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HMV ONLINE > NEWS > Music > World > Other International > 久保田麻琴 インタビュー

久保田麻琴 インタビュー

Monday, July 13th 2009

interview

久保田麻琴

旅する音楽家、久保田麻琴が沖縄宮古島に辿り着いた。
これまで島外には知られることのなかった宮古音楽のルーツを辿ったフィールド録音&復刻盤『南嶋シリーズ』が4タイトル、そしてそれらの素材を久保田ならではのリミックス的手法で料理したBlue Asia名義の『Sketches of Myahk』の計5タイトルが一挙リリースされた。宮古だけに留まらず、沖縄〜日本の伝統音楽の古層に触れる歴史的快挙を気鋭の音楽ライター、サラーム海上がインタビューした。


--- サラーム海上(以下"サラーム"): 南嶋シリーズ四枚全て聴きました。半泣きで歌っているようなオバアはいるし、ナラズ者っぽいオヤジはいるし、リズムも濃いし、すごいブルーズですね。これを聴いてしまうと、沖縄本島の民謡が随分と整理された音楽のように聞こえてしまいます。

久保田麻琴(以下"久保田")  「そうなんだよ。実は私も二年前までは宮古にこんな力強い際だった音楽があるとは知らなかった。いわゆる日本の民謡、沖縄の民謡と言うと、どこか地味な印象を持つ人が多いだろうけど、宮古の古謡は、どこかエチオピアやサハラ、あるいはブラジル北東部やカリブのルーツ音楽にも似た伸びやかで、意外性に満ちた音楽だった。例えばカリブ音楽の中でも多くのラテン音楽とレゲエは別と考えるでしょう。それと同じく宮古の音楽も沖縄民謡と分けて考える必要があるんだよ。
 ある曲の歌詞の内容は、ある年に池間島が大飢饉に襲われた。そこで陳情団が琉球の政府まで行き、年貢の免除を申し出た。もし免除されなかったら、島の人々は来年まで生き延びることが出来ず死に絶えてしまう。なんとか年貢を免除されて、陳情団はそれを知らせに太鼓を打ちながら島に戻る。それはもう嬉しいとかを超えた壮絶な気持ちだったはず。そのメロディーがなんと日本的なはずなのに、どこか地中海的と言うか、西半球のほうに繋がるような。他の曲も19世紀にアメリカ南部の綿花地帯で黒人奴隷が歌っていたワークソングと通じるような....」

--- サラーム: 70年代初頭のアメリカに始まり、ハワイ、最近ではベトナムやモロッコやエチオピアなど、世界中を回って音楽を求めてきた久保田さんが、宮古に通い始めたきっかけは?

久保田 「三年くらい前に紀伊半島の熊野に行ったんです。熊野三山よりもっと奥のすごくアニミスティックな所。そこで小さいギターを爪弾きながら道を歩いていたら、何かに反応して自然に、一種のスラックキーのようなチューニングが出てきた。歩きながら知らない曲を一曲弾いていた。それは一種不思議な体験だった。
 それと前後して訪れたエチオピアでは、現地の人々の佇まいや振る舞いがまるで古い日本人を見ているように思えた。お辞儀の仕方とかね。その熊野とエチオピアの二つの印象が渾然と重なって、フッと日本の古層を見てみたいという気になってきた。日本書紀より前の時代の日本を。それで自分の帰る場所が初めてわかったような。そこで、沖縄を思い出した。私は70年代に沖縄にハマったけれど、その後しばらく興味を失っていた。それを30年ぶりにまた見たくなった。日本列島の一部なのに強烈に異国的なあの感じをもう一度確かめたいと。そこで沖縄が日本に復帰した頃に沖縄に移住した友人に電話してみると、沖縄本島は本土と同じようなものだから、宮古に行ってみればと言われて、宮古に行ったんです」

--- サラーム: 宮古島への旅は、前もって音楽家達と会う約束をしていたわけでなく、いつものように本能的、いわば行き当たりばったり的に出かけられたのでしょうか?

久保田 「いや、相変わらず直感的ですね。最初は池間島で泊まった宿が印象悪かったりもしたのですが、いつも旅先でやっているように「だれか古い歌を知ってる人いませんか?」と聞き込みをはじめると、すぐに道筋が見えてきた。なんか宮古の人はオープンなんだよ。浜でアダンの実を取ってるおばぁから、付き添いの小学生までが「小学校の音楽の先生がわらべ歌を知ってるはず、学童の新城さんが音楽に詳しい、民謡の先生なら、、、」などと、真摯に答えてくれた。
 たまたま入ったあるカフェでは、私のBlue AsiaのCDが続けてかかっていて、オーナーの女性に話しかけると、幸運なことに現地の古謡や民謡に詳しい人だった。彼女曰く、以前は祭祀(さいし)に出くわしたりしたが、最近はあまり見なくなったと。それでも、彼女のお子さんが通っている保育園の園長先生が地域の歴史に詳しいと聞き、紹介してもらったところ、彼から祭祀体験のある高齢者を何とか集めてみようという提案が出たんだよ。そして三度目の宮古訪問で録音したのが08年にリリースした『宮古の神歌』です。」

--- サラーム: わくわくします。まるでインディー・ジョーンズ、いや、アラン・ローマックスやハリー・スミス(20世紀前期からアメリカ各地でフィールド録音を行い、フォーク、ブルース、ジャズなどアメリカ大衆音楽を後生に伝えた音楽家、音楽学者)みたいな世界ですね。今回の南嶋シリーズ、『MYAHK 宮古多良間古謡集1』と『PATILOMA 波照間古謡集1』の二枚は新たなフィールド録音、あとの二枚『IKEMA 池間島古謡集』と『NISUMURA 宮古島西原古謡集』は忘れられていたレコードの復刻版ですね。フィールド録音はどのような場所で行われたのですか?

久保田 「遮音されたスタジオで録ることも考えましたが、なるべく地元に近いところという配慮で幼稚園の事務室や公民館、民家で、交通の少ない休日などに録音しました。だから歌のバックに鳥や虫の声や耕耘機のモーターの音が薄く聞こえるかもしれません。
 復刻盤のほうは、私が何度となく宮古に足を運び、古い歌を聴きたいと言い続けてたところ、だんだんと私の所に古いレコードやCDRが転がり込んできて。『NISUMURA 宮古島西原古謡集』は西原の村立100周年を記念して1973年に録音された二枚組のレコードを復刻しました。まるで戦前のデルタ・ブルースやギリシャのレンベーティカのようなヴァイブスがある。ちょうどその年、私は八重山を旅していて、西表の観光バスでたまたま聞いた喜納昌吉の『ハイサイオジサン』にノックアウトされていたんだよね。その足で宮古に来るべきだったね。でも、それが三十数年を経て届いたのだから人生は面白い。
 83歳の普段サトウキビ畑をやってる盛島宏さんという隠れたマエストロに出会って、彼が目の前で歌い出した時はもう泣きそうになりましたよ。ついに日本にもミシシッピー・デルタのような世界が私の前に....三線と太鼓だけなのにすごいグルーヴですよ」

--- サラーム: それらの音源を元に久保田さんがリアレンジして、バックトラックを加えたのがブルー・アジア『スケッチ・オブ・ミャーク』。今回はいつもよりもブルージーな音が中心ですね?

久保田 「例えば『ナカヤマーブ』の原曲は『MYAHK 宮古多良間古謡集1』に収録しています。佐良浜地区の元司(つかさ)役の女性の一人、仲間八重子さんの歌声がちょっとハスキーで太くて、どこかシャーデーみたいだったので、一人で歌ってもらった。本人は恥ずかしがっていたけど。そこにボサノヴァなバックを付けたら、すっとハマってしまった。私は元の歌に合わせて音を付けていくだけなんです。
 『イケマクドゥチ』の原曲は『IKEMA 池間島古謡集』に収録している70年代の録音。池間島で散髪屋さんを営んでいた嵩原清さんがすごいグルーヴで歌っている。それを私がオリジナルのグルーヴに沿ってススッと歩いてみた。別にアレンジしているわけじゃないけど、アトランティック・ソウル、ヒッピー・ソウルと自分では呼んでますけど、になっている。ドラムスはSAKEROCKの伊藤大地君がカセットに合わせて叩いてくれた。彼は本当にイイドラマーだよ。もうジム・ケルトナーに頼まなくても日本で見つかった(笑)」

--- サラーム: 神歌、古謡を歌っているのは高齢の方がばかりですが、現在こうした歌は若い世代に伝承されていないのでしょうか?

久保田 「西原のおばぁ達が唄ってくれた神歌は、神行事の終焉とともにほとんど廃れようとしていたんです。久高島のイザイホーという大規模な神行事が終わってしまったのが1978年。それでもいくつかの集落で残っていたんだね。
 各村落で祭祀のスタイルはかなりヴァリエーションがあるということも後で知りました。何十曲もの多くの神歌を持つ集落もあれば、数曲でことたりる集落もある。参加メンバーも最小で3人の神役の場合があったり、かっては10以上からなる狩俣などの集落もあった。いずれにせよ、宮古でも数えきれない神歌が何百年も、あるいはそれ以上の間、唄われてきたことになる。祭祀の多くは、集落にある御嶽(うたき)と呼ばれる聖域で女性達中心によって行われる。ところが祭祀そのものが廃れようとしている現在、今後もここで唄われる神歌は伝承されることもなくなる。録音しなければ、もう聞かれることもなくなる。そして宮古全域でも、どうも懇ろに神行事を行っている集落は数える程しか残っていないんです。今、友人の映像作家、大西功一がついにドキュメンタリーを撮り始めました。」

--- サラーム: 現代の日本の片隅にこれまでほとんど発見されずにいた音楽があったということ自体にも驚きました。30数年前に『ハイサイオジサン』を最初に本土に紹介した麻琴さんが、30数年経って再び発掘することになったというのも不思議な縁ですね。

久保田 「そうだね。思えば、団塊のロック世代の私はサンフランシスコや沖縄がスタートとなり、遠くエチオピアやブラジルまで行ってしまった。だからそこから自分の帰る場所、日本にポッと灯りが付いた。伸びきったゴムが戻ってくるような感覚なんだよね」

--- サラーム: 7月18日(土)、19日(日)、そして20日(月・祝)、東京の夏音楽祭、青山の草月ホールにこの作品群に参加した20名以上の方が上京して公演を行いますが、聞き所は?

久保田 「西原の高良マツ、長崎トヨ、村山キヨ、平均年齢何と90歳、3名のおばぁ達が登場します。おなじく西原のサトウキビ畑で働く唄者、盛島宏、83歳。伊良部島の佐良浜地域からは現役を卒業したばかりの5名の元司達のハーニーズ・佐良浜も、彼女達はまだ50代で、歌を次世代に繋げようとしています。そして伊良部からは10歳の天才民謡歌手、譜久島雄太。多良間島からは古くてユニークな古謡を唄う浜川春子ら、総勢20名以上がステージに登場して、4時間近い内容になるはずです。18日、19日のチケットはほぼ完売状態です。そこで翌日の20日に内容を変えて、宮古民謡を中心にした追加公演を決定しました。こちらもかなり凄い発掘があるので、見逃せませんよ。私もナビゲーター、そして会場音響の責任として参加します」

新譜Blue Asia / Sketches Of Myahk
旅する音楽家、久保田麻琴の新たな旅の目的地は沖縄・宮古島。
これまで島外には知られることのなかった宮古音楽のルーツを辿ったフィールド録音&復刻盤『南嶋シリーズ』4タイトル、そしてそれらの素材を久保田ならではのリミックス的手法で料理したBlue Asia名義の『Sketches of Myahk』の計5タイトルが一挙リリースに。さらに詳しい特集記事はコチラ
「久保田麻琴の旅、宮古島へ」

profile

久保田麻琴 Makoto Kubota:
同志社大学在学中より、伝説の「裸のラリーズ」のメンバーとして活動をはじめる。当時の録音は1991年にリリースされ、2008年にリイシューされた。
 1973年に東芝よりソロアルバム『まちぼうけ』を発表し、その後、夕焼け楽団とともに数々のアルバムを発表、エリック・クラプトン初来日公演の全国ツアーにオープニングアクトとして参加するなど精力的にライヴ活動も行う。またアレンジャー、プロデューサーとしても喜納昌吉の本土紹介に関わり、チャンプルーズのアルバム『ブラッドライン』ではでライ・クーダーとも共演。
 80年代にはサンセッツとともに海外でも広く活動し、ジャパンの英国ツアーでのオープニング、オーストラリアではツアーや多くの野外フェスでトーキング・ヘッズ、ユーリズミックス、プリテンダーズ、インエクセスなどと共演。84年にはシングルが豪州でトップ5入りを果たす。
 90年代より、プロデューサーとして「ザ・ブーム」、「ディック・リー」、「Monday満ちる」など多くのアーティストのプロデュースを手がける。コーヒールンバのインドネシア語カバー、“KOPI DANGDUT”は、現地でミリオン・セラーとなる。95年には宮本亜門演出によるミュージカル“マウイ”の音楽監督を行う。
 99年には細野晴臣とのユニット、「Harry and Mac」で久々にロック・シンガー・ソングライター・としてカムバックし、2000年にはさらにニューオリンズやウッドストックで「ザ・バンド」のレボン・ヘルムやガース・ハドソンなどと共演したソロ作品『ON THE BORDER』を発表、「Tin Pan」のツアーにも参加する。
 そして2001年には池田洋一、そしてマレーシアのMac Chew、Jenny Chinらとチームを組み、Blue Asiaプロジェクトをスタートさせ、『HOTEL IBAH』(CD and DVD)、『HOTEL ISTAMBUL』の2枚のアルバムを発表。以来06年までに『HOTEL WAIMEA』『HOTEL ReCHAMPUR』『HOTEL VIETNAM』『HOTEL BANGKOK』『HOTEL MOROCCO』を発表、それぞれが欧州55名のラジオDJが選ぶチャート www.wmce.de で上位にランクイン。『HOTEL BANGKOK』は06年、Charlie Gillettにより英国BBCのワールド・ミュージック部門の CD of the Month に選ばれ、そして英ガーディアン誌のトップ10CD にノミネートされた。何曲かは2005年にPUTUMAYOレーベルから、『WORLD LOUNGE』、05年の『ASIAN LOUNGE』にそれぞれフィーチャーされた他、何種類かの海外のコンピレーションにも使用される。
 また本人名義でハワイをテーマにした『Kauai March-05』、デラ・レコードより『BALI』、『INDIA』の2枚のアルバム、他には「あがた森魚」、「 東京ローカルホンク」、「松田美緒」、「Dois Mapas」、「スカンク兄弟」、古箏奏者の「ウー・ファン」、揚琴奏者の「ウェイウェイ」などのアルバムのプロデュース、モータウン・トリビュート・アルバム『SAKURA MOTOWN REVUE』や6人のアジアの女性アーティストをフィーチャーしたNIKEのプレミアムCD『AFTER』のプロデュースを行う。CM音楽ではキューピーのタラコ・クリーム・ソース、キリン TROPICANA オレンジジュースなど多数を制作。
 05年以降コンピレーションではブラジル北東部音楽の『Nordeste Atomico』、『Nordeste Atomico Dois~Deep Samba』、東京のワールドミュージックシーンを伝える『NOMAD CLUB』を制作。久保田の著作には岩浪新書『世界の音を訪ねる-音の錬金術師の旅日記』がある。DJや講演、コンサートや企業用イベントの企画制作も行い、ラジオ番組への選曲なども行う。

サラーム海上(うながみ) Salam Unagami:
よろずエキゾ風物ライター/DJ/和光大学ぱいでいあ講師。
 「エキゾ」とは「ココでないドコか」そんな何処かへ連れて行ってくれる音楽や料理や風物を求めてあっちこっちにフラフラと。伝統音楽と現代音楽の出会いをテーマに中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽シーンをフィールドワークし続ける。
 著作に「プラネット・インディア インド・エキゾ音楽紀行」(河出書房新社)、「エキゾ音楽超特急 完全版」(文化放送メディアブリッジ)。著述業以外に、ラジオ番組「オリエント・エクスプレス」(文化放送デジタル)のナビゲーターや和光大学オープンカレッジでの講座、クラブDJ、中東料理のスーパーバイザーなど幅広く活躍中。

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