ピアノ・ソナタ第12、14、17、26番 バックハウス(1968年ザルツブルク・ライヴ)
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tsubakisara | 新潟県 | 不明 | 2012年12月19日
まさにバックハウスの演奏である。華麗ではない!綺麗でもない!ドルチェではけっしてない!でも、美しい!無骨な職人が鉄をハンマーで叩き、麻糸を節くれ立った指で紡ぐ。譜面をかみしめする演奏である。私は好きだ。2人の方が、このレビューに「共感」しています。
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tama | Vancouver | 不明 | 2008年08月06日
バックハウスの仕事の基本は変わらない。初期の録音ではなく、1950年代からの録音では基本は変わらない。彼は不味い材料を素晴らしい御馳走に変えることのできない料理人だ。つまり、最上の素材の「味」を活かす料理を作る。ここに聴かれる音楽は技巧的には問題があるが、それを超えて、作曲家の言葉といってよい音符が無理なく響く。ここには作為性がなく音が自然に流れる。素晴らしい。4人の方が、このレビューに「共感」しています。
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pianomania | 熱帯夜にアイスティ | 不明 | 2006年07月12日
誤解しないで欲しい。これはベートーヴェンの素材を通してバックハウスを聴く録音だ。音はあちこちで濁る。音的には美しい演奏ではない。打鍵・フレージング・リズムなども崩れている。力んでミスもしている。そこに切なさは覚えるが「ベートーヴェン」としての説得力はない。しかし、息の長い歌。長期間、毎日1時間の音階練習により培われた(記録あり)と思われる楽想に対する身体の感覚などに聴くものが多い。バックハウスそのものを聴く行為として初めて説得力が出る録音だ。決して美しいものではない。それを超えている。4人の方が、このレビューに「共感」しています。
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肉ポエム | 東京 | 不明 | 2006年05月28日
技巧的な面はスタジオ盤の新旧の録音の方が落ち着いておりそちらの方が立派である。録音もモノラルなので色面が前出してこないきらいはある。しかし、この枯淡な演奏はなんであろうか!「月光」の第二楽章を聴いて欲しい。少しも力んではいない。その達観した境地は孤高の美しさ、切なさを感じさせる。こんなに感じやすいバックハウスは正規録音ではあまり聴くことはできない。一音一音に意味があり、無駄な音響が一切無いのだ。一聴するとロマン的な印象も受けるがそういった括りを越えた説得力を持っている。ひたすら美しいベートーヴェンだ。3人の方が、このレビューに「共感」しています。
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ひのき饅頭 | 愛媛県 | 不明 | 2005年03月07日
例えば「葬送」の変奏が弾けてないとか、「月光」のプレストが苦しいとか、「テンペスト」がペダルの踏みすぎで音が濁るとか、欠点はいくらでもあります。でも、この演奏で聴けるものは本当に貴重です。まるで高座の落語でも聴いているかのような演奏です。音楽がまるで呼吸をするかのように流れます。それが分かる演奏です。呼吸は本当に大切です。音楽の本質は呼吸と言っても過言ではありません。音楽が呼吸そのものになって流れるような演奏は滅多に聴けるものではありません。万人に分かるものではありませんが、これは至高の「芸」でしよう。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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