「デフレCD」
2010年1月1日 (金)
連載 許光俊の言いたい放題 第171回「デフレCD」
デフレ、デフレと言われている日本である。いくら何でもジーパンが1本数百円で買えなくてもよいではないかと思う。最近、岩田規久男『日本銀行は信用できるか』(講談社現代新書)を読んでいたら、どうやら、日銀に問題を解決する能力や意図はないらしい。
CDのほうも、かつて名盤と呼ばれたものが次々に価格崩壊している。私などはそれでも別に構わないと思うが、昔からクラシックを聴いている人は複雑な気持ちがするかもしれない。
そんな中から、減ったボーナスで買っても損はしないと思われるものをいくつか紹介しておこう。
まずはツェムリンスキー「抒情交響曲」。マゼールには膨大な録音があるが、演奏のすばらしさという点では、もしかしてこれが一番なのではないか。マゼールというと、私も含めて、ついついいかがわしいおもしろさを求めてしまう人も少なくなかろうが、これは超まっとうな名演奏だ。とにかく音楽の流れがいい。後年のようにわざとらしく遅くなったりせず、基本的に引き締まっているのだが、まったく窮屈ではない。ベルリン・フィルも驚異的にいい。1990年代以後のようにイケイケにならず、見事な統制感を持っている。それでいて響きは恐ろしく官能的なのだ(青少年には薦めたくないほど)。この見事さ、1980年代のベルリン・フィルの録音としても出色だろう。広く聴かれている曲ではないけれど、この演奏で聴けば、間違いなく楽しめる。モデルになったマーラー「大地の歌」のようなすごみはないが、豊麗な響き、艶っぽい美しさ、ミステリアスな色調を味わうには不足がない作品である。
キビキビしているのにオーケストラが鳴り切っている様子。歌の背景でゆらめくエロティックなヴァイオリン。響きの交替による緊張感や雰囲気の変化。オーケストラ芸術の真髄に触れられて600円とは、ハッキリ言って安すぎる。ここまで安くなくてもいいと思うが、現実にその値段なのだから仕方ない。この曲に関して、これ以上の演奏が登場する可能性はほとんどないのではないか。
シュトラウスの「影のない女」。かねてから賞賛されてきたカイルベルト指揮の演奏である。久し振りに聴き直してみて、確かにこれはいいと思った。ごく当たり前に表情豊か、雰囲気豊かなのである。すべてがごく自然に、当然のようにそこにあるのである。頻出する弱音も、決して緊張を強いるようなものではない。といって気が抜けているのではなく、きっちり表現になっている。こういう類のゆったり構えた演奏は今日激減した。技術は向上したが、心がなくなった、と昔の人なら言うところだ。
実はつい先日、プレミエが出たばかりのヴェルザー=メスト指揮の上演をチューリッヒで見てきた。この指揮者がかつて東京で指揮した「ばらの騎士」があまりにもよかったからだ。案の定、非常に丁寧に作られた微細な美しさが楽しめた。それはそれで結構なのだが、聴いている最中に、このおおらかなカイルベルトの演奏が何度も思い浮かんでしまったのである。演奏が精密になればなるほど、ストーリーがバカバカしく感じられて仕方がなかったのだ。もしかしたらシュトラウスがスコアに書いたすべてを残さず音にしようとすると、作曲者すらが予期していなかったグロテスクな音の大群になってしまうのかもしれない。
歌手たちは、いかにもオペラティックというか、オーバーアクション気味である。それも、この幻想的なストーリーには似合っている。
「影のない女」にも複数の録音や映像がある。巨大な音量や細部まで手に取るような解像度を求めれば物足りないかもしれないが、オペラ演奏としていまだにもっとも好感を持てるのがこのカイルベルト盤ではないか。これまた1500円もしないのだから恐れ入る。私が大学時代には、中古屋で迷いながら買ったのだから、ウソのような安さだ。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
評論家エッセイ情報
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。
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輸入盤
叙情交響曲 マゼール&ベルリン・フィル、フィッシャー=ディースカウ、ヴァラディ
ツェムリンスキー(1871-1942)
価格(税込) :
¥1,540
会員価格(税込) :
¥1,340
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販売終了
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輸入盤
『影のない女』全曲 ヨゼフ・カイルベルト&バイエルン国立歌劇場、イングリート・ビョーナー、インゲ・ボルク、他(1963 ステレオ)(3CD)
シュトラウス、リヒャルト(1864-1949)
価格(税込) :
¥2,970
会員価格(税込) :
¥2,584
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販売終了
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