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バッハ(1685-1750)

CD マタイ受難曲 カラヤン&ベルリン・フィル、シュライアー、F.=ディースカウ(3CD)

マタイ受難曲 カラヤン&ベルリン・フィル、シュライアー、F.=ディースカウ(3CD)

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  • ★★★★★ 

    jasmine  |  愛知県  |  不明  |  2023年11月18日

     カラヤンだけでなく凡そドイツ・オーストリア系の音楽家にとって、バッハは特別な存在なんだろうと思う。  カラヤンは、バッハの作品を、キャリアのごく早い段階から演奏してきた。実演の場でも、自らチェンバロを弾きつつ、愉しそうにブランデンブルグ協奏曲を指揮する姿が目に浮かぶ。そう、カラヤンのバッハは「美しく」「愉しく」「温かい」。  カラヤンが最初にブランデンブルク協奏曲を収録したのは、1964年の夏。ウィーンとミラノという欧州の二大オペラ・ハウスに加え、ベルリン・フィルとウィーン・フィル、ウィーン交響楽団、それにフィルハーモニー管弦楽団という要職を兼任し、《ヨーロッパ音楽界の帝王》と称されたカラヤンだったが、同年の5月にウィーン国立歌劇場の音楽監督を辞任し、生涯の伴侶と言うべきベルリン・フィルとの活動に集約せざるを得ない状況になる。しかし、ヨーロッパ各地を転々とする超多忙なスケジュールから解放されたカラヤンは、夏の休暇中には、ベルリン・フィルの主要メンバーを別荘のあるサンモリッツに招待し、その街の小さな教会で、小編成のオーケストラ向けの楽曲のレコーディングをおこなうのが慣例となった。その第一弾として採り上げたのが、バッハの管弦楽組曲とブランデンブルク協奏曲だった。本拠地ダーレムのイエス・キリスト教会で組まれるセッションでの緊張感溢れる雰囲気とは違い、もっとリラックスした、インティメートな空気感の感じられる佳演には他のどのレコードとも異なる魅力が横溢している。カラヤンは最後の砦=ベルリン・フィルとの絆を強固なものにすべく、休暇中にも行動をともにし、1970年代には自身をして「いま私とベルリン・フィルとは最高の状態にある」と豪語するほどの関係を築いたのであった。  マタイ受難曲は、70年代の半ば、カラヤンの絶頂期に、幾度にもわたるセッションの結果、彫塑に彫塑を重ねて完成させた名作である。ここに聴く音楽は、やはりカラヤンらしく穏やかで、温かい。しかし、サンモリッツで収録されたブランデンブルクとは違う。より「シリアス」でしめやかなもの。ダーレムのイエス・キリスト教会での緊張感に満ちた空気を感じる。  当時、「マタイ」といえばカール・リヒターの峻厳な音楽が正統とされていて、イエスが人間の犯した罪を一身に背負って磔になる受難の物語の理想的な再現として認識されていた。  それに対してカラヤンの「マタイ」は、イエスの《復活》、人類の《救済》を信じる「やさしさ」に満ちている。しかし、その「やさしさ」は、それを信じて疑わない、本来の意味での「強さ」に裏付けられるもの。カラヤンの「マタイ」には、そうした強さがある。  リヒターの「厳しさ」とカラヤンの「やさしさ」のどちらもがバッハの音楽の真実であり、これらはどのような角度で作品を見、解釈し、具現化するかの違いでしかないと思う。実際、リヒター盤も、カラヤン盤も、甲乙つけ難い名盤と言わねばなるまい。

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  • ★★★★★ 

    プリン  |  奈良県  |  不明  |  2017年06月21日

     カラヤンの独創的な名演と思う。ややゆっくり目のテンポ」で滑らかに進め、甘美な感じもある。  劇的な場面ではそのように演奏しているが、全体は抒情性に包まれている。 キリスト教の教義、イエスは人間の罪を肩代わりし磔になったのち、生き返り天に昇っつた。という内容にふさわしい。したがって悲劇的な面は強調されていない。リヒターとは、観点の違う演奏。

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  • ★★★★★ 

    johnbach  |  東京都  |  不明  |  2013年10月19日

    高校生の時、マタイ受難曲は欲しくて欲しくてしかたがなかった。70年代半ばの頃の話だ。特に評論家のなかでも名盤として誉れの高かったカール・リヒターのLPが。でも、当時4枚組1万円もしたマタイ受難曲をティーンエイジャーが買えるはずもなく(当時の1万円は物価水準からすると、今なら2倍以上の感覚だろう)かといって抜粋盤は買う気にはなれなかった。多くの評論家が購入は大変だろうが抜粋ではなく、キリストの受難は通して聴いて欲しいと言っていたがわたしも同感だったから。そんな頃、カラヤンのマタイ受難曲は4枚組、8000円で2割も安かったんです。購入するならカラヤン盤しかないなと思いつつ、やっぱり8000円は工面できず泣く泣くあきらめた思い出がある。結局マタイ受難曲を手にいれたのは、10年後のCD3枚組のヘルムート・リリング盤でした。いまでは、廉価になったリヒター盤も含め3種類のマタイを所有していますが、ここに、カラヤン1970Sを購入した結果、思い入れのあるカラヤンのマタイが加わった。改めて全曲通して聴いたが、これはこれで悪くはないな、こういうマタイがあっても良いんじゃないかなって言うのが率直な感想です。確かに、キリストや弟子たちの苦悩や悲しみ、劇的なドラマ展開は希薄な感じはしますが、ゆっくりしたテンポでレガート風に美しく音を紡いでいますね。ただ、もしあの時カラヤンのLPを買っていたら、これがわたしにとってマタイのスタンダードになっていたかも知れないと思うと、やっぱりあの時無理して買わなくて良かったのかなと言う気もします。初めに聴きこんだ演奏は後々まで大きな影響を及ぼしますからね。

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  • ★★★★★ 

    yyyk1080  |  愛知県  |  不明  |  2013年07月13日

    小学生時代だったかカラヤンのDG60年代録音の運命からクラシック の魅力にはまっていきました。やがてバッハの音楽に出会い 傑作のひとつ マタイ受難曲を聴こうとして本LPを買いました。その頃からレコ芸の 影響かカラヤンを少し離れるようになりました。結局マタイは新旧のリヒター盤 を購入しそれに夢中になってしまいカラヤン盤は全く聴かなくなりました。 今でもリヒター盤は自分にとって最高の演奏という評価は変わっていませんが。。 やがて年齢ともにカラヤンの音楽性を再認識するようになっていきました。 それでもマタイはリヒターやピリオド楽器の演奏を聴いていてカラヤン盤 に戻ることはなかった。最近ネットで見つけ何故か突然聴きたくなって 購入し、約40年振りに聴いてみました。 遅めのテンポでなんと高貴で美しいバッハがそこにはありました。非常に味わい 深いしドラマ性もある。。。さすがたなと思った。 歌手陣も最高のパフォーマンスを示していますね。 バッハの音楽の懐の広さとカラヤンの実力を再認識させられました。

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  • ★★★☆☆ 

    STRAD  |  千葉県  |  不明  |  2011年02月20日

    私の好みではないが、これはこれでいい演奏だろうと思う。マタイというと厳しい表現が当然のように求められるが、このカラヤンのようにゆったりとした叙情性が勝った演奏も決して悪いものではない。要すればバッハの意図しているものをどういう面から表現するかということで、正しい、正しくないの問題ではないのだろう。でもこのバッハの切実な大曲を、例の目をつぶったもっともらしい指揮で演奏しているのかと思うと、それはちょっと違うだろうという思いは否定できない。

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  • ★★★★☆ 

    karajan fan  |  北海道  |  不明  |  2011年02月02日

    とにかく美しいマタイ受難曲です。 これはこれでカラヤンのバッハ感なのかも知れませんが、彼の宗教曲(ヴェルディのレクイエムやブラームスのドイツレクイエムなど)は、どれも教会の美しいフレスコ画のようです。 アリアの一つ一つは慈しみをもって歌われており、それらをサポートするシュライヤーのエヴァンゲリストや合唱も宗教的というよりは音楽劇的な要素を際立たせています。 そのような意味では実に「人間味溢れる」演奏で、カラヤンはよく周りに「自分は孤独である」と漏らしていたそうですが、まさにその儚く脆い人間の心中を告白しているようでもあります。 私がマタイ受難曲を初めて聴いたのは、中学1年生の頃だったように記憶しています。 グラムフォンのレゾナンスシリーズでリヒターの抜粋盤でした。 「来なさい娘たちよ」ので出しからすでに雷に打たれたような衝撃を受けました。 その体験があまりにも印象深かったせいか、マタイと言えばリヒターというイメージが未だに強いですが、要はこのマタイ受難曲に何を求めるかなのではないでしょうか? キリスト教義的な考えを基にしたリヒター盤。 人間の感情を大宇宙で表現したクレンペラー盤。 そして音楽の美しさを追求したカラヤン盤。 各々のアプローチには多くの人を納得させるだけの深い解釈があり、どの盤も小生にとっては大事にしたいマタイ受難曲です。 多分、他の楽曲のように単純に演奏者を比較するには、あまりにもこの「マタイ受難曲」は音楽以外の(響きも含めて)要素が多くありすぎると感じています。 カラヤンがこの曲を録音する意義と必要性があったのか? と問われれば多分「No」なのかもしれませんが、カラヤンのマタイだからこそ聴く価値が生まれるのかもしれません。 叶わぬ希望を言えば、80年代後半にもう一度その心境下でこのマタイ受難曲を録音して欲しかったと思います。

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  • ★★★☆☆ 

    古楽器奏者  |  東京都  |  不明  |  2010年08月07日

    悪評高いカラヤンの『マタイ』。皆川達夫がカラヤンを好まないことはわかるが、磯山雅に至っては、鼻で笑うというか、軽蔑しきっていて、それを著書に書かれるのを読むのは不愉快だ。大編成オーケストラOK、テヌート奏法OK。カラヤンがこの大曲をどう処理するか、とても興味深い。

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  • ★★★★☆ 

    ERINA  |  不明  |  不明  |  2010年05月30日

    ことさらドラマチックに騒ぎ立てることなく、淡々と進むが、ここぞという聴かせ処に於ける美しさには感じ入る。独唱陣の充実ぶりがその要因の多くであることは疑い無い。有名なアリア「神よ憐れみ給え」でのルードヴィヒの絶唱は、いつ聴いても心の奥底に染みる。この部分はカラヤン盤がベストだと私的には感じる。

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  • ★★★☆☆ 

    一人のクラシックオールドファン  |  兵庫県  |  不明  |  2010年02月19日

    大曲「マタイ受難曲」をカラヤン指揮BPOが1972年から1973年の一年以上もかけた繋ぎつなき゜の収録であります(そりゃ豪華な独唱陣を見ればこの大曲には各人ずぅつと縛られるわけには行かずスケジュール調整が大変だった事と思います)。語り手・・・エヴァンゲリストはあの名手シュライヤー・・・シュライヤーは1970年マウエルスベルガー/LGHO、1971年リヒター/MBO(DVD盤)そして自ら指揮する1984年SKDOとこのマタイの福音史家を担当し私などヘフリガーに耳慣れた者にはやや突き放した雰囲気がしない気もしない感じがありますが安心出来る歌い手さんです。なお、カラヤンには1950年WSOとのライブ録音もこのマタイ受難曲として残されておりこちらの方は恐らく一発録りでしょうから繋ぎ化粧は原則無いはず?! さて、本盤演奏に戻りタイム的にはトータル約204分でやや長いかなというイメージ・・・たっぷり豪華に聴かせてくれます。マタイ受難曲と言うとどうしてもクレンペラー盤(1961年収録、約225分)やリヒター盤(1958年収録、約197分)と我々の世代は比較してしまいますがお互いスタンスが異なるのですからその違いは止むを得ない事だし私たちは夫々を聴く機会があるだけ幸せなのでしょう。サンプリングでタイム的な処に触れましょう。リヒター盤との比較タイムで行きましょう・・・。第1曲合唱「来なさい、娘たち、ともに嘆きましょう」今回カラヤン9’18(リヒター1958年9’50)・・・以下同要領表示、第6曲アルト「懺悔と悔恨の情が」5’22(5’50)、第20曲テノール・合唱「イエスのもとで目覚めていよう、さすれば私たちの罪は眠りにつく」5’18(5’23)、第39曲アルト「憐れんで下さい、神よ」7’12(7’45)、第49曲ソプラノ「愛の御心から救い主は死のうとされます」5’36(4’29)、第52曲アルト「この頬の涙が何の助けにもならぬなら」9’06(8’02)、第57曲バス「来るのだ、甘い十字架よ」6’52(6’26)、第65曲バス「私の心よ、おのれを浄めよ」7’26(7’08)、第67曲独唱・合唱「今や主は憩いへとお着きになった、イエスよおやすみなさい」2’22(2’30)、第68曲合唱「私たちは涙を流しながらひざまづき」7’18(6’24)・・・・・・・・・・・・といった具合です。矢張りカラヤンらしく聴かせ処の曲には充分タイムをとって情緒的な強調を施しておりそれはそれで良いのではないでしょうか。サンプリング曲でも例えば最終合唱「私たちは涙を流しながらひざまづき」の〆ののばしは否が応でもその余韻からある種の感激を誘うのではないでしょうか、とにかく演奏局面が分かり易いの一言です。大曲故長くじっくりいろんな演奏に接することをお奨めします。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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  • ★★★★☆ 

    nobunobuo  |  埼玉  |  不明  |  2009年04月19日

    世論が悪い演奏ですが、様式感や合唱の荒っぽさを除くと、真に素晴らしい演奏だと思います。またリアルにも感じます。 シュライヤーのエヴァンゲリストは多少冷淡に感じますが、受難には合う声質。 独唱陣も素晴らしい。 かつて聞いたフルトヴェングラーの不安定な演奏とは違い、良い音楽性を多く感じた。

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  • ★★★★★ 

    サラリーマン  |  東京都  |  不明  |  2008年07月12日

    昔からいろいろ言われている演奏ですが、ここでのカラヤンはバッハの音楽に奉仕していると言っていいのではないでしょうか。下世話な表現を使えば、カラヤンらしくない、あるいはカラヤンにしては、スッキリした演奏です。学友協会合唱団の素人っぽさも逆に民衆らしくこのCDでは気になりません。独唱陣とオケのソリストのレベルは当然のことながら万全です。演奏様式の点では何かと意見も出てくるでしょうが、マタイのCDとしてすばらしいものの一つ、もっともっと聞かれてよい演奏です。お金をかけた録音なのでしょうが、安いし大いにお薦めです

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  • ★★★☆☆ 

    SLD  |  千葉県  |  不明  |  2007年09月29日

    カラヤンという指揮者が素晴らしい功績を残した事は否定しないが、こと声楽曲に関してはあまり評価できない。とにかく独唱者、合唱団の選択の全くダメというこです。モツレクしかり、ヴェルレクしかり、カラヤンはあれだけ才能がありながら、声楽家へのセンスはなかったと感じる。レコード会社との関係で、他に選択肢がなかったということかもしれないが・・・。

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  • ★★★★★ 

    バッハ  |  千葉県  |  不明  |  2007年03月03日

    別の意味でこの演奏は美しく、素晴らしい。いやみなぶらいあん氏と鉄血桃太郎氏に共感する。どんなに技術革新しようと、実演とCD等の音源では音の聞こえ方が違うのだと思う。キリスト教徒でない私言うのも変だが、本来あるべき厳かで清楚な演奏だとCD等では音を拾い切れないのではないか?そういう観点から、この演奏は華美でややポップであるが、非常に解かりやすいものに仕上がっている。古楽器等のシンプルなCDでは、今ひとつピンと来ず、「ライブではきっとこうなるだろう」と想像で補って聴いている方にお薦めする。

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  • ★★★☆☆ 

    いやみなぶらいあん  |  世田谷区  |  不明  |  2005年11月03日

    皆川達男先生ではないが確かにこれはバッハではない?しかしながら鉄血氏曰くのようにこれは美しい演奏だ。私は素直に楽しむことができた。男声陣の歌唱も素晴らしいと思う。カラヤンもバカではないから春祭とは異なりこの曲を単なる音響設計の下書きにはしていない。パルジファルほどの成果はでていないがこれはこれで彼にしか出来ない演奏だ。美しいことは美しい。そう彼の魔笛の演奏の感じに近いかもしれない

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  • ★★★★★ 

    鉄血桃太郎  |  yamanasi  |  不明  |  2004年10月26日

    この録音はかつてアンチ・カラヤンやまじめくさったバッハ学徒や原理主義的バッハ・マニアの糾弾の的になった。だが私はマタイをこれほど美しく面白く聴かせてくれた演奏は他にはないと思っている。この曲の最高の指標はリヒター(旧盤)とクレンペラーだが、それらとは別にマタイという曲の可能性と音楽的豊かさを開示した演奏だと思う。ベルリンフィルの演奏、シュライヤーやディースカウの名唱など実に見事だ。囚われない音楽思考の人々にお薦め。

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