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ワーグナー(1813-1883)

DVD 『ニーベルングの指環』全曲 ヘアハイム演出、ラニクルズ&ベルリン・ドイツ・オペラ、シュテンメ、ヒーリー、他(2021 ステレオ)(7DVD)(日本語字幕付)

『ニーベルングの指環』全曲 ヘアハイム演出、ラニクルズ&ベルリン・ドイツ・オペラ、シュテンメ、ヒーリー、他(2021 ステレオ)(7DVD)(日本語字幕付)

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    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2023年11月05日

    「ヘアハイム最初の躓き」などとドイツの批評では貶されたが、いや全然ありでしょう。確かに四部作全体を貫く二つの基本コンセプトがあまりうまく機能していないことは私も認めよう。 1)『ラインの黄金』冒頭に出てくるのは、トランクを抱えた着の身着のままの避難民たち。ドイツ人なら第二次大戦後、ソ連やポーランドに割譲することになった東方領土からの引き揚げ者をイメージするだろう。その後、60年代ヒッピー風のジークムントを経て、『黄昏』のギービヒ家の面々や群衆は完全に現代のファッション。つまり、『指環』物語内の時間経過と戦後ドイツの歩みを重ね合わせようというわけだ。トランクはフンディング家、ミーメの家の壁を形作るなど、以後の舞台美術で活用されるし、群衆(元避難民)は『ジークフリート』最終場で主役カップルの心理を先取り、増幅したりするのではあるが、資本家(神々族)/中産階級(巨人族)/プロレタリアート(小人族)という定番通りの階層区分と併せて、シェロー演出へのオマージュとしても、もはや陳腐と言わねばなるまい。 2)最初から最後まで舞台上にグランドピアノが置かれ、人物達はしばしばピアノの鍵盤で弾きまねをし、総譜を開きながら歌う。こうすることで、舞台からは観客に、あなたが見ているのは現実じゃない、音楽劇の上演なんだというメタメッセージが発せられ続ける。メイキングで(余談ながら、メイキング映像にも日本語字幕があるのは感心。オペラ本編の字幕も上出来だ)演出家は「観客の現実逃避を妨げるため」と述べている。ピアノの中はセリになっていて、多くの人物がここから出入りするし、ピアノの中はブリュンヒルデの眠るベッド、ジークフリートの棺にもなるのだが、だから何なのよと問い詰められると、どうも苦しいか。 けれども、以上の二点を除けば、演出はほんのちょっとした小ネタに至るまで実に周到に考えられており、ここぞというクライマックスの見せ方のうまさ、いつもながらの音楽とアクションのシンクロ度の高さはさすが。『指環』上演史上でも屈指の名舞台と評価できる。以下、良いと思うところを列挙。 1)『ラインの黄金』では例の避難民の一人が白塗りの化粧をしてアルベリヒに「なってゆく」が、白塗りのクラウン(道化)とはつまり「ジョーカー」。一方、ローゲは20世紀の名優、グスタフ・グリュントゲンス演ずるメフィストフェレスのイメージだ。ラインの黄金自体は金色のトランペットで、アルベリヒがそれで黄金のライトモティーフを吹くまねをする、エンディングではノートゥングのモティーフのところでヴォータンが剣を取り出し、投影されたトネリコの樹に突きたてるなど、ライトモティーフとアクションのシンクロは見事。 2)『ワルキューレ』はすでにフンディングとジークリンデの間に男の子があり、彼女はジークムントと逃げる際に、この子を殺さねばならなかったという読み替え設定。ジークムントの子がお腹にいると知らされるまでの彼女の罪責感は異常で、われわれには理解できないが、これで了解しやすくなった。 3)『ジークフリート』のミーメはベックメッサーと並んで、ワーグナーによるユダヤ人カリカチュアの典型とされているが、この演出ではベレー帽をかぶった作曲家本人の肖像画通りの風貌になっている。ワーグナー自身にユダヤ人の血が入っているのではという疑惑もかねてから囁かれているわけだが、これはこの作曲家の反ユダヤ主義に対する痛烈なしっぺ返し。 4)『神々の黄昏』第1幕第2場のモノローグをハーゲンが歌い終えると、アルベリヒが出てきて息子の顔におしろいを塗る。ハーゲンは客席に降りて、最前列中央にいたヴァルトラウテと交代。そのまま客席で第1幕終わりまでの出来事を見ることになる。第2幕第1場のアルベリヒとハーゲンの対話は舞台と客席の間で行われ、その後、ようやく舞台に戻ったハーゲンは「ジョーカー」の顔になっている。第4場の修羅場ではブリュンヒルデが「神々よ」と叫ぶところで舞台後景にいるヴァルハラの神々たちが見えるようになり、槍の穂先での宣誓はハーゲンが奥のヴォータンの所から取ってきた、折れたグングニルで行われる。このあたり、実に良く出来ている。葬送行進曲ではノートゥングのモティーフのところでハーゲンが剣を取り、ジークフリートの首を切り落とす。「自己犠牲」では、ブリュンヒルデが「父よ、安らいでください」と歌うところでヴォータンが後景から降りてきて、ピアノの前に座る。最後の箇所など、当然そうあるべきなのに、これまでそういう演出がなかったのが不思議なほどだ。 さて、歌手陣について。『ラインの黄金』は全員が歌、演技ともうまく、全体としては最も水準が高い。『ワルキューレ』以降は玉石混淆。それでもステンメのブリュンヒルデがついに三作通して見られるのは有難く、いわば救世主のように公演全体に君臨している。『ワルキューレ』以後のヴォータン、パターソンは小物感を払拭できないが、それでもなんとか健闘。ジョヴァノヴィチ(ジークムント)はキャラとしては合っているが、声自体の輝きが欲しい。タイゲ(ジークリンデ)はしっかり歌えてはいるが、印象薄い。2020年に歌ったダヴィドセン(第3幕の一部のみネット上で見られる)の方が遥かに上だった。愛嬌ある巨体の持ち主、クレイ・ヒーリーには従来ならこの悲劇のヒーローに求められたはずの「陰影」や「深み」がまるでない。しかし、ジークフリートは大人になり損ねた主人公であり、悪ガキのままで殺されてしまったのだと考えれば、こういう役作りもあり得るか。ペーゼンドルファー(ハーゲン)は荒っぽいが、演出のおかげでずいぶん得をしている。 ラニクルズの指揮は中庸なテンポで、低回趣味とは無縁。しかし劇場的な嗅覚はとても鋭く、一昔前の指揮者ならショルティのようなセンス。この大作を味わうのに不足はない。

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