ベルク(1885-1935)

ベルク(1885-1935) プロフィール

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“アルバン・マリア・ヨハネス・ベルク[1885-1935]は、新ウィーン楽派の一員として、シェーンベルク、ヴェーベルンと共に活躍したオーストリアの作曲家。師のシェーンベルクのもと、ヴェーベルンが未来を志向したと言われるのに対し、ベルクは過去と密接に繋がって、無調や十二音の作品でさえ後期ロマン派的で濃密な気配を感じさせたのがポイント。
 裕福な商人の家庭に生まれたベルクは、最初、文学や演劇に関心を持った少年でしたが、15歳から独学で作曲の勉強を開始し、歌曲などを書いています。この頃、恋愛事件によって自殺未遂まで追い詰められるなど、きわめて多感だったベルクでしたが、シェーンベルクとの出会いによって、作曲家として身を立てることを決意したのも同じ頃のことでした。
 彼がシェーンベルクに師事したのは1904年から1910年までのことで、その間、ピアノ・ソナタop.1や、4つの歌曲op.2、弦楽四重奏曲op.3を作曲しています。
 1911年には、オペラ歌手志望のヘレーネ・ナホヴスキーと結婚。翌年には《アルテンベルク歌曲集》を完成し、同作品は1913年3月31日にシェーンベルクの指揮によって演奏された際、大騒ぎを巻き起こし、遂には警察沙汰にまでなるという反響を呼びました。
 シェーンベルクに批判されたベルクは、それに応えるため、師の指示通りにオーケストラのための小品を書きます。が、実際の作品は、小品とは名ばかりの強烈な作品となり、マーラー風の音楽をシェーンベルク的な語法で要約したかのような印象的な作品となりました。
 ちなみに同作品には、マーラーが第6交響曲で用いた「ハンマー打撃」の手法が用いられているのも興味深いところです。

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