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シューベルト(1797-1828)

SACD シューベルト:交響曲第8番『未完成』、ハイドン:交響曲第104番『ロンドン』 カラヤン&ベルリン・フィル(1975)

シューベルト:交響曲第8番『未完成』、ハイドン:交響曲第104番『ロンドン』 カラヤン&ベルリン・フィル(1975)

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    jasmine  |  愛知県  |  不明  |  2024年01月10日

     これは驚くべき《未完成》だ!  シューベルトというと、ワルターやベームを思い浮かべても、カラヤンの名を挙げる評者は少ないのではないか。最近は古楽器を用いたHIP演奏に主流が移行てしまったかの感もあるが、改めてワルターの《未完成》やフルトヴェングラーの《グレイト》を聴くと、やはり感動する。個人的には《未完成》ならばケルテス、《グレイト》ならばセルやベーム(ベルリン・フィルとの旧盤)も忘れ難い思い出がある。HIPには、なるほどと感心はするけれども、私が感動するのは伝統的、伝説的名盤の方だ。  広範なレパートリーを誇るカラヤンだったが、ことシューベルトに関しては「難しい」と語っていた。カラヤンが商業録音として初めて取り上げたシューベルトの作品は《グレイト》で、1946年の収録とかなり早い時期からレパートリーとしていたが、これは当時EMIのカタログになかった演目を網羅するという意味合いが強かったようだ。来日公演のプログラムにも《未完成》は載せても、他の作品が組み入れられることはなかった。フィルハーモニア時代に《未完成》と第5番が、ベルリン・フィルとは《未完成》と《グレイト》がリリースされたが、これもカタログの充実の為であったと思われる。  もちろん、カラヤンが演奏して悪かろうはずはないのだが、正直言って「カラヤンでなければ」というような決定的な魅力を、私は見出し得なかった。  ところが75年に《ロンドン》との組み合わせで《未完成》が突如リリースされる。「カラヤンの新譜だから、一応は聴いておくか」といった気持ちで針を落としたのであったが、これが驚嘆すべき演奏で、何度も聴き返したのを思い出す。それまで聞き馴染んできたどれとも違う決然とした表現に、《未完成》交響曲という楽曲のイメージを根底から覆されたのだった。  3年後にカラヤンはシューベルトの交響曲をすべて収録することとなるが、何か期すものがあったのであろうか? はたまたEMIの営業戦略上の要望に応えたものだったのか?  カラヤン自身「難しい」と語っていたシューベルト。それでもカラヤンが振れば並大抵の演奏では終わらない。初期の作品も《グレイト》も、極めて充実している。ただし《未完成》の水準には及ばない。流石に長年にわたって弾き込んできただけのことはある。この名盤がSACDでリイッシューされたのは快挙といえるが早くも絶版となった。誠に残念なことである。今は通常のCDを探すしか手立てはない(音質は落ちる)が、それでも聴いてみる価値はある。未聴の方は、是非聴いてみて欲しい。きっとこの魅力に打ちのめされることと思う。

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    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年05月19日

    本盤には、シューベルトの交響曲第8番「未完成」とハイドンの交響曲第104番がおさめられている。先ずは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」であるが、広範なレパートリーを誇ったカラヤンとしても、シューベルトは必ずしも得意とはしていなかった。カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番「ザ・グレイト」に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられているところだ。実際に、レコード芸術誌の「名曲名盤300選」などにおいても、シューベルトの交響曲第8番「未完成」の名演として、カラヤン盤を掲げた著名な音楽評論家が皆無であるというのも、いかにカラヤンのシューベルトの評価が芳しいものでないかがよく理解できるところだ。しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いと言えるのであろうか。本盤におさめられたシューベルトの交響曲第8番「未完成」は、カラヤンによる唯一のシューベルトの交響曲全集からの抜粋である。そして、カラヤンはこの両曲をその後一度も録音しなかった。実際には、カラヤンによる最後の録音となったブルックナーの交響曲第7番(1989年)に併せて同曲も録音する予定であったとのことであるが、それを果たすことなく鬼籍に入ってしまった。したがって、本演奏は、いずれもカラヤンによるこれら同曲の究極の演奏と言っても過言ではあるまい。そして、その演奏内容は、他の指揮者による名演とは一味もふた味も異なる演奏に仕上がっていると言える。本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになると言えるのかもしれない。したがって、シューベルトらしさと言った観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。また、同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあると言えるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句を言えまい。なお、カラヤンはベルリン・フィルとともに、同曲を1964年に録音しているが、本演奏のような美の世界への追及の徹底度がやや弱いきらいがあり、私としては本演奏の方をより上位に掲げたい(カラヤンを好まない聴き手には、これらの旧盤の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである。)。いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。一方、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」は、カラヤンが得意中の得意としていた楽曲だ。スタジオ録音だけでも、ウィーン・フィルとの演奏(1959年)、そして本盤のベルリン・フィルとの演奏(1975年)、更には、ベルリン・フィルとのロンドンセットの一環として録音だれた演奏(1980年)の3種を数えるところだ。これにザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルとの演奏(アンダンテ)なども含めると、現時点で4種もの録音が存在していると言える。いずれ劣らぬ演奏であるが、私としては、オーケストラの音色からしてウィーン・フィルとのスタジオ録音を随一の名演として掲げたいと考えている。もっとも、本盤の演奏も、全盛時代のカラヤン&ベルリン・フィルの凄さを感じさせるものとしては、ウィーン・フィルとの演奏に肉薄する極めて優れた名演と高く評価したいと考える。近年流行の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏とは大きく異なり、重厚でシンフォニックな演奏ではあるが、同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、現代においても十二分に通用する名演奏と言えるのではないだろうか。このような名演を聴いていると、近年において、ハイドンの交響曲の人気が今一つであるというのも、演奏のせいではないかと思われてならないところだ。音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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    masato  |  新潟県  |  不明  |  2012年02月20日

     しなやかな『未完成』,美しい『未完成』…ほんと,これ以上何が必要だろう…。未完成…? え? これ未完成な作品なの? とまで感じてしまう演奏。これほど完成された未完成を私は知らない。カラヤンの作り出す美に対して,精神性云々を言う人もいるが,これほど美しければ文句の言いようもないでしょ…と返したくなる。SACD化によるほぼ完璧な化粧(?)も見事に決まり,ほんと,文句の付けようのないアルバムに仕上がった。  『ロンドン』は序奏からして,作りがちょっと豪快すぎるかなぁ…。この余りの大交響曲ぶりに,さすがにちょっと退いてしまいました…。が,こちらも美しいことには変わりない。ただ,ひたすら美しく演奏することに向いた作品かどうかってことだろう。ハイドンの作品には,やっぱり“素朴”な,“朴訥”とした美しさが似合うと思います。でも,ここまでしっかりと美しく演奏されてしまうと,否定などできるはずもない…。  街で美女を見かける…恥ずかしいとは思いながらも目が離せなくなってしまう…好みのタイプじゃなかったとしても,仕方のないことですよね…。

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    ピジョンバレー  |  東京都  |  不明  |  2012年01月25日

    SACDの評ではないので恐縮だが、この「未完成」は素晴らしい。遅いテンポで歌って歌って歌い抜いている。この録音の後、カラヤンのライブがFMでいくつかオンエアされたが、これを上回る演奏はなかった。個人的には、ワルター/ニューヨーク、テンシュテット/LPOの大阪ライブとベスト3を成す。いずれも遅いテンポでの名演。最近快速な演奏がもてはやされているが、じっくり聴かせる演奏も見直されてよいと思う。

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