ベートーヴェン(1770-1827)

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DVD

カール・ベーム&ウィーン・フィル(1980年日本公演)

ベートーヴェン(1770-1827)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
NSDS9485
組み枚数
:
1
:
日本
画面サイズ
:
通常
:
カラー
フォーマット
:
DVD
その他
:
ライブ盤
追加情報
:
リハーサル ベートーヴェン:交響曲第2番〜第1楽章
リハーサル ベートーヴェン:交響曲第7番〜第1・第4楽章
ニュース映像(音声なし)

商品説明

カール・ベーム/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1980年日本公演

1980年におこなわれたベーム&ウィーン・フィル最後の来日公演を収めたDVD。このときベームはウィーン国立歌劇場の引越し公演に同行して『フィガロの結婚』と『ナクソス島のアリアドネ』を指揮していますが、この演奏会はその合間に、これが杮落としだった人見記念講堂で特別演奏会としておこなわれたものです。これはベームにとって日本における最後のオーケストラ・コンサートであるだけでなく、1938年以来続いてきたウィーン・フィルとの最後の演奏会の記録でもある、本当に貴重な映像です。
 最晩年ということもあってかベームは座って指揮をしていますが、その鋭い眼光は70年代と少しも変わっていないことを映像で確認することができます。長年のパートナーだったウィーン・フィルの底力もさすがで、特に第7番の第2楽章おける荘重な表現や、重厚なテンポで一歩一歩踏み締めるように進んでいく終楽章の迫力など素晴らしいものです。この終楽章ではベームも次第に熱を帯び、前のめりになって渾身の指揮を見せています。
 終演後は、2人の花束嬢の頬にキスをするベームの嬉しげな様子や、楽員が去った舞台に介添え無しで何度も現れ、文字通りのスタンディング・オヴェイションに沸く聴衆に応えている姿が、ことさらに胸に残ります。

・ベートーヴェン:交響曲第2番二長調作品36 [36:33]
 第1楽章 [11:24]
 第2楽章 [13:36]
 第3楽章 [04:17]
 第4楽章 [07:16]

・ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92 [41:35]
 第1楽章 [13:53]
 第2楽章 [10:33]
 第3楽章 [09:24]
 第4楽章 [07:45]

−1980年10月6日昭和女子大人見記念講堂−

<特典>
リハーサル[字幕付き]
・ベートーヴェン:交響曲第2番〜第1楽章
・ベートーヴェン:交響曲第7番〜第1,4楽章
・ニュース映像(音声なし)

◎解説: Karlheinz Bohm/岡本稔(音楽評論家)

収録時間:114分(本編92分+特典22分)
画面:カラー、スタンダード(4:3)
音声:リニアPCMステレオ

内容詳細

ベーム最後の来日となった80年の映像。人見記念講堂のこけら落としの記念演奏会で、唯一のオーケストラ・コンサート。またウィーン・フィルを指揮した最後の演奏会でもあった。リハーサル映像も収録した、ファン必携の1枚だ。(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

  • 01. ベートーヴェン:交響曲第2番<br>1980年10月6日昭和女子大人見記念講堂
  • 02. ベートーヴェン:交響曲第7番<br>1980年10月6日昭和女子大人見記念講堂

総合評価

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演奏の良し悪し、映像の有無に賛否両論が分...

投稿日:2021/03/20 (土)

演奏の良し悪し、映像の有無に賛否両論が分かれる一枚ですが、私はこの映像あってこそのこの名盤だと考えます。映像なしにこの演奏だけを聴かせられると確かに否定的だったかもしれませんが、これは映像つき。チェリビダッケ顔負けの遅いテンポで進む7番に必死に食らいつくウィーン・フィルなんて、その当時のベームさん以外では考えられません。そこに出来上がった一期一会の壮絶な演奏、そしてそれが遺されていること。現場に立ち会えなかった私にとっては、感謝の一言です。また終演後、ステージに押し寄せた客層の若さにも驚愕。何があったら、こんなことになったんだろう?この人達はそのままクラシックを聴き続けているのかな?この後の世代の人達は何故続かなかったのかな?等と考えさせられることも含め、歴史的価値の高い一枚。

R35sT さん | 熊本県 | 不明

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確かに記録的価値が優先する映像ではあろう...

投稿日:2010/05/09 (日)

確かに記録的価値が優先する映像ではあろう(この演奏の独自の大きさと美を味わうならCDの方が良い-DVDでは指揮姿が先入観を与えてしまうから)。大指揮者の最後に近い指揮姿を伝えるものとして、そして何より大指揮者と日本人の心の交流を後々まで伝えるものとして。さすれば少々長くなるが、真鍋圭子氏の「カール・ベーム、心より心へ」(82年共同通信社)を手がかりに、この来日を振り返ってレヴューとしたい。9月23日:羽田着。夜テア夫人と「トリスタン(前奏曲と愛の死)」(VPO、DG)のテストテープを聞き興奮してよく寝られず。30日:「フィガロ」プレミエ。会場へ向かう車中で皇族方の御臨席が話題に。君が代のテンポを復習しつつ会場へ。10月3日:フィガロ。6日:当コンサート。ウィーンの新聞には「カール・ベーム、スーパースター」の見出しが躍る。7日:東宮御所訪問。皇太子(当時)ご一家全員がお迎え。浩宮様、フィガロ、VPOコンサートの感動を語る。オペラにも造詣深い美智子妃殿下は「ナクソス島」についての専門的な質問をされる。8日:ナクソス島のプローペで執事役の台詞の間違い3か所を指摘して悦に入る。9日:「ナクソス島」プレミエ。作品が理解されるか心配していたベームだが、「日本での成功をシュトラウスが知ることができたらなあ」とはこの日の弁。12日新幹線で大阪へ。車中、純情な女子中学生にサインを求められ、サイン帳を受け取った女学生が涙ぐむ様に感激。「富士山を見ないで日本を発つと再び日本に戻ってくる」との美智子妃殿下のお言葉を思い出し「その通りだといいがね」とつぶやく(大変な歴史通のベームだが、京都や奈良の訪問はついにかなわなかった)。13日、17日:フィガロ。ホテル近くの公園を夫人と共に、かつて一緒に演奏したブレッヒやシュトラウスの歌曲「明日」(この歌詞!…-素敵な老夫婦!)等を口ずさみながら散歩。病気を隠して同行したテア夫人の体調次第に悪化。19日:引越公演の順調な成行に、責任は果たしたとの満足感を抱きつつ「天国のリヒャルトも喜んでくれたと思うよ」と言い残し、多くのファンに送られて離日。翌81年8月14日ベーム没(86歳)、同年10月22日テア夫人没。

千葉のアリアドネ さん | 千葉県 | 不明

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リハーサルを聴くと、ウィーンフィルがベー...

投稿日:2010/04/03 (土)

リハーサルを聴くと、ウィーンフィルがベームの欲するテンポを実現できていないのではと思う。「もっと早く」と言ってやり直させるが、結局前と同じテンポになってしまう。棒がわかりにくいため致し方ないのだろう。何度もやり直させられて、楽団員も「え、もう一度最初からですか??」と聞き直している。残響がデッドでここまでテンポが遅いと、聴き通すのはつらい。唯一の見所は聴衆の熱狂で、クラシック全盛時代の記録としての意義はあるのかも知れないが。

nono さん | 東京都 | 不明

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ベートーヴェン(1770-1827)

1770年12月17日(16日?):父ヨハン、母マリアの次男としてドイツのボンに誕生。 1778年:7歳でケルンでの演奏会に出演。 1781(1782?)年:クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事。 1800年:交響曲第1番を宮廷劇場で指揮。 1804年:交響曲第3番『英雄』を発表。 1805年:交響曲第5番『運命』、交響曲

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