すべき価値を有するものであるはずだ。無論、ムラヴィンスキーが全てではないし、まして鬱病になるために音楽がある訳でもない。バーンスタインもショスタコーヴィチその人を感動させるだけの演奏をしたくらいなのだから、どちらがどれだけ正しいかなど論じるだけ野暮である。こうなると、結局は個々人の好み次第ということになりそうだが、さて……。

遊悠音詩人 さん | 埼玉県 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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