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Review List of M 

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     2013/05/11

    技巧的な難曲をどう弾いているかという観点から、ギレリス旧盤、ポリーニ旧盤と較べて聴いてみたが、前2者が腕にまかせて爽快に弾き切っているのに対し、ツィマーマンは意地悪にほくそ笑みながらピアニスト泣かせの難所を随所に仕掛けている作曲者の姿が目に浮かぶような部分に表現意識が当てられような演奏となっている。こういうところに後のツィマーマンの所謂表現主義的なスタイルの萌芽がみられるような気がする。曲全体としてはバーンスタインの濃厚なスタイルとあいまって聴き応えのあるものとなっている。

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     2013/03/20

    有名な2番について。当盤のレビューが圧倒的に多いのは理解できる。賛否両論ある問題作といえる。思いつくままに書いてみると@曲の多くの部分を占めている指ならし的パッセージに音楽的諧調が与えられている。高度なテクニックとは何か?例えばポリーニでは指先の圧倒的な強靭さでしかなかったものが、ここでは技巧的難所でも優美な音楽性を発揮できる裏付けとしての技術と定義できる。Aフォルテに演奏家の情熱の発露というメッセージとしての役割がある事に当演奏を通して改めて気付かされた。ここではそういった意味でのフォルテは断固として回避されている。Bこと事から本来曲に内在していたと思われる作曲家のピアノの巨匠気質的要素をきれいさっぱり洗い流して音楽を再構築する知的な作業があったと考えらえる。Cこれを創造的演奏ということは可能だと思われる。類似の演奏家タイプとしてはグレン・グールドが思い浮かぶ。イメージとしては音楽におけるマニエリスム(本来の言葉の意味もよく解ってはいないのだが)といったところだろうか。D当曲の代表的な演奏のひとつと躊躇なく言える。対極にある演奏としてギーゼキングの戦後の放送録音を挙げたいが、一般に入手可能なものとしてタマルキナで対極を代表できるだろう。

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     2013/02/16

    曲として音楽的密度が高いと思われるD935の1番と2番に焦点を当てる。文章で言い尽くそうとすると、長くなってしまうので断片的な言葉で・・・・心の宝石箱にしまっておきたい・・・何万円もする高級ワイン・・・手を合わせて拝みたくなるような・・・啓示・・・ひたすら音楽に満たされ音楽に生きたシューベルトの人生・・・20世紀の大ピアニストという認識も多くの聴衆にとっては所詮、箱物的な意味でしかなかった・・・

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     2013/01/08

    ギーゼキングのピアニズムの卓越性が最もわかりやすい形で表れているのがラヴェルの全集ではないのか。というのもドビュッシーという作曲家はピアノの技巧が変則的、非類型的であり、単に技巧という面だけとっても個々の曲と個々のピアニストとの相性のようなものがあるような気がする。その点ラヴェルはリストの延長線上にあるようでわかりやすい。ここでのギーゼキングの特長は、透徹したタッチの美しさと絶妙のペダリング技術による音響支配で以後に出現したいかなるピアニストにも卓越している。水の精の水しぶきが上がるような、素早く粒の揃ったタッチ、スカルボの難渋な技巧の中での見事な音響支配、水の戯れの絶妙なペダリングによって楽々と作り出される響き、クープランの墓の前奏曲での真珠のようなタッチ、蛾のコーダでの背筋が凍りつくようなピアニシモ等々、記憶に残るような場面に随所で遭遇する。

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     2012/09/26

    所謂3大歌曲集中「水車小屋」と「白鳥の歌」はFディースカウのEMI録音がひとつの規範だと考えるが、「冬の旅」はどうか。Fディースカウの美しく合理的な発声技術に基づく楽曲本来の純音楽的な美しさを感じさせる歌唱スタイルは確かにヒュッシュのスタイルを過去のものとしたのだろう。しかしながら「冬の旅」については、Fディースカウがヒュッシュやホッターを凌ぐ重要性を感じることができない点に、この曲集の特異性があると思う。とりわけ曲集前半にあてはまることなのだが、強固な造詣性に基づいたドラマトゥルギーが作曲家の奥深い天才性の発露として提示されている。あるいはデーモニッシュという言葉があてはまるかもしれないが、そういうことに気づかせてくれたのが、又最も近いのがこのヒュッシュの演奏である。あるいは名優による芝居がかった演奏という見方もでき戦後の演奏スタイルに慣れ親しんだ耳には拒絶反応をする人がいることも想像できる。が、この芝居、劇こそ「冬の旅」という見方もできるのではないか。

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     2012/04/14

    2番の方が3番より優れた演奏であるのは明らかだが、ここにあるのはピアニストというより作曲家ラフマニノフの演奏である。2番を例にとってもよりこの曲らしい演奏と感じるのはリヒテル、タマルキナ等々専業ピアニストの演奏である。名演奏家の言に楽譜に忠実なのではなく作曲家の心に忠実というのがあるが、作曲家本人の演奏なのだから心も本人そのものなわけである。にもかかわらず最もその曲らしい演奏ではないとしたら、どういうことなのか?小生の意見としては、そもそも職業演奏家の演奏には演出とかハッタリ的な要素があり、それは真実とは異なるものであるということではなくて、本質的なものを拡大、増幅することによって多くの聴衆に理解されやすくする役割を持つ。又名曲といわれる作品は演奏家の解釈とのコラボレーションによって発展的にそうなった、あるいは名曲の一条件として演奏家の解釈による発展性や多様性を包含できるポテンシャルということがあると思われる。色々な意味で貴重な記録であること間違いない。

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     2012/03/25

    ピアノ協奏曲 リストやショパンのソナタではあれ程の名演をみせたのに、ここでは期待外れ。その理由として考えられるのは、第一にオケと同時進行するピアノのパートというのは書法的な問題も含めて、ピアノの音色の変幻自在な変化を身上とするユジャ・ワンにとって特質を発揮しづらいということ。第二に有名曲である2番、3番の根っ子にあるものは何か。言葉にするのは困難だが、ピアニスティクなものに根ざした巨匠的ヒロイズムとでもいうべきものではないのか。そのことに全く背を向けてしまっている。その例が第一楽章のむせ返るような第二主題、第三楽章のくだんの名旋律をフォルテで演奏しないところで、これだけで興ざめである。このような演奏の傾向は名演奏と評する人もあるルービンシュタインと相通じるものもあるのだが、これらの演奏を評価する人の感性を私は理解できないし、いったい何を求めてこれらの曲を聴くというのだろうか?

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     2012/02/09

    リスト・ソナタを聴いて。天馬空を行くが如き演奏。20世紀にはギーゼキング、ホロヴィッツという鍵盤の魔術師がいたが、ようやく彼らの後継者ともいうべきピアニストが輩出した。但し魔術師とはおおむね物理的なピアノの音についての話であり、純音楽的表現性でいうとギーゼキングにおいてはピアニズムとの調和という側面から、一種の制限が加えられていたし、ホロヴィッツにおいてはピアニズムと音楽内容との乖離という危うさを抱えていた。対してユジャ・ワンは魔術師ぶりが曲に内在していた本来こうあるべきものの掘り起こしに貢献しているというべきか。優れた音で技巧的難所も難なく乗り切るような狭義の意味でのテクニックは20世紀において押し進められ、更にその上を行くことは困難でもありたいした意味もない。そう考えていくと、まだ広いレパートリーを披露したわけでもないので多くは語れないが、少なくとも21世紀前半の真打的ピアニストが登場した期待感を抱かせるものがある。

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     2012/01/02

    ブルックナー第9 曲を聴き進んでいくうちに、ここで起こっていることは奇跡ではないかと感じられた。同曲ではフルヴェングラー/ベルリンPOのすべてをやり尽くしたような充足感が印象深かったが、当演奏はフルトヴェングラーのように「指揮者のタクトの下、楽団員が心を一つにして」といったものとはやや趣きを異にしている。ここではウィーンフィルという名門楽団の個々の楽団員の自発性が最高に発揮された結果、秘めたる優秀な音楽性が最大限引き出されている。それは練習で得られたものではなくライブならではの高揚、集中による当事者すら予想もしなかった力というべきではないのか。その結果周知された名曲が更に奥深い輝きをみせるような新生面も展開している。ではサヴァリッシュの役割といえば、ある意味触媒なのかもしれない。しかし、かつてオケと楽曲の特性を最高に融合させたシューマンのライン交響曲のような金字塔があったように、それこそがサヴァリッシュの本領ともいえる。ちなみに曲の終了と拍手の間には空白があり、余りの感動に拍手することすらできない聴衆の姿が察知される。

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     2011/12/17

    DG録音との比較になるが、あの録音の一音一音エッジのかかったような衝撃的なピアニズムはここにはまだ無い。であればコンクール後ステージから遠ざかった意味合いの一つも推測できる。DG盤発売当時はライバル盤アシュケナージに勝利したという大方の世評であった。しかしアシュケナージ敗北の原因は技巧の優劣というより、わざとらしい音楽作りにあったように思う。ところで当録音年代でもアシュケナージのメロディア録音がまたしても比較の対象になる。私的にはしなやかな音色を基盤とした感覚的精緻のあるアシュケナージの方がはるかに魅力的である。又技術的にも作品25の10のような重音が連続した曲ではアシュケナージの方が闊達である。あと当盤で気付いたのは作品25の1の演奏で、明らかにコルトーの影響が見られる。DG
    盤よりはるかに感動的である。

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     2011/10/30

    最近、ティボーデ ロルティ コラール と聴いてみたが、音の魅力という点ではプリュデルマルシェが一番。技巧が鮮やかな上にクリアーなタッチには品位の高い色艶がある。こう書くと良いことずくめのようだが、音楽性には疑問符が付く。表現には常時工夫がみられるのだが、個々の曲のその曲らしさという点で、ピントがずれている感じを受ける。音楽を把握する直観力に欠けているのだろう。とはいえ音の魅力で結構繰り返し聴きたくなるので不思議な演奏といえる。

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     2011/09/25

    全集も色々と買ってみたが、特徴的な魅力を指摘できないのに何故か個々の曲を聴こうとする場合、食指が動くのがこの全集。その理由をあえて理屈をつけてみる。まずピアノソナタ全曲の見方として楽聖へ到達する過程としての研鑽、発展の記録ということがあるだろう。なるほどそういう意識で聴いても納得できるものはある。が、楽聖の若書きという聴き手の意識が曲を前にして心にかみしもをつけさせていたとう事がありはしないか?当ケンプの演奏は聴き手をそういうものから開放してくれる。この人にとってはベートーヴェンもショパンやシューマンと同じような身近な音楽としてとらえられているのではないか。かつては<技術の不足を精神で補おうとする傾向が強い>(吉田秀和氏)等と評された時代もあったが、そういう表現があまりピンと来ない位、時代が変化したのだろう。

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     2011/07/20

    名演奏といわれたパンゼラやスゼーで聴いていたがフィディレとか前世は兎も角、曲集全体としてはもうひとつ惹かれるものがなかった。ある時マギー・テイトのフィディレを聴いてからデュパルクは女声の方が向くのではないかと考えるようになった。デリケートな旋律線は高い声域で歌った方が鮮明になる。そのことを実証していると思えるのがこのCD。現代的な精緻な声使いが快い。当曲集は管弦楽伴奏のものもあるが曲の良さが生きるのは和声的観点からピアノ伴奏の方である。

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     2011/07/10

    フランソワに限った事ではないが評論的視点からいうとこの人も客観的分析がそれ程まともに行われて来なかったのではないか。小生の意見を羅列してみる。@テクニックがちゃんとした流派のメソッドに属せず我流である。時代は技巧の高度化の流れで、それに取残されたタイプ。為にアシュケナージやポリーニ出現当時はその事が弱点と見られていた。A気分の乗りによって演奏しているので出来にむらがあるという通説について。むらの原因は気分というよりも作品との相性、作品への関心度の高さの違いというべきか。これはアルゲリッチ等と同じ様な事情が起きているのでは。ただアルケリッチは合うものにレパートリーを限定したがフランソワは全集的な録音をしているその結果である。B解釈が個性的、癖があるという見解について。見方によってはその通りだが、様式的なものから入らずとも曲の核心を突くことのできた音楽的才能の結果ではないのか。Cショパンでは随所に音楽性の稀にみる高さを感じる。50年代の録音はピアノの音色がモノクロームであり60年代のステレオ録音では原色的なものへの追求が感じられる。彼のドビュッシーやラヴェルの他の奏者にない特質はその点である。つまり彼は我流によって彼だけの響きの世界を追求したと考えられる。しかし元来こういう音の持ち主だと考えられ、それを台無しにした全盛期の50年代のEMIの稚拙な録音の責任は大きいのでは。録音が良ければもう一つ評価が変わっていた気がする。Dレビューをみるにつけ少なくとも現在日本ではレコードファンの間で最も人気のあるピアニストの一人だと思われる。70年代には想像もできなかった現実である。演奏家の評価も歴史的な時間を要するということなのだろう。

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     2011/04/26

    フルトヴェングラーにジュピターの演奏がない。彼のジュピターが聴きたい。と同時に何故ないのかが知りたい。ベームのように徹底して曲のフォルムと楽器の音を磨くだけでも楽譜が雄弁に音楽を語ってくれる。フルトヴェングラーは曲のドラマトゥルギーを意識的に展開、増殖するタイプの音楽家だった。フルトヴェングラーが指揮したら、このテンシュテットのようなジュピターになったのだろうか。それは分からない。しかしテンシュテットにはフルトヴェングラーと共通するある種の地平があるような気がする。それ故このジュピターを聴くとフルトヴェングラーのジュピターを聴けない空白感がそこそこ穴埋めされたような気持ちになれる。

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