藤原良房・基経 藤氏のはじめて摂政・関白したまう ミネルヴァ日本評伝選

瀧浪貞子

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784623079407
ISBN 10 : 4623079406
フォーマット
出版社
発行年月
2017年02月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
394p;20

内容詳細

藤原良房(八〇四〜八七二)・基経(八三六〜八九一)平安時代初期の公卿。藤原冬嗣の次男として生まれた良房は兄の長良を越階して驚異的に昇進し、外戚として権力を掌握、応天門の変を経て人臣初の摂政となる。また、良房の養子となった基経は宇多天皇との間に阿衡事件を起こし、初の関白に就任する。藤原北家による摂関政治の礎を築いた二人の生涯に迫る。

目次 : 第1章 良房・基経のルーツ/ 第2章 覇権への道/ 第3章 承和の変と良房/ 第4章 人臣最初の“上皇”/ 第5章 摂政基経/ 第6章 基経と阿衡の紛議

【著者紹介】
瀧浪貞子著 : 1947年大阪府生まれ。1971年京都女子大学文学部卒業。1973年京都女子大学大学院文学研究科修士課程修了。京都女子大学文学部助教授、同大学教授を経て、京都女子大学名誉教授。文学博士。専攻は日本古代史(飛鳥・奈良・平安時代)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • 南北 さん

    人臣で初めて摂政になった藤原良房と初めて関白になった基経親子の伝記です。奈良時代から記述しているので、北家が奈良時代に華々しい活躍をしなかった理由がわかりました。また、嵯峨天皇が譲位を前提とした皇位継承を目指していたため、淳和天皇に譲位した後、淳和天皇の子を皇太子にしたという指摘は興味深いと思いました。著者は基経が自分の意に沿わないと朝廷に出仕しない点を批判的に描いていますが、基経の考えた政治理念が摂関政治につながっているという点を明示してもらえたら良かったと思います。

  • Tom さん

    良房、元経がメインだが、房前を祖とする藤原北家のファミリーヒストリーとも読める。同じ藤原一族の式家や南家、大伴氏や橘氏、さらに天皇上皇、外戚勢力と凌ぎを削りながらその地歩を固めていく。良房の代で人臣初の摂政となる。摂政とは上皇権の代役。承和の変で政敵を一掃し、恒貞を廃太子に追いやり、妹順子が生んだ皇子・道康親王(文徳天皇)を皇太子に立てる。そこには仁明系の存続を望んだ皇后・嘉智子との連携があった。阿衡事件などでたびたびサボタージュで意見を通そうとする元経を、著者はスケールが小さいと評価する。→

  • 鈴木貴博 さん

    人臣初の摂政になった藤原良房、その養子で初の関白になった基経の生涯。良房に至る藤原北家の歴史概観にも相当の頁を割いており、基経に至る北家史でもある。 どのような経緯で北家が藤原氏の主流となったか、その後千年続く北家による摂政関白独占の端緒がどのようなものであったのか、非常に面白く読んだ。

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