ブランキー・ジェット・シティが解散してから早8年がたった。だがその不在の欠落感は埋まるどころか、ますます大きくなっているように思える。この8年間、ブランキーの存在感に匹敵するようなバンドはひとつも出てこなかった。
ブランキーはつねに、タフで男臭いロックンロール・バンドとしての一面と、壊れそうに繊細で純粋な少年のような一面が違和感なく同居していた。バイクを乗り回しチェーンを振りかざし放埒な自由を謳歌する筋金入りの不良たちが、飼っていた猫の死を嘆き、白くてやわらかな翼が欲しいと願い、ソーダ水の粒のような楽しげな少年の日々を思い、心を病んだ友人に対して冷たい態度をとった自分を責める。その底にあるのは、自らの純粋性が失われ汚いオトナになっていくことへの恐れであり、それゆえ自分の居場所がどこにもないという孤独と空虚である。彼らの飾らぬ、だが研ぎ澄ました刃のような言葉は人間の真実の感情を容赦なく抉りだす。だからブランキーの音楽には、形式を越えて、誰の心にも、その奥底まで届くような強さと鋭さ、そして優しさがあった。
彼らの音楽には、3人の男たちが声と楽器という武器でもって、常にギリギリの真剣勝負を繰り広げているような緊張感があった。生身の人間同士がぶつかりあう葛藤、闘いから生まれるエネルギーと激しい感情が、彼らのロックだった。彼らのライヴにはいつも、音を使って殴り合いのケンカをしているような張りつめた雰囲気があった。特に初期は、息をするのも、しわぶきひとつたてるのもはばかられるような、それこそ胃が痛くなるような緊張感があった。演奏が終わっても観客は拍手をするでも歓声をあげるでもなく、ただ黙り込むしかなかった。あまりのすごさに言葉を失ってしまったのだ。つまり彼らにとって音楽は、ライヴはノンキなお楽しみではなく、自らの実存を賭けた、生きるか死ぬかの戦いだった。そんなバンドは、彼らしかいなかったし、その後もあらわれていない。
SHM-CDで蘇る、その凄絶なる魂の格闘の軌跡。彼らのロックは歴史の点景ではない。現在進行形のリアリティである。初めてブランキーを聴いたとき、私はもう30歳を超えていた。だがもし10代の時に聴いたら、その後の人生を左右されるような決定的影響を受けたと思う。今の若い人にも、その首の骨が折れるほどの衝撃をぜひ体験してもらいたい。
小野島 大
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