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Top 50 Singers of All Time - 29位

2006年12月3日 (日)

美空ひばりの歴史は、日本歌謡界の歴史であることはもちろん、戦後日本の歴史そのものといっても過言ではないだろう。1989年、52歳で永眠して18年が経とうとしている現在も、彼女の歌はどこからか流れ聴こえ、ふと気付けば、画面の中では生き生きとし艶やかな彼女の姿を見る事が出きる。まさに、「不死鳥」のごとく、今なお人々の心の中で生き続けている。

美空ひばりは1937年5月29日神奈川県横浜市で生まれる。第二次世界大戦中を幼少期として過ごした彼女は、両親の影響で歌を好み、召集される近所のおじさんやお兄さんたちを送り出す席上で、大人の好む演歌を感情込めて歌い、周りの大人を感動させることが日常であった。

終戦後は父親の楽団でその才能をいかんなく発揮。大人顔負けの舞台が評判となりし天才少女として知られるようになる。1949年9歳の時に「河童ブギウギ」でデビュー、続く「悲しき口笛」が大ヒットとなり、同名の映画にも出演、12歳での銀幕デビュー。そして15歳のとき、映画主題歌である「リンゴ追分」が大ヒット、10代にして彼女の人気は不動のものとする。

美空ひばりが、歌手として注目されたのは、当時のスター歌手で「ブギの女王」と呼ばれた、笠置シズ子の歌まねがあまりにも似ていて、可愛いといわれる反面、反感を買うことにもなったという話は有名。

1955年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、翌年、江利チエミ雪村いづみと共に出演した映画「ジャンケン娘」の出演を契機に3人娘として人気を博す。
その後は、映画から舞台の世界にも進出を果たし、新宿コマ劇場をはじめ、数多くの公演で座長をこなす。

1970年代以降はヒット曲に恵まれなかったが、演歌・歌謡曲以外でも軽快なポップスやジャズ、オペラまで、天性の歌唱力と表現力を活かし、新境地を開拓、再評価を受ける。

1987年から体調不良を訴え、入院をするも翌年には東京ドームで「不死鳥コンサート」で完全復活をアピールしたかに見えた。

が...、昭和天皇が崩御、昭和という時代が幕を閉じ、平成とう新しい時代が始まる1989年。まるで、時代の流れに合わせたかのように、美空ひばりは同年6月24日、52歳で永眠。
彼女の死後1989年7月、永年の歌謡界における功績を称えられ、女性として初となる国民栄誉賞を受賞する。

美空ひばり、最後の曲となった、「川の流れのように」は昭和という激動の時代と、昭和という時代と共に生きた美空ひばり自身を重ね合わせたかのような名曲となった。

美空ひばりの類まれなる天性の歌声、伸びやかで艶やか、時に力強く時に儚く...。歌っている表情でも我々を酔わせてくれる。そんな彼女は、戦後どん底にあった大衆の心をしっかりと掴んで離さなかった。彼女の歌は、死後20年近く経過した現在でもなお、リリースされ続けて、多くの歌手が美空ひばりの歌を歌い、人々に愛され続けている。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。