オータサン (ハーブ・オオタ) プロフィール

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オオタ・サンの愛称にて本国のハワイは勿論の事、日本においても最も有名なウクレリストであるHarb Ohta(ハーブ・オオタ)。まだオオタ・サンのウクレレを聴いた事が無いといわれるあなたの為に、オオタ・サンのプロフィールを少しばかり紹介させて頂きます。

1934年、10月21日ホノルル生まれの日系アメリカ人である。7才の頃よりウクレレを始める。12歳の頃にマカハサンズ・オブ・ニイハウという当時人気のトラディッショナル・ハワイアン・バンドのウクレリスト、エディ・カマエに指導を受けつつその後もほぼ独学によってウクレレをマスターし、15歳でプロとしてデビューする。その頃彼のおばさんがレコード店を経営していたという恵まれた環境のもと彼は毎日いろんなレコードを聴いてスタンダードを覚えていったという。なんと毎日6時間もの練習をかかさなかった彼には、すでにレパートリーも千曲以上!

1953年から1963年、朝鮮戦争においての約11年間を米軍の海兵隊の通訳として韓国と日本に駐屯する。帰国後はレコードをリリースさせるべく本格的に音楽活動を再開させる。

1955年彼はエド・サリバン・ショー(そのずっと後1964年2月、Beatles(ビートルズ)も出演したアメリカのエンターテイメント番組)に出演し全米にても有名に....。 

1964年、初のレコーディング作品となる「鈴懸の径(すずかけのみち)」という曲を「SUSHI」というタイトルに変え(これはフラ・レコードの社長ダン・マクダミットのアイデアだとか)リリース、このシングルのB-Sideは"Bonsai(森の小径)”であった事実も見逃す事は出来ない(ので...ある)。このボサ・ノヴァ調のデビュー曲が大ヒット!当時ハワイにてウクレレのリーダー・アルバムをリリースさせるといったケースは殆ど無い状態の中オオタ・サンはハワイのミュージシャンのステイタスとも言われる、超一流ホテルにての演奏活動を続けていた、当時の彼は30歳。

1974年にはAndre Pop(アンドレ・ポップ)とのコラボレーションにてフランスでレコーディングされた"ソング・フォー・アナ”が世界中でヒットする、この作品は600万枚ものセールスを記録し、彼の名は更に世界中に広まる事に。

何度かの来日を経て、1993年に日本盤のアルバム、ウクレレの教則ビデオ等をリリース、以前より輸入盤にて話題となっていた事により更に人気に拍車がかかり、日本公演にても各地満席と大好評! ’96年5月にはジャズ界の大御所であるAnita O'day(アニタ・オディ)とのコラボレーション・アルバムSwing Time In Hawaiiをリリース、その後もTVにラジオにと大活躍。この頃には彼の奏でるウクレレが日本でCMに使用されたりとなにかと話題でもありました。また’96年に六本木プリンス・ホテルにて行われたコンサートでは、サンディー、シンガー・ソング・ウクレリストの山口岩男サザンオールスターズ関口和之の司会により共演、高木ブーが飛び入り参加した。後もGONTITI(ゴンチチ)渡辺香津美との共演でファン層を広げる。

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