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マーラー(1860-1911)

CD 交響曲第6番『悲劇的』 アバド&ベルリン・フィル

交響曲第6番『悲劇的』 アバド&ベルリン・フィル

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検索結果:70件中1件から15件まで表示

  • ★★★★★ 

    カズニン  |  東京都  |  不明  |  2013年11月15日

    滑らかで流麗な演奏と録音です。

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  • ★★★★★ 

    51さい  |  北海道  |  不明  |  2011年10月13日

    ジャケットがかっこいい。マーラーは曲が長いのに一枚で収まっているのがいい。途中でCDを変えなくててよいのでBGM的に聞けます。全部集中して聞くのは大変です。流して聞いてると所々にとってもきれいなメロディーや迫力ある場面にでくわします。へんてこりんな場面もあります。で、だんだんマーラーが好きになります。第2楽章(アンダンテ)をリピートして聞くのが好きです。このCDはダイナミックレンジが広いので小さい音にボリュームを合わせておくと盛り上がった時に大音響になってしまいます。でも小さい音の場面にくっきりと珍しい楽器の音が聞き取れるのでおもしろいです。机の両端にスピーカーをおいて内ぶりにするニアフィールドで聞くと低いボリュームでもOKです。ハンマーが近づいてきたら椅子を後ろに下げましょう。演奏は素晴らしいです。リスニングルームでおっきなスピーカーで聞いてみたいです。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年08月21日

    本盤におさめられたマーラーの交響曲第6番は、DVD作品を除けば、アバドによる3度目の録音ということになる。最初のものは、ウィーン交響楽団とのライヴ録音(1967年)であり、デビューしたばかりの若きアバドならではの渾身の大熱演であった。これに対して、2度目のものはシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1979〜1980年)であり、これはある意味ではアバドが最も輝いていた時期の演奏。持ち味である歌心溢れる豊かな歌謡性と強靭な気迫や生命力が融合した稀有の名演に仕上がっていたと言える。これに対して、本演奏は2004年のライヴ録音。これまでの2度にわたる演奏とは一線を画する円熟の名演に仕上がっていると言える。本演奏の最大の優位点は、演奏全体を支配する奥行きの深さである。アバドはベルリン・フィルの芸術監督を退任する少し前の2000年に大病を患うことになった。そして、アバドはその大病を見事に克服するのであるが、死と隣り合わせの苛烈な体験を経たことによって、アバドの芸風には、それまでの演奏にはなかった凄みと底知れぬ彫の深さが加わったと言えるのではないだろうか。ベルリン・フィルの芸術監督に就任して以降は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始していただけに、その変貌ぶりには驚くべきものがあったとも言える。したがって、本演奏には、これまでの2度にわたる演奏には存在しなかった楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫の深さが存在しているというのはある意味では当然であり、正にアバドによる円熟の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。もっとも、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な迫力という意味においては、シカゴ交響楽団との2度目の録音と比較するといささか見劣りするとも言えなくもないが、むしろ、このように決して喚いたり叫んだりしない、そして奥行きの深い演奏の中にも持ち前の豊かな歌謡性をより一層際立たせたいい意味での剛柔バランスのとれた演奏こそが、アバドが目指す究極のマーラー演奏の理想像とも言えるのかもしれない。なお、アバドは、これまでの2度にわたる録音とは異なり、国際マーラー協会の見解に従って、第2楽章と第3楽章を入れ替えるバージョンで演奏しているが、これはいかにも新しいもの好きのアバドならではの解釈であると言える。ベルリン・フィルも、このような深みと凄みを増したアバドによる確かな統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを示していると評価したい。録音については、数年前に発売されていたマルチチャンネル付きのSACDがベストの高音質である。当該SACD盤は現在でも入手可であり、可能であれば、当該SACD盤の入手をおすすめしたい。なお、最近では、シカゴ交響楽団とのスタジオ録音がSHM−CD化されるなど高音質化の動きがあるところであり、本盤についても可能であれば現在流行りのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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  • ★☆☆☆☆ 

    おむちゃん  |  京都府  |  不明  |  2011年06月21日

    学生時代の6番の愛聴盤はアバド/CSOでした。セルも持っていたのに音質が悪いと言う理由であまり聴きませんでした。あの頃はオーディオ的カタルシスに興味があったのでしょう。あれから30年、私も本当の苦悩を味わいました。でもアバドは変わっていなかったようです。彼はエンターテイナーだったようです。ブーレーズのレビューでは反論もした「ゆーさん」さんのおっしゃる通り表題があろうがなかろうがこの曲は悲劇をテーマとしているのは明らかです。ベートーヴェンの「苦悩から歓喜へ」の痛烈なアンチテーゼでしょう。自作の第5番までのアンチテーゼかもしれません。「楽章の入替え」は音楽上の極めて重要な事柄であるのだから「金子健志的な聞き手」さんの意見にはアバドに限らず首肯しかねます。また「数年後が楽しみ」さんのおっしゃる「楽章を入れ替えても影響がないよう、各楽章を組曲状に処理して関連を持たせてある」というのも交響曲はひとつの有機体なのだから意味が変わってしまいます。そんなことを言えば1楽章と終楽章を入替えても対応できることになってしまいますよ。マーラー協会が言うことに追従することが「音楽」になるでしょうか?私には「文献学」でしかないように思えます。

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  • ★★★☆☆ 

    影の王子  |  大阪府  |  不明  |  2011年05月27日

    ベルリン・フィルハーモニーのライブ・レコーディングは難しいのだろうか?どうにも音の抜けが不足して冴えない録音。世界一のオケ?の割には各ソロが出来がよろしくない。激しい闘争も狂おしい愛も黒い不吉な影も闘争の果ての諦念も、この演奏は既に過ぎ去った遠い過去の様に聴こえてくる。それはそれで評価できるのだが、競合盤の中では「下の上」の印象。

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  • ★★★★★ 

    Abbadian  |  東京都  |  不明  |  2011年04月30日

     こんなことは書きたくないのだが・・・・この演奏の本質的な凄さは,フィルハーモニーで生を聴いた者以外には分からないかもしれない。何と言ってもDGの録音が,この演奏の具現している異様なまでの真実・迫力を十分伝えてはいないからだ。特に,ホール全体を満たした充実し切った音楽とその空気感―例えば,冒頭のCbの,人間の存在を押し潰すかのような強烈な弓圧,アルマの主題を奏する,徳永氏率いるVnパートの溢れるような歌(これらは皆,ラトルによってBPOから完全に失われた),椅子から転げ落ちそうになった,Hrnの強烈としか言いようのない吹奏,また第3楽章(第2,第3楽章の順序については意見もあろうが)の,正に室内楽的な透明かつ遠近感の見事な演奏,そして最後にやってくるカタストロフィー―これらが皆,一回りも二回りも小さくなり,ホールが震えるような音圧を伴って聞えてこないことが残念である。しかし,音場の再現力に優れた装置で聴けば,かなりの部分それは補えると思われる。少なくとも私の,最高級とは言えない装置でも,あの日のフィルハーモニーの空気を思い出すことはできた。この音盤に記録されている情報だけでは分かり辛いが,バーンスタインやテンシュテットとは異なった方法でアプローチされた,虚仮脅しでない,間違いなく最高度に音楽的な「悲劇的」である。

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  • ★★☆☆☆ 

    アッキ  |  茨城県  |  不明  |  2010年02月19日

    最近、従来の2楽章 3楽章を逆に演奏するスタイルがあたかも時代のスタイルのように出てきているが、マーラーは従来の通りで「よし」としたのだ。アルマの書籍にもあるが、1楽章は愛と死 2楽章・・・曲は砂場で遊んでいる子供がすすり泣き、やがて消えてゆく 3楽章は、その先の世界。 これを入れ替えることで、ずいぶんこの曲のスケールが小さくなってしまう。子供の死、これはマーラーの音楽にいたるところに影響を及ぼしているが、4楽章は子供の死を胸に受け止め、より強くなって、生きぬいていこうとする。

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  • ★★★☆☆ 

    ヒューブーン  |  静岡県  |  不明  |  2008年05月11日

    3つのオケを振り分けた旧全集に比較して、唯一この「6番」だけは旧盤に勝っているかもしれない?と思う。ベルリンフィルとの一連の演奏は、一言で言えばノリは良いが、音がドロドロ濁っている感じだ。シカゴ響との6番は曲にそぐわないほどの美麗さが疑問だった為、相対的にこのベルリン盤に軍配が上がる。ただシカゴ響とのような6番は他では聴けないのに対して、ベルリンpoとの新盤のような演奏なら、別にアバド盤でなくてもいいような気がする。したがってどうでもよいOK評となった。

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  • ★☆☆☆☆ 

    時代の殉教者  |  不明  |  2008年05月06日

    あらゆる《悲劇的》のCDのうちでも、最も“悲劇的”な一枚だろう。なぜなら、天下のベルリン・フィルが、この程度の演奏しか出来なくなってしまったのだから。終楽章に振り落とされる二度のハンマーは、このオケの因縁―カラヤンの独裁政治とアバドの破壊行為―を象徴しているようだ。

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  • ★★★★☆ 

    コーキロマンハ  |  神戸市  |  不明  |  2008年03月24日

    演奏スペックは非常に高く、さすがにベルリンフィル!と思う反面、やはりベルリンフィルだなぁ、と思ってしまう。同じ編成と規模でなぜチェコフィルとかニューヨークフィルとこうも響きが違うのか不思議です。正統派ドイツロマン派向きのオケには多様化した後期ロマン派の音楽はフィットしないのかも。アバドの解釈は悪くは無いと思います。6番特有の悲哀が垣間見える抒情性をよく出していると思います。ノイマンがベルリンフィルを振ったらどうなったろう。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ∫(furtwangler)dx=感動  |  石川県  |  不明  |  2008年01月18日

    例によって例のごとくアバドならではの悲劇的でない悲劇的。ゆーさんに同感です。2,3楽章の順番やスコアの違いも大事か知らないが,それはもっと中身を伴ってからでないと意味をなさない。この曲は「悲劇的」という題を持っています。この悲劇的という言葉にとらわれすぎる必要はないが,しかしこのアバドの悲劇的は非常に冷静でこの曲の持っている熱い感情が全く伝わってこない。ましてや死への恐怖など伝わってくるだろうか。い〜や,絶対伝わってこない。BPOも勿論芳しくない。あのカラヤンの頃の輝きはもう戻ってこないのだろうか。

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  • ★★★★★ 

    そうだアバドを聴こう!  |  ルツェルン  |  不明  |  2008年01月17日

    人の意見もいろいろだが、丁寧な仕事をただの好き嫌いで切り捨てられたらアバドもたまらないだろう。そもそもマーラーは微細なものを表現する目的で巨大オケを使用したのだ。自分の気に入った表現でなければ、演奏そのものと関係ない物語を操り、無機質?冷静すぎる?どこがいけないのだろうか?本末転倒ではないのか?フルトヴェンは「書かれた楽譜の裏にあるもの」を表現すると標榜し、マーラーの交響曲を振ってない。持ち出すこと自体変だ。きちんとした演奏論で意見を述べてほしい。それでアバドが理解できるとは思えませんね。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ∫(furtwangler)dx=感動  |  石川県  |  不明  |  2008年01月16日

    ゆーさんに同感です。2,3楽章の順番やスコアの違いも大事か知らないが,それはもっと中身を伴ってからでないと意味をなさない。この曲は「悲劇的」という題を持っています。この悲劇的という言葉にとらわれすぎる必要はないが,しかしこのアバドの悲劇的は非常に冷静でこの曲の持っている熱い感情が全く伝わってこない。ましてや死への恐怖など伝わってくるだろうか。い〜や,絶対伝わってこない。BPOも勿論芳しくない。あのカラヤンの頃の輝きはもう戻ってこないのだろうか。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ゆーさん  |  埼玉某所  |  不明  |  2007年10月06日

    《悲劇的》というタイトルがスコアにあろうがなかろうが、この曲のテーマが悲劇そのものであることは誰の目にも明らかである。マーラーの交響曲と言えば、19世紀末の混沌の生き写しのような複雑難解さをもって知られる。何しろ、当時の心理学界をリードするフロイトが興味を抱く程の異常心理を持っているのだ。また、若き日に経験した身内の相次ぐ死の恐怖から、一生逃れられなかったことでも知られる。この交響曲が作曲された頃、マーラーはアルマとの間に子供を授かっていたが、そうした幸福の影に死への恐れがあったのは言うまでもない。従って、この曲は彼の心情吐露と言えるのである。だからこそ、荒れ狂う程の情念が渦巻くくらいの演奏でなくてはならないはずである。しかしここに聴くアバドの演奏は余りに馬鹿丁寧で、冷静過ぎる。かつてインバルでこの演奏を聴いた時、余りの無神経さ、他人行儀な有様に嫌気がさしたが、アバドもそれに迫る無機質ぶりだ。おおよそオケの技だけで勝負している。精緻なのはいいが、もっと感情の切り込みがあっても良いはずだ。また、演奏順序やらスコアの違いやらが問題視されているようだが、肝心なのは「それで何を伝えるのか」に尽きる。「音楽の中にある最上のものは、音符の中からは見つからないよ」とは、マーラーその人の発言である。またフルトヴェングラーは「書かれた楽譜の裏にあるもの」を表現することこそ、演奏の本質であるとしている。理論理屈や技巧を越えた、真の音楽を聴きたいものだ。

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  • ★★★★★ 

    あにすと  |  東京都  |  不明  |  2007年07月05日

    いろいろな考え方や感じ方もあると思うが、聴衆に新しいものを提供しようとするアバドの姿勢は評価できる。最近の指揮者は若い時代に作った解釈をいつまでたっても金太郎飴のように使い回す官僚的サラリーマン音楽家が増えている状況で、少しでも更新しようとする取り組みは好感が持てる。

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