エーリッヒ ファイグル

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ハプスブルク帝国、最後の皇太子(仮)激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯 朝日選書

エーリッヒ ファイグル

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784022630445
ISBN 10 : 4022630442
Format
Books
Publisher
Release Date
April/2016
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

ハプスブルク帝国最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンの波乱万丈の生涯を、豊富な史料と本人へのインタビューで明らかにする。1916年、4歳で皇太子となったオットーは、1938年、ナチの傀儡となることを拒んだためヒトラーから執拗に命を狙われる。帝国崩壊後、亡命の身で祖国復興に奔走。戦後処理では、ルーズベルトやチャーチルと連携してソ連に対抗し、オーストリアを西側にとどめた。戦後は欧州議会議員として欧州統合に尽力、ベルリンの壁崩壊につながる1989年8月19日のパン・ヨーロッパ・ピクニックを主催した。戦いに次ぐ戦いの生涯にみる、もう一つの欧州現代史。

目次 : 幼年時代 1912‐1929/ 青年時代 1929‐1940/ アンシュルス(ドイツによるオーストリア併合) 1938/ パリ 1939‐1940/ 挑戦し続けるオットー 1940/ 再びアメリカへ 1940‐1944/ オーストリア再興のための戦い/ 中央ヨーロッパの命運 1943‐1944/ モスクワ宣言発効 1944/ ハンガリー/ 第二次世界大戦終結後 1945‐1991/ 東西冷戦終結

【著者紹介】
エーリッヒ ファイグル : 1931年ウィーン生まれ。テレビドキュメンタリーの映像作家であり著述家でもある。ツィタ皇后とオットー大公に直接インタビューをし、また多くの資料を入手し、ハプスブルク家に関する著作やフィルムを数々作成。その優れた仕事に対して学問と芸術における栄誉賞を授与され、またウィーンの市民として金の栄誉賞も受けている。2007年死去

関口宏道 : 1941年生まれ。文学修士。松蔭大学教授。専門はドイツ現代史

北村佳子 : 1974年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専攻卒業。ゲーテ・インスティテュート東京上級クラス修了。ウェラ化粧品、コメルツ銀行東京支店などに勤務。ドイツ人役員や支店長の秘書として翻訳通訳業務を行う。2001年コメルツ銀行退職。現在はフリーランスとしてドイツ語の翻訳業務に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • 星落秋風五丈原

    サラエボ事件の後、ハプスブルグ家の名前は歴史の表舞台から消える。しかしハプスブルグ家自体が消えたわけではない。暗殺されたフランツ・フェルディナント大公の弟オットー・フランツ大公の長男であるカール大公、その長男として生まれたオットーへとハプスブルグ家の命脈は繋がった。では、ところがオーストリアという国自体は第二次大戦でヒトラー率いるドイツに占領されてしまった。宗主国を失った彼等はどのように生きたのか。ハプスブルグ家とは異なる形でヨーロッパの秩序を守ろうとした。

  • スプリント

    国を追われたハプスブルク家の皇太子がナチスに侵略され地図から消滅した祖国の為に奮闘する様が書かれています。第二次世界大戦終盤に米ソの狭間で翻弄される姿が切ないですが、欧州議会で独自の地位を確保できるのはさすが名門の家柄といったところでしょうか。

  • m

    時代の転換期に生まれたオットー大公。国を追われても命を狙われても、負けずに祖国回復のために文字通り奔走した。手紙からも弱音は一切吐かず諦めない姿勢がうかがえる。ハプスブルク600年の歴史も伊達ではない。平常時でも良い皇帝になれたことだろう。2011年まで存命で、日本にも何度か来たことがあると知り急に親近感が湧いた。

  • ミッキー

    地位にある者が信念を持った行動をとれば、社会を動かすことが出来るという事を示した内容。持ち場にあった行動が必要なのだと再認識させてくれます。参考になりました。

  • K・ITO

    オットーは全てのオーストリア人がスペインへイギリスへと脱出するよう手助けをした。陥落が迫るパリから脱出するための書類をもたない共産主義者たちが「革命的」社会主義者と全く同じようにそのホテルに来た。オットーが命を救うべき人々の出国許可のスタンプのない旅券と必要書類の大きな束をもって内務省に行ったとき内務省職員はきわめて現実的な質問をした。「貴方は出国許可のスタンプを押してもらっているのだから貴方には関係ないでしょう」。オットーの答えは簡単だった。「しかし沈みかかった船を最後に離れるのは船長です」(126P)

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