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小野嶋大氏による激アツBJCレビュー!

2009年1月16日 (金)

無題ドキュメント
blankey jet city

ブランキー・ジェット・シティが解散してから早8年がたった。だがその不在の欠落感は埋まるどころか、ますます大きくなっているように思える。この8年間、ブランキーの存在感に匹敵するようなバンドはひとつも出てこなかった。

 ブランキーはつねに、タフで男臭いロックンロール・バンドとしての一面と、壊れそうに繊細で純粋な少年のような一面が違和感なく同居していた。バイクを乗り回しチェーンを振りかざし放埒な自由を謳歌する筋金入りの不良たちが、飼っていた猫の死を嘆き、白くてやわらかな翼が欲しいと願い、ソーダ水の粒のような楽しげな少年の日々を思い、心を病んだ友人に対して冷たい態度をとった自分を責める。その底にあるのは、自らの純粋性が失われ汚いオトナになっていくことへの恐れであり、それゆえ自分の居場所がどこにもないという孤独と空虚である。彼らの飾らぬ、だが研ぎ澄ました刃のような言葉は人間の真実の感情を容赦なく抉りだす。だからブランキーの音楽には、形式を越えて、誰の心にも、その奥底まで届くような強さと鋭さ、そして優しさがあった。

 彼らの音楽には、3人の男たちが声と楽器という武器でもって、常にギリギリの真剣勝負を繰り広げているような緊張感があった。生身の人間同士がぶつかりあう葛藤、闘いから生まれるエネルギーと激しい感情が、彼らのロックだった。彼らのライヴにはいつも、音を使って殴り合いのケンカをしているような張りつめた雰囲気があった。特に初期は、息をするのも、しわぶきひとつたてるのもはばかられるような、それこそ胃が痛くなるような緊張感があった。演奏が終わっても観客は拍手をするでも歓声をあげるでもなく、ただ黙り込むしかなかった。あまりのすごさに言葉を失ってしまったのだ。つまり彼らにとって音楽は、ライヴはノンキなお楽しみではなく、自らの実存を賭けた、生きるか死ぬかの戦いだった。そんなバンドは、彼らしかいなかったし、その後もあらわれていない。

 SHM-CDで蘇る、その凄絶なる魂の格闘の軌跡。彼らのロックは歴史の点景ではない。現在進行形のリアリティである。初めてブランキーを聴いたとき、私はもう30歳を超えていた。だがもし10代の時に聴いたら、その後の人生を左右されるような決定的影響を受けたと思う。今の若い人にも、その首の骨が折れるほどの衝撃をぜひ体験してもらいたい。

                                                              

小野島 大


BJC RESPECT


BLANKEY JET CITY 『 RARE TRACKS 』 NEW: > BLANKEY JET CITY 『 RARE TRACKS 』
贅肉を削ぎ落とし、徹底してハードで辛口なロックに徹していたEMI時代に対して、本来彼らが持っていた幅広く柔軟な側面、ポップで開かれた一面が表に出たのがユニバーサル時代。にわかに近寄りがたい緊張感と厳しさが突き刺さるようなストイシズムを放っていた前期から、バンドが幅広い層に愛され共有されるようになった時期だったとも言える。EMI時代に比べシングルのリリース数が激増したのは、そうして支持層を広げていくのに一役買ったと言えるだろうが、それらシングルのカプリング曲などアルバム未収録曲に、興味深い、隠れた名曲が多いのは、熱心なファンなら先刻承知の通り。加えて別テイク、アナログのみ収録曲、デモなど未発表を含むレア・テイクを集めたのが本作だ。
 まず目玉はオリジナルから表情を一変した別テイク曲だ。浅井健一が「一番狂える曲」を評した「ロメオ」(ロンドン・セッション)は曲間のドラム・ブレイクなどアレンジが多少異なり、演奏もオリジナルよりさらに鋭さを増している。ラフなヴォーカルが生々しい初期衝動を伝える「Seaside Jet City」はファースト・デモ・テイクを収録。浅井健一の詩人としての純粋で透明な魂を伝える名曲中の名曲「Fifteen(15歳)」(1995年の代々木フリーライブにて無料配布された音源)は、生ギター弾き語りに仕上げ、オリジナルのリリカルな叙情味をさらに増している。
 そしてシングル・カプリング曲も、打ち込みを使った「シェリル」、レディオヘッドを思わせる寂寥感あふれる「ロンドン」、エレクトリック・ギターやピアノをフィーチュアしてアルバム収録ヴァージョンとは趣を変えたリリカルなアコースティック曲「リス」、トライバルなエスニック・ファンク「ExuseMe」、浅井の生ギター弾き語り「ロンドン」、ショッキングな「バナナのとりあい」と、単にアルバムのアウトテイクと片付けるだけでは済まないクオリティの楽曲が揃った。



BLANKEY JET CITY 『 MONKEY STRIP ACT 2 』 NEW: > BLANKEY JET CITY 『 MONKEY STRIP ACT 2 』
ブランキーの真価が最大に発揮されたのがライヴであったことは疑う余地もない。ライヴでしか発表されていない曲もあり、ライヴ・アルバムやライヴ・ヴィデオの数も他のアーティストに比べ際だって多い。これは『スージーの青春』と題されたツアーの最終日、1994年6月25日川崎クラブチッタ公演の実況盤であり、これまで未発表だったもの。一日2回公演の2回目を収録している。1回目を収録したのがDVD『Monky Strip』ということになる。当日は円形ステージを使った大胆な舞台装置が話題を呼んだ。15年目の初お目見えに向け、当時のエンジニアであるマイケル・ツィマリングがミックスを担当した。 
 LA録音、タワー・オブ・パワーやリトル・フィートなど名うてのセッション・ミュージシャンを迎え、ロッキンでパンキッシュな典型的ブランキー節とはかけ離れたサウンドを披露した『幸せの鐘が鳴り響き 僕はただ悲しいふりをする』発表直後のツアーだったが、その反動か、ライヴでは3人による徹底してソリッドでタイトでハードなロックンロールを全面展開する。『幸せ〜』収録曲も多く収められているが、ここで演奏されるのはいずれもスタジオ録音よりはるかにパワフルでエネルギッシュな、まさしくブランキー流のロックそのものである。
 体力・気力のすべてを使い尽くし、尋常でないスピードで駆け抜ける圧倒的な高揚感は、断崖絶壁で踊り続けるような鮮烈な生の実感そのものであり、いまここで世界が終わっても構わないといわんばかりの狂おしいばかりの切実さに溢れている。ライヴ終了後、全員が倒れて起き上がれなかったというエピソードもむべなるかな。こんなすさまじいライヴ・バンドは、今後二度と出現することはないだろう。「D.I.J.のピストル」での照井の喉が破れんばかりの絶叫に心底震える。今後彼がまた、こんな血のたぎるような渾身の叫びを聞かせる日はくるだろうか。



BLANKEY JET CITY 『 Red Guitar and the Truth 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 Red Guitar and the Truth 』
文字通りブランキーの原点。後にさまざまに広がっていった彼らの世界はすべてここに原型がある。
ロンドン録音だが、プロデューサーとの折り合いが悪く、無意味なテイクを何度も重ねた結果、楽曲から一番大事な初期衝動が失われてしまったとして、メンバーは本作の出来ばえには不満を持っているようだ。
しかし浅井健一の純粋で真っ白な内面世界を率直で飾らぬ言葉とダイナミックかつ繊細な演奏で完璧にあらわし、もう2度と戻らない彼らの青春性を体現した傑作という評価は揺るがない。
言葉のひとつひとつは幼く未成熟だが、それゆえ鋭く抉るように痛みと孤独と絶望の念が聴き手の心に突き刺さっていく。
アマ時代から練り上げてきた楽曲の完成度は高く、のちのちまで重要なライヴ・レパトリーとなった曲をいくつも含むという点で、バンド史上の最重要作と言うことができる。
名曲揃いだが、「あてのない世界」の寂寥感と透明な悲しみは、まさにこのバンドの真骨頂。



BLANKEY JET CITY 『 BANG!  』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 BANG! 』
3人の男たちが声と楽器という武器でもって、その全存在を賭け、ぎりぎりまで研ぎ澄ました剥き出しの肉体と精神を、まるで傷つけあうことだけが生の実存の確認なのだと言わんばかりに、血を流しながら容赦なくぶつけ合い、闘う。その凄絶なる葛藤と狂気の果てに出現した奇跡である。
初期ブランキーの最高傑作にして、日本ロック史上に永遠に残るマスターピース。
「ディズニーランドへ」を初めて聴いたときの異様な衝撃。その痛みと悲しみを、ぼくは生涯忘れないだろう。
前作の制作過程に不満を持ったメンバーが主導権をとり、土屋昌巳をプロデュースに迎えたオール・アナログ・レコーディングによる渾身の一作。元ブロックヘッズのミッキー・ギャラガー(kbd)らも控えめながら的確なサポートを聴かせる。
「ディズニーランドへ」で頂点に達した、凍て付くような緊張感がゆっくりと溶解し解放されていくような終曲「小麦色の斜面」への流れも完璧な1時間。



BLANKEY JET CITY 『 CB JIM 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 CB JIM 』
ブランキーの転機となった3作目。
アマチュア時代から書きためた楽曲を前作で使い果たし、今作から「アルバム制作のための曲作り」を強いられることになって、特に浅井の詩風が変わった。
これまでの自らの実体験に基づいた血を流すようなリアルな自己告白的な歌詞から、映画の一場面を思わせるような映像的なイメージを喚起するものへと変化した。
数多くのクラブ・サーキットや土屋昌巳とのさらに緊密なコラボレーションによって、バンド演奏はさらにタイトに、ソリッドになり、初期のパンクやロカビリー、叙情的なニュー・ウエイヴといった影響を完全に消化し、さらにスケールの大きなロック・バンド表現を実現している。
その最良の成果がライヴの定番となった「Punky Bad Hip」と「D.I.J.のピストル」である。爆裂度と、聴く者を狂わせる焦燥感は前作以上だ。インディで発表され大きな反響を巻き起こした大作「悪いひとたち」はセンサード・ヴァージョンで収録。



BLANKEY JET CITY 『 METAL MOON 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 METAL MOON 』
歴史的名盤となった前作"CB JIM"。この破格過ぎる傑作爆裂ロックンロール・アルバムの次に来るものは・・・!という期待の中リリースされたキャリア唯一の5曲入りミニ・アルバム。ブっとんだロックンロールを封印し、ジャズやアコギを取り入れ、新たなサウンドへの挑戦してるせいもあり、前2作(BANG!とCB JIM)より地味ではあるが、やはり全編素晴らしい。最後のライブ"LAST DANCE"でも入場のSEとして大活躍した@、クールでハードなロカビリーA、そして上記の超名曲Dのキャッチーさと美しさと綺麗さ、そしてラストE"悪いひとたち"に匹敵する描写と純粋さと美しさ。「戦場へ行きたい網上げのブーツを履いて・・・」


BLANKEY JET CITY 『 幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする 』
前作からわずか5ヶ月後に発表された第6作。前作に続き全曲を浅井健一が作詞曲している。
タワー・オブ・パワーのホーン・セクションやリトル・フィートのビル・ペイン、サム・クレイトンなど豪華ゲストが参加し、LA−東京−ロンドンと往復しながら作られた。
曲によってはかなり分厚いホーンやストリングスがフィーチュアされ、ロッキンでパンキッシュな典型的ブランキー節とはかけ離れたジャズ/ファンク/ラテン色強いサウンドが展開される。プロデューサーの土屋昌巳の色が強く出たとも言え、彼らの作品中でも異色のアルバムである。
さらに「青い花」では、これまでになくポップで開放的な曲調で、一人称複数を使ったメッセージ色濃い歌詞を聴かせるなど、ブランキーの新しい面を示した。
「風になるまで」は浅井健一の書いた楽曲の中でも屈指の名曲。女装したメンバーの写真を使ったアートワークも話題になった。本作よりバンド名から定冠詞の「The」がとれた。



BLANKEY JET CITY 『 THE SIX 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 THE SIX 』
『幸せ〜』のあとに発表された初のベスト盤だが、全曲リマスターされ新曲・新録を6曲収めるなど、ディープなファンにも見逃せない内容となっている。
目玉は、メンバーが仕上がりに不満を持っていた『Red Guitar〜』からの4曲で、すべて土屋昌巳をプロデュース/アレンジに迎えた再録音ヴァージョンとなっている。
いずれもアレンジを大幅に変えており、ストリングスをバックに浅井がひとり生ギターで弾き語る「ガードレールに座りながら」、オリジナルからさらにテンポを落としヘヴィなギター・ロックに仕上げた「胸がこわれそう」、ジャズ風にアレンジしタイトルも「Rude Boy」と変えた「不良少年のうた」、ロカビリー風の「僕の心を取り戻すために」と、この時期の彼ららしい多彩でひねったサウンド・プロダクションが興味深い。
新曲「Girl」「自由」のほか「悪い人たち」の完全ヴァージョンも収録。前期の集大成として妥当な内容と言えるだろう。



BLANKEY JET CITY 『 SKUNK 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 SKUNK 』
第7作にして中期の最高傑作。大量にゲスト・プレイヤーが参加し脱ロックをはかった前作の反動か、まるで初期に戻ったかのような徹底してソリッドでタイトでフィジカルなロックンロールを、贅肉を極限まで削ぎ落とした3人だけの演奏で全面展開している。
メンバーの全裸写真を配したアートワークも、そうして虚飾を脱ぎ捨てハダカになった彼らを象徴している。デビュー以来最長の1年半の準備期間をおいたこともあり、楽曲の粒も揃った。
「Skunk」「Dynamite Pussy Cats」など、ブランキー以外には表現しえない、底なしの孤独と空虚と狂気を容赦なく抉りだしていくような痛々しく切実で緊迫した世界が繰り広げられる。まさにブランキーの真骨頂であり、後期の飛躍に向けてのステップとなった重要作と言える。
決定的名曲「15歳」を含む10曲。EMIでの最後の作品であり、また『BANG!』以来続いた土屋昌巳とのコラボレーションもこれが最後となった。



BLANKEY JET CITY 『 LOVE FLASH FEVER 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 LOVE FLASH FEVER 』
前作から1年7ヶ月ぶりの8作目。ポリドール(現ユニバーサル)移籍第一弾にして、初のセルフ・プロデュース作品であり、3人のソロ活動を経ての、バンドにとっても心機一転の一作と言える。
エンジニアに南石聡巳を初めて迎え、これまで以上にタフで生々しい音像が展開され、前作までの緻密に作り込まれ磨き込まれたサウンドとは一転した荒々しく逞しいブランキー像を創出している。
その最良の成果が先行シングル・カットされた「ガソリンの揺れかた」である。レッド・ツェッペリンを思わせるダイナミックなロックもさることながら、「(自らの青春性、純粋性の拠り所であるところの)あの細く美しいワイヤーは初めから無かったよ」と断じてしまう歌詞も大きな話題となった。少年の脆さや儚さとは異なるオトナの骨格と表情を持ち始めたブランキーがそこにいたのだった。
浅井の訥々とした語りが静かな衝撃を生む「皆殺しのトランペット」など佳曲多し。



BLANKEY JET CITY 『 ロメオの心臓 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 ロメオの心臓 』
広々としたグラウンドで気持ちよさそうに野球に興ずる3人のメンバーを捉えたアートワークが印象的な9作目。
「赤いタンバリン」「小さな恋のメロディ」と、バンド史上もっともポップでキャッチーなシングルが収められ、商業的にも大きな成功を収めたが、浅井による打ち込みのサウンドを導入した「スクラッチ」「Violet Fizz」といった新境地は(レディオヘッドの影響があったと伝えられる)、ブランキーらしいダイナミックなバンド・サウンドとはほど遠く、賛否両論を呼ぶことにもなった。
そうしたことが影響してかこのころのバンドはいつ切れて墜落してもおかしくないようなギリギリの緊張感をはらんでいた。初めて達也が楽曲作りに絡んだ「ぼくはヤンキー」や「ロメオ」といった曲は、そうしたテンションがうまく作用した例だろう。
アルバム全体としてはスロウからミディアム・テンポのメロディの美しい曲が多く、ブランキーの叙情性があらわれている。



BLANKEY JET CITY 『 HARLEM JETS 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 HARLEM JETS 』
再度のソロ活動を経ての2年ぶり10作目。
本作の発売当日の新聞広告で解散告知がなされた。はたして本作にはブランキーの終わりを象徴する符丁があちこちにばらまかれ、ラスト・アルバムという覚悟をもってメンバーが制作に臨んだことが想像できる。
浅井の手によるイラストを配したアートワークや歌詞には、ブランキーの世界を形作っていたさまざまな言葉やキャラクターが散りばめられ、音楽的にもこれまでの総決算と言えるサウンドが展開されている。
とりわけ印象的なのは11分以上にも及ぶ大作「不良の森」で、くすんだ霧の中を彷徨うような曲調、モノクロの沈潜した映像が胸を締め付けられるような悲しみを感じさせるPVともども、なんともやりきれない寂寥感を漂わせ、ここがブランキーの最終到達地点であることが深く納得できる。
おそらくは初めてファンに向けて語りかけた「Come On」の歌詞には、彼らの優しさがあらわれている。まさに最後の傑作。



BLANKEY JET CITY 『 LAST DANCE 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 LAST DANCE 』
2000年7月8〜9日横浜アリーナにおけるラスト・ライヴ2デイズの1日目を完全収録したアルバム。2日目の模様は同名のDVDに収録されている。
DVDはEMI時代のアルバムからの楽曲を中心とした内容で、本作はポリドール移籍後の曲が中心となっている。
なおこの年フジ・ロック・フェスティヴァルのメイン・アクトで出演しているため、本当の最終ライヴはそちらだが、演奏の完成度、凝縮された密度とスピード感という点で、やはりこれを実質的なラスト・ライヴと見るべきだろう。
これが最後という感傷めいた甘さなど微塵もなく、3人の男たちが己の肉体だけを頼りに闘い、燃え尽きていくさまが克明に記されている。とても解散ライヴとは思えないエネルギーだが、同時にこんなバンドが本来10年もの間長続きするはずがなかったと思い知らされもする。
その壮絶なまでの自爆の一部始終。それ以来、彼らが座っていた王座は空位のままである。



BLANKEY JET CITY 『 LIVE 』 REISSUE: > BLANKEY JET CITY 『 LIVE 』
ぼくの見たブランキーのライヴでもっとも印象的だったのは、『Bang!』のロンドン録音から帰国してわずか2日後の91年10月5日に東京・渋谷公会堂でおこなわれたものだった。音楽による闘争。3人の戦士たちによる徹底して辛口でストイックでハードな演奏は、このバンドの真価は安易な融和や調和ではなく、メンバー同士が激しくぶつかりあい傷つけあう、そのすさまじい葛藤と軋轢の果てに初めて達成されるという事実を、骨の髄まで知らしめる衝撃的なものだったのである。そのあまりに悲痛で張り詰めた音という名の暴力の前に、観客はただ黙り込むしかなかった。
本作はその少しあと、『Bang!』発表後の92年5月のライヴで、黄色い歓声も聞こえやや華やかな雰囲気になっているが、濃厚かつヒリヒリとした緊張感に彩られた初期のライヴの鉄火場的ムードを生々しく伝える。
デビューしてしばらくは達也が一人で引っ張っていた感のある3人のバランスも良くなっている。




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