Ricky Martin
新商品あり

Ricky Martin (リッキーマーティン) プロフィール

Ricky Martin | プロフィール | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!

好む、好まざるは置いといて、ラテン・ミュージック界の枠を飛び越えて、世界的にラテン・ブームを巻き起こしたリッキー・マーティン。歌は勿論の事、ナイスなボディーでダンスはお手のもの、更にマスクは甘いし、もう言う事無し。アイドル・スターとしての条件を100パーセント(以上!)兼ね備えた今や貴重な存在とも言える人物。

Ricky Martin(リッキー・マーティン)ことEnrique Martin Morales(エンリケ・マーティン・モラレス)は1971年12月24日(クリスマス・イヴ...)、カリブ海に浮かぶ島、プエルトリコはサンファンにて誕生する。当然の事ながら生まれた時からそこはカリブのプエルトリコ、音楽に満ちた環境にてすくすくと育って行った(と聞く...)。そんな恵まれた環境の中リッキーは幼くして音楽に、芸能に?目覚め始めてゆくのであるが、6歳でテレビCMに初出演、その後も演劇、歌のレッスンにと大活躍、彼が2歳の時に両親は離婚しているのだがリッキーは母親と共に暮らしていた。

当時プエルトリコ出身の男子5人組み、お子さまアイドルのMENUDO(メヌード)が本国、アメリカ、その他のヒスパニック圏にて大ブレークしていた、リッキー坊やは10歳の頃から幾度かこのメヌードの新メンバーのオーディションを受けていた。MENUDOはスペイン語で“小さい〜”という意味でメンバーが大人になる前にメンバー・チェンジを余儀なくされるという、常にそのバランスを保つ為、声変わりはもちろんの事、青年ではメンバーとしての在籍は許されない。そんな正当派アイドル・グループであるメヌードのオーディションを受け続けたリッキーは3度目にRicky Melendez(リッキー・メレンデス)と交代で念願叶ってメヌードの一員になる。1984年、リッキーは12歳の時である。

メヌードに入隊?してからはテレビ、ラジオそしてツアーと大忙しの日々が続く。実は1985年には第14回東京音楽祭に出演する為に初の来日を果たしていた!日本ではチョコレートのCMにも出演していた....という最近のリッキー・ファンにはちと衝撃的な事実もあるのであるが、メヌードとして活躍した5年間、1989年の7月に立派にこのグループを卒業する。ハイ・スクールをプエルトリコにて終え、ニューヨークへ。

少しばかりニューヨークで過ごしたリッキーはメキシコへと移動、ミュージカル“Mama Ama El Rock"に出演する為であった、その他ではドラマ等にも出演していたらしい。

1992年、Sony MUsic Mexicoはリッキーと契約を交わす。ファースト・ソロ・アルバム“Ricky Martin"をリリース、リリース間もなく50万枚のセールスを記録する。この時点ではまだまだ嵐の前の静けさ程度。

1993年、セカンド・アルバム“Me Amaras"をリリース、こちらは即行チャート・インし、ラテン諸国においてプラチナ・セールスをも記録、同年ビルボード誌のベスト・ニュー・ラテン・アーティストにも選ばれている。その後活躍の場はハリウッドを経てロサンジェルスへ。

ロスにては人気のドラマにもレギュラーとして出演し歌と演技において活躍、どちらかというとこの頃は演ずる事の方がリッキーにとっては興味深いものなのであったのかもしれない。

1995年、サード・アルバム“A Medio Vivir”をリリース。このアルバムからインターナショナルなマーケットを意識して制作された事が伺える内容となっている、プロデュ−サーにはBoyz II Men(ボーイズ・トゥー・メン)Bon Jovi(ボン ジョビ)等のプロデュースでも知られるKC Porterが担当しリッキー本人も制作に携わっている。このアルバムからファンが急増した事は紛れもない事実ヒット曲の“Maria(マリア)"はこのアルバムに収録されている。まず意外な場所?フランスにて空前の大ヒットを飛ばす。あとは時間の問題、日本においてもこの頃はHMVの店先で“Maria"に対する問合せが炸裂していた。

1998年、4枚目のアルバム“Vuelve"をリリース、ワールド・カップの公式テーマ・ソングとなった世界的規模の大ヒット曲“La Copa De La vida(The Cup Of Life)"はこのアルバムに収録されている他、ディズニー映画“ヘラクレス”のテーマ・ソング“No Importa La Distancia"も収録。このアルバムにはメヌード時代の仲間Robi Rosaも制作にて参加。

“Vuelve"世界中にて大ヒット!’98年はワールド・ツアーも行われ、もはやこの時点においてリッキーはスペイン語であるからという特別なカテゴリーを払いのけたかのようにごく自然に各国のオーディエンスに受け入れられる。一昔の世代とは違って英語も喋れる新しい世代を象徴するかの様に、確かに今までのラテン圏のアーティストには無かったタイプとも言えるがその根底にはしっかりとしたカリブ魂を合わせ持っているのがリッキーなのだ。

さて1999年5月、初の英語アルバム“Ricky Martin"をリリース。モンスター的ヒット曲“Livin'La Vida Loca"がビルボード初登場1位獲得!(日本でもHIROMI GOによるカヴァーがヒット!)、同年、記憶にも新しいところのグラミー賞でのお姿、ベスト・ラテン・ポップ部門において授賞式会場でのパフォーマンス。実に堂々....と言いたいところなのだが、リッキーはごく自然にいつものパフォーマンスを披露、舞い上がっていたのは会場の方の様に伺えた、スタンディング・オベイション....拍手は鳴り止まなかった......。この会場で同じく受賞したMadonnaもリッキーの魅力にとリ疲れた一人、でこのアルバムにも“Be Careful(Cuidado Con Mis Crazon)"でデュエットを聴かせている。そして“Privat Emotion"ではMeja(メイヤ)ともデュエットを。そして何を隠そう(皆知っている...)この年、8/21にはHMV渋谷店にリッキー・マーティンがイベントの為来店する!2Fのイベント・スペースはかつて例を見ないほどのお客様と報道関係のスタッフで一部圧死寸前の悲鳴も聞かれたが、これまた自然な振るまいのリッキー、爽やかな風を振りまき大勢のファンに一人づつ握手をして帰っていったのが思い出される。「とにかく、休みがあれば家に帰りたいよ〜」と言っていたのも印象に残っている。

’99年8/21の渋谷店でのイベントの様子を振りかえる....

2000年に行われたワールド・ツアー、日本においては待望、初の単独公演となったリッキー・マーティンのライヴは9月〜10月と行われた。日本でのライヴの直後2000年11月にリリースされた“Sound Loaded”、このアルバム・リリースに先駆けシングル・カットされた“She Bangs”はもうリッキーの魅力が炸裂の頂点とも言える楽曲。音楽と共に注目したいのは一度見だすとぐいぐいと弾き込まれそうになるミュージック・ビデオ、このユニークな映像は前回の“リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ”のヴィデオ・クリップを監督したウェイン・イシャムという人物。やはりリッキー・マーティンの映像(及びライヴ)が加わるだけで盛り上がってしまう現実は誰も隠しきれないはず、この特別なオーラとフェロモンもやはり才能であると言いきってしまいたい。さてさて、すでに次のライヴ、そしてアルバムが待ち遠しいというあなた、じっとガマンで待ちましょう、ガマン出来ないというあなたは海外のツアーへお出向きくださいませ。

%%message%%