CD 輸入盤

【中古:盤質A】 交響曲第1番、第9番 クレツキ&イスラエル・フィル(2CD)

マーラー(1860-1911)

中古情報

新品ジャケット
こちら ※参考のため、実際の商品と異なる場合がございます
:
A
特記事項
:
2枚組み
:
HMV record shop オンライン

基本情報

ジャンル
カタログNo
DHR7850
レーベル
Canada
フォーマット
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

(こちらは新品のHMVレビューとなります。参考として下さいませ。中古商品にはサイト上に記載がある場合でも、封入/外付け特典は付属いたしません。また、実際の商品と内容が異なる場合がございます。)

待望の初CD化!
クレツキ&イスラエル・フィル/マーラー第1番&第9番

素晴らしいベートーヴェン全集で知られるポーランド生まれの指揮者で作曲家のパウル・クレツキ[1900-1973]は、若い頃にすでにフルトヴェングラーやトスカニーニ、アルフレート・アインシュタインなどから作曲家としての才能を絶賛されるほどの際立った存在で、特にフルトヴェングラーとはプライヴェートでもかなり親密な関係にありましたが、ナチスの台頭により、ユダヤ系だったクレツキはイタリアに逃れることとなります。しかし、ファシスト政権下で強まる反ユダヤ主義的傾向に嫌気が差したクレツキは今度はソビエトに逃れますが、ここでもスターリンによる粛清の恐怖に苛まれ、結局は夫人の祖国でもあるスイスに落ち着くことになります。
 その間、アンチェル同様、ナチスによって両親や姉妹を虐殺されたクレツキは、深い精神的打撃を受け、1942年以降は作曲をすることができず、結果として指揮に専念することになったようです。以後は世界各地で活躍しますが、1973年、リヴァプール・フィルとのリハーサル中に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
 共演するオーケストラ、イスラエル・フィルは、名ヴァイオリニスト、フーベルマンにより、ヨーロッパ各地でユダヤ系であることを理由に解雇された楽員などを集めて1936年に創設されたオーケストラで、当初の名前はパレスチナ交響楽団。旗揚げ公演はトスカニーニが指揮し、その後、1948年に現在の名前に改称、以後、圧倒的な弦楽セクションを看板に世界有数のオケとして今日に至ります。のちのバーンスタインメータとも優れた演奏を聴かせていたこのオーケストラがマーラーに寄せる共感は特別なもの。クレツキとの第1番と第9番でも美しい弦楽を基調として、濃厚な音楽をつくり上げています。 
 今回、オーフラ・ハーノイの父君が運営するカナダのヒストリカル・レーベル“DOREMI”からリリースされるこのマーラー・アルバムは、EMIによって収録されたイスラエル・フィルとのセッション・レコーディングが音源で、マーラー初期の注目録音としてマニアには有名な演奏でもあり、今回のCD化は非常に嬉しいところです。なお、交響曲第9番の第2楽章には、若干のカットがありますが、これはクレツキ自身によるものです。
 クレツキのマーラーには、ほかにウィーン・フィルとの交響曲第1番(1961)、フィルハーモニア管との交響曲第4番(1957)、交響曲第5番のアダージェット(1959)、『大地の歌』(1959)といった録音があり、それらはすべてCD化済み。また、NHK交響楽団を指揮してフィッシャー=ディースカウのソロを伴奏した『さすらう若人の歌』という珍しい映像もすでにDVD化されています。
 
・マーラー:交響曲第1番ニ長調『巨人』
・マーラー:交響曲第9番ニ長調
 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
 パウル・クレツキ(指揮)
 録音:1954年4〜5月(モノラル)

ユーザーレビュー

総合評価

★
★
★
★
★

5.0

★
★
★
★
★
 
1
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0
★
★
★
★
★
メータやバーンスタインとの共演でも感じる...

投稿日:2006/12/16 (土)

メータやバーンスタインとの共演でも感じる事だが、マーラー演奏時のイスラエルフィルの響きは格別だ。魂を優しく包み込んでくれる様な共感の深さといとおしみを一音一音に感じさせてくれる特別なオーケストラだ。クレツキも不遇を体験したユダヤ人という事もあり、聴いていてすっかり溺れてしまい、9番最終章では涙が止まらなかった。マーラーはイスラエルフィルで聴きたい。

マーラーファン さん | 気仙沼 | 不明

4

人物・団体紹介

人物・団体ページへ

マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

プロフィール詳細へ

関連するトピックス

音楽 に関連する商品情報

おすすめの商品