SACD 輸入盤

エルガー:チェロ協奏曲、海の絵、ディーリアス:チェロ協奏曲、他 デュ・プレ、ベイカー、バルビローリ指揮、サージェント指揮(2SACD限定盤)

エルガー(1857-1934)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
9559052
組み枚数
:
2
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
SACD
その他
:
限定盤, ハイブリッド,輸入盤

商品説明

EMI Signature Series
デュ・プレ/エルガー&ディーリアス:チェロ協奏曲集


ジャクリーヌ・デュ・プレの残した録音の中でも特に人気の高いエルガーのチェロ協奏曲を、LP発売時のオリジナルな組み合わせで収録。もう1枚はディーリアスのチェロ協奏曲を同じくLP発売時のオリジナルな組み合わせで収めています。

【エルガー】
デュ・プレのエルガーは、映像やライヴ録音など数種類が残されていますが、セッション録音はこのバルビローリ盤のみで、細部まで徹底した表現と音質、そして指揮者の資質の素晴らしさによって、やはりこのバルビローリ盤の評価が現在も最も高いようです。
 組み合わせの『海の絵』は、エルガーならではのしっとり美しい旋律を味わえる佳曲。名歌手ジャネット・ベイカー若き日の美声を味わえる名録音です。

【ディーリアス】
ディーリアスによるチェロ協奏曲は、風景や時間の流れに託す心情を雰囲気豊かに描き出す達人ディーリアスならではの個性が明確に刻印されており、ゆったりとした美しさを感じさせてくれる名品。デュ・プレの演奏は表情豊かなもので、音楽の繊細な移ろいを着実に伝えてくれます。
 組み合わせはディーリアス晩年の代表作である合唱つきの傑作『告別の歌』と、夜明け前の田園風景を小編成オケで描いた『夜明け前の歌』。指揮のサージェントは、若きデュ・プレの最初の恩人だった人物で、ここでも息の合った演奏を展開しています。(HMV)

【収録情報】
Disc1
エルガー: ・チェロ協奏曲ホ短調 op.85
・歌曲集『海の絵』 op.37(全5曲)

 ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)
 ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)
 ロンドン交響楽団
 サー・ジョン・バルビローリ(指揮)
 録音時期:1965年8月
 録音方式:ステレオ(セッション)

Disc2
ディーリアス:
・告別の歌
・夜明け前の歌
・チェロ協奏曲

 ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)
 ロイヤル・コーラル・ソサエティ
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 サー・マルコム・サージェント(指揮)

 録音時期:1965年1月、3月、4月
 録音方式:ステレオ(セッション)

 SACD Hybrid
 CD STEREO/ SACD STEREO
 2011年リマスター音源

【ジャクリーヌ・デュ・プレ・プロフィール】
第二次世界大戦も終わりに近づいた1945年1月26日、ジャクリーヌ(ジャクリーン)・デュ・プレは、音楽好きの父デレクと、ピアノや声楽などの素養があった母アイリスの次女としてイギリスのオックスフォードに生まれます。「デュ・プレ」というフランス人のような姓は、先祖が英国海峡フランス沖にあるジャージー島の出身者だったためとのこと。  ジャクリーヌは、4歳の時にラジオから流れるチェロの音に関心を持ったことがきっかけで、母親のアイリスから4分の3サイズのチェロを与えられ、5歳になると母の薦めもあって、ロンドン・チェロ・スクールで姉のヒラリーとともに本格的にチェロのレッスンを受けることとなります。このスクールの総長はチェリスト出身の名指揮者ジョン・バルビローリで、彼はすぐにジャクリーヌの才能を見抜いたといいます。
 10歳になると、ギルドホール音楽学校に通い始めます。この年の始めには、後年まで「マイ・チェロ・ダディー(私のチェロのお父さん)」と呼んで敬愛したイギリスのチェリスト、ウィリアムス・プリースと初めて出会っており、彼女を気に入ったプリースは7年間に渡って彼女を教えることとなります。
 11歳でチェロ援助基金に合格した彼女は、12歳のときにBBC主催のコンサートで演奏。15歳のときには、ギルドホール音楽学校の金メダルを獲得し、クィーンズ賞も受賞、さらにスイスではカザルスのマスタークラスにも参加して腕を磨きます。
 翌1961年3月1日、16歳のときにロンドンのウィグモアホールで、プロとしての正式なデビュー・コンサートをおこない高い評価を獲得。直後にBBCでヘンデルのソナタ、ファリャのスペイン民謡組曲を録音しています。
 年末から翌1962年にかけてはBBCでバッハ無伴奏チェロ組曲第1番、第2番を演奏し、2月には母アイリスの伴奏でサン=サーンス:アレグロ・アパッショナート、グラナドス:ゴイェスカス間奏曲、メンデルスゾーン:無言歌二長調などを演奏して映像を収録(→EMI)。また、3月21日には、ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールでルドルフ・シュヴァルツ指揮BBC交響楽団の演奏会でエルガーのチェロ協奏曲を演奏し、大きな成功を収めることとなります。
 その成功により、同じ年の夏にロンドンでおこなわれた「プロムス」にも出演して同曲を演奏、国民的なコンサートでの見事な演奏により、一躍人気を集めることとなったのです。なお、同じ夏にはEMIでブルッフのコル・ニドライ、パラディス:シチリエンヌ、シューマン:幻想小曲集、メンデルスゾーン:無言歌ニ長調、ファリャ:ホタ、バッハ:トッカータ、アダージョとフーガよりアダージョ、サン=サーンス:白鳥をセッション録音しており、9月には、ブラームス:チェロ・ソナタ第2番をアーネスト・ラッシュのピアノでライヴ録音しています。
 彼女はしかし、まだ自分の演奏に満足しておらず、この年の秋、フランスの名チェリスト、ポール・トゥルトゥリエに師事するため、パリに6ヶ月間留学することとなります。
 1963年には、ジェラルド・ムーアとのパラディス:シチリエンヌ、シューマン:幻想小曲集のほか、恩師ウィリアム・プリースとのクープラン:コンセール第13番が録音されています。この年、サージェントの指揮でエルガーのチェロ協奏曲を演奏しており、かつてはその録音がリリースされていました。
 1964年には、後援者のイスメナ・ホーランドから、ストラディヴァリウスの銘器ダヴィドフを贈られ、以後、生涯に渡ってこの楽器と付き合うこととなるのですが、デュプレの演奏が激しいこともあって、ダヴィドフはたびたび修理に出されていたようです。
 1965年1月、ジャクリーヌは、初の協奏曲レコーディングとなったディリアスのチェロ協奏曲をサージェント指揮ロイヤル・フィルとおこない、4月にはゆかりの深いバルビローリと初の共演を果たします。曲はもちろんエルガーです。
 翌月にはドラティ率いるBBC響のアメリカ・ツアーに同行し、カーネギーホールで華々しいデビューを飾っています。曲はやはりエルガーでした。8月にはバルビローリ指揮ロンドン交響楽団とエルガー:チェロ協奏曲のレコーディングをおこない、12月にはLPが発売されるなど、13歳から親しんだエルガーの名曲が、彼女のトレードマークとして、世界で広く知れ渡ることとなりました。
 この12月にはスティーヴン・ビショップとベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番と第5番をレコーディングしています。
 翌1966年2月には、彼女はさらなる研鑽を積むべく4ヶ月間ロシアに留学してムスティスラフ・ロストロポーヴィチに師事します。
 同年12月には、招待されたフー・ツォン家のクリスマス・パーティで、ダニエル・バレンボイムと出会い、彼女の提案によってブラームスのソナタ第2番へ長調が演奏されます。
 翌月(1967年1月)、バルビローリ指揮BBC交響楽団のロシア東欧ツアーに同行、1月3日、プラハ芸術家の家でエルガー:チェロ協奏曲を演奏してライヴ録音(→TESTAMENT)、4日後には、モスクワ音楽院大ホールでも同じくエルガーで賞賛を受けます。
 同年4月5日、バレンボイム指揮イギリス室内管弦楽団と初の共演でハイドンを演奏、ほどなく婚約が発表され、2ヵ月後には結婚式が挙げられます。なお、婚約直後にはバレンボイムとハイドンのチェロ協奏曲第1番とボッケリーニのチェロ協奏曲第9番のレコーディングがおこなわれ、さらにエルガーのチェロ協奏曲をバレンボイム指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と映像収録しています(→OPUS ARTE)。11月にはチェリビダッケ指揮スウェーデン放送響のコンサートでドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏してライヴ録音(→TELDEC)、12月にはバルビローリとハイドンのチェロ協奏曲第2番のレコーディングがおこなわれています。
 1968年4月は、エードリアン・ボールトと『ドン・キホーテ』のレコーディングをおこない、バレンボイムとはブラームスのチェロ・ソナタ第1番と第2番シューマンのチェロ協奏曲を録音、5月になるとシューマンの仕上げに続いてブラームスのチェロ・ソナタ第1番と第2番を再度録音、6月には、バレンボイムとブルッフ:コル・ニドライを録音し、9月にバルビローリとモンのチェロ協奏曲、バレンボイムとサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番を録音しています。
 この年の8月には、彼女が前年に訪れたプラハにソ連軍が侵攻、難民化したチェコ人を応援すべく、ロイヤル・アルバート・ホールでドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏するとバレンボイムと共に発表したところ、コンサート直前に脅迫を受け、警察の保護を受けることになるものの、なんとか演奏を終えています。
 1969年は4月にジェラルド・ムーアとフォーレ:エレジーをレコーディングしているほか、8月にはクリストファー・ヌーペン監督のためにシューベルト『ます』の全曲演奏を含むドキュメンタリーを映像収録(→OPUS ARTE)。12月から翌年1月にかけて、ズーカーマン、バレンボイムとベートーヴェンのピアノ三重奏曲全集をレコーディングしています。
 1970年1月、ドゥ・ペイエ、バレンボイムとベートーヴェン:クラリネット三重奏曲を録音。8月、エディンバラ・フェスティヴァルでベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集をバレンボイムとライヴ録音(→EMI)。渡米し、11月にバレンボイム指揮シカゴ交響楽団とドヴォルザークのチェロ協奏曲をレコーディング。フィラデルフィアでのコンサートでは、エルガーのチェロ協奏曲をバレンボイム指揮で演奏し、ライヴ録音(→SONY)。
 1971年1月、バレンボイム指揮フィラデルフィア管弦楽団のコンサートでサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番をとりあげライヴ録音(→TELDEC)。英国に帰ってから、指先の感覚が鈍くなるなどの体調不良を訴え、病院で診察を受けた結果、心因性のものと診断され、秋から1シーズンの演奏をすべてキャンセルします。しかし、12月にはかなり良くなり、キャンセルしたベートーヴェンのチェロ・ソナタの代わりに、ショパンとフランクのチェロ・ソナタをバレンボイムとセッション録音します。このときの演奏は、5ヶ月間もチェロに触れていなかったことが信じられないほどの名演奏でしたが、これが彼女の最後のスタジオ録音となりました。
 1972年7月、エルサレムで、ラジオ放送のためにバレンボイム、ズッカーマンとチャイコフスキーのピアノ三重奏曲『ある偉大な芸術家の思い出』を演奏しライヴ録音(→EMI)。
 1973年1月、バレンボイム指揮クリーヴランド管弦楽団のコンサートでラロのチェロ協奏曲を演奏しライヴ録音(→EMI)。同年2月、メータ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とエルガーのチェロ協奏曲を演奏し、さらにニューヨークではリサイタルも開きますが、症状は徐々に進行しており、バーンスタインとの共演はキャンセル、4月に来日した際にはすでに演奏不可能となり、予定されていたコンサートはすべて中止となってしまいました。
 同年10月には中枢神経が冒され、難病「多発性硬化症」と診断されます。しかし、ジャクリーヌ本人や家族は、この病気の進行が遅いものであることを祈って日々を過ごしていたのですが、1975年、ニューヨークのロックフェラー研究所がくだした診断は、「多発性硬化症がさらに悪化している」というもので、これにより、ジャクリーヌはチェリストとして事実上の引退を決断することとなり、後進の指導にたずさわる道を選びます。
 この年、ジャクリーヌは音楽での社会貢献を称えられて大英帝国勲位(OBE)を授与され、一方、夫のバレンボイムはパリ管弦楽団の音楽監督に就任。パリを本拠地とするようになります。
 1978年、プロコフィエフの『ピーターと狼』のナレーターとして、「ジャクリーヌ・デュ・プレ基金」設立の記念コンサートに参加。
 1979年、エリザベス皇太后から音楽博士の名誉学位を授与されます。同年、母校のギルドホール音楽学校でBBCのために4回シリーズのマスタークラスも実施。
 1987年10月19日、病状悪化によりロンドンの自宅で死去。享年42歳でした。
 1988年1月26日、生きていれば43回目の誕生日だった日に、その輝かしい生涯に感謝するコンサートが開かれ、デイム・ジャネット・ベイカーが歌い、ズービン・メータがスピーチをし、夫だったバレンボイムがイギリス室内管弦楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲第27番を弾き振りで演奏しました。
 1989年、ガーデニング好きには有名なハークネス社が、彼女の名を冠した「ジャクリーヌ・デュ・プレ」というバラを発表。晩年、視力が衰えたジャクリーヌが、その香りの美しさから好んだという白く清楚で儚げなバラで、現在でも高い人気があります。(HMV)

ユーザーレビュー

総合評価

★
★
★
★
★

5.0

★
★
★
★
★
 
3
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0
★
★
★
★
★
このシリーズ自体の評判を聞くにつけ、手に...

投稿日:2012/09/02 (日)

このシリーズ自体の評判を聞くにつけ、手に入れたいと思っていました。  高品質を約束するジャケットを手にし、聴きました。  なんでしょうか、この自然さ。静けさと迫力が同居しているじゃないですか。つい繰り返し聴いてしまいます。   デュプレ目当てで購入した私には、さらにうれしいことも。   それは、ジャネットベイカーの「海の絵」における名唱でした。バルビローリ先生のコーラスさばきの妙もあって、これまた繰り返し聴くことになりそうです。   カップリングした当時のスタッフの目利きぶりと、現代のテクノロジーで仕上げたプロジェクトのスタッフに敬意を表して。

かなめ はじめ さん | 山形県 | 不明

4
★
★
★
★
★
ブラ4と並んで人生の黄昏を感じさせるエル...

投稿日:2012/04/28 (土)

ブラ4と並んで人生の黄昏を感じさせるエルガー、私の好きな曲です。 私と一歳違いのジャクリーヌの若さを超えた繊細な演奏はひときわ味があると思います。 ジャネットは私にはあまり馴染みは無かったのですが、SACD リマスターのせいかその艶やかな声に印象を新たにしました。 こうなると豪放大胆なイメージのあったサン=サーンスとシューマンも待ちたいですな。 ああ、ベスト○○、決定版△△がだんだんSACD に置き換わっていく・・・(笑)

manmansaru さん | 神奈川県 | 不明

1
★
★
★
★
★
デュ・プレのエルガー/チェロ協奏曲は以前...

投稿日:2012/04/15 (日)

デュ・プレのエルガー/チェロ協奏曲は以前から名盤としての評価が高くCD初期から音質がよくなったと言われるたびにCDを買い替えながら聞いていたがのだがいまいちぱっとせず、どこがいいのか正直なところよくわからなかったが、このSACDを聞いてびっくり。音の深みがあり、チェロの息使いがよくわかる。なるほですばらしい演奏だと納得。この音でこの価格とは・・・。

せんちゃん さん | 福島県 | 不明

3

人物・団体紹介

人物・団体ページへ

エルガー(1857-1934)

近代イギリスを代表する作曲家、サー・エドワード・ウィリアム・エルガーは、1857年6月2日、イギリス中西部ウスター近郊のブロードヒースで生まれました。経済的に恵まれなかったため正規の音楽教育を受けることができず、ほとんど独学で勉強したそうですが、ピアノ調律師で楽器商を営んでいた父親のウィリアムは、生業のかたわら聖ジョージ・ローマ・カトリック教会のオルガニストを務めていたそうですから、やはりその血の

プロフィール詳細へ

エルガー(1857-1934)に関連するトピックス

協奏曲 に関連する商品情報

おすすめの商品