Ricky Martin(リッキー・マーティン)ことEnrique Martin Morales(エンリケ・マーティン・モラレス)は1971年12月24日(クリスマス・イヴ...)、カリブ海に浮かぶ島、プエルトリコはサンファンにて誕生する。当然の事ながら生まれた時からそこはカリブのプエルトリコ、音楽に満ちた環境にてすくすくと育って行った(と聞く...)。そんな恵まれた環境の中リッキーは幼くして音楽に、芸能に?目覚め始めてゆくのであるが、6歳でテレビCMに初出演、その後も演劇、歌のレッスンにと大活躍、彼が2歳の時に両親は離婚しているのだがリッキーは母親と共に暮らしていた。
1995年、サード・アルバム“A Medio Vivir”をリリース。このアルバムからインターナショナルなマーケットを意識して制作された事が伺える内容となっている、プロデュ−サーにはBoyz II Men(ボーイズ・トゥー・メン)、 Bon Jovi(ボン ジョビ)等のプロデュースでも知られるKC Porterが担当しリッキー本人も制作に携わっている。このアルバムからファンが急増した事は紛れもない事実ヒット曲の“Maria(マリア)"はこのアルバムに収録されている。まず意外な場所?フランスにて空前の大ヒットを飛ばす。あとは時間の問題、日本においてもこの頃はHMVの店先で“Maria"に対する問合せが炸裂していた。
1998年、4枚目のアルバム“Vuelve"をリリース、ワールド・カップの公式テーマ・ソングとなった世界的規模の大ヒット曲“La Copa De La vida(The Cup Of Life)"はこのアルバムに収録されている他、ディズニー映画“ヘラクレス”のテーマ・ソング“No Importa La Distancia"も収録。このアルバムにはメヌード時代の仲間Robi Rosaも制作にて参加。
さて1999年5月、初の英語アルバム“Ricky Martin"をリリース。モンスター的ヒット曲“Livin'La Vida Loca"がビルボード初登場1位獲得!(日本でもHIROMI GOによるカヴァーがヒット!)、同年、記憶にも新しいところのグラミー賞でのお姿、ベスト・ラテン・ポップ部門において授賞式会場でのパフォーマンス。実に堂々....と言いたいところなのだが、リッキーはごく自然にいつものパフォーマンスを披露、舞い上がっていたのは会場の方の様に伺えた、スタンディング・オベイション....拍手は鳴り止まなかった......。この会場で同じく受賞したMadonnaもリッキーの魅力にとリ疲れた一人、でこのアルバムにも“Be Careful(Cuidado Con Mis Crazon)"でデュエットを聴かせている。そして“Privat Emotion"ではMeja(メイヤ)ともデュエットを。そして何を隠そう(皆知っている...)この年、8/21にはHMV渋谷店にリッキー・マーティンがイベントの為来店する!2Fのイベント・スペースはかつて例を見ないほどのお客様と報道関係のスタッフで一部圧死寸前の悲鳴も聞かれたが、これまた自然な振るまいのリッキー、爽やかな風を振りまき大勢のファンに一人づつ握手をして帰っていったのが思い出される。「とにかく、休みがあれば家に帰りたいよ〜」と言っていたのも印象に残っている。