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Sandy Denny (サンディ・デニー) プロフィール

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欧米での知名度の高さに比べて、ここ日本では今ひとつ一般的な知名度が低いと思われるが、ぜひ多くの人に聴いて欲しいシンガーが本稿の主役、サンディ・デニー。彼女は日本では比較的限られた範囲で――フェアポート・コンヴェンションなどの英国フォーク・ロック〜英トラッド系のアーティストを好むリスナーに――絶対的な人気を誇る。もともとはアメリカの影響を受けて始まったイギリスのフォーク・ロックは、やがて英国トラッドという要素と結びつき、独自の風土の影響を感じさせる音楽へと発展を遂げ、今も脈々とコアなファン層によって支えられている。その英国フォーク・ロック黎明期の名グループがフェアポート・コンヴェンションストローブスだった。そしてその両者に参加しシンガーとしての高い評価を受けたのがサンディ・デニーだ。

サンディ・デニーは1947年1月6日、ロンドン郊外のウィンブルドンに生まれた。キングストン・アート・カレッジに通っていた彼女は、その頃からギターを手に歌っていたという。学業を終えると、プロンプトン・チェスト病院で看護婦として働く一方、ロンドンのフォーク・クラブに出入りし、そこで知り合ったアメリカ人シンガー・ソングライターのジャクソン・C・フランクと恋仲になった。サンディの当時のレパートリーは、自作曲がまだ余りなく、アメリカン・フォークが中心。トム・パクストンジャクソン・C・フランクらの歌をよく歌っていた。

アールズコートのトルバドールで演奏していたサンディは、ストローブスのデイヴ・カズンズに声を掛けられ、ストローブスに参加することになる。デイヴ・カズンズは、当時の彼女を今まで聴いたことのない最高の歌声、天使のように歌っていた、などと回想して語った。そのときのサンディはスツールに腰掛け、古いマーチンのギターを弾き、白いドレス、白い麦藁帽子を纏って歌っていたそうだ。サンディのアパートでリハーサルを重ねたストローブスは、フェリーに乗ってデンマークへとアルバム作りのために旅立った。レコーディングは一週間ほどで終わったが、その後リリースをしてくれるレーベルを探すまでには何年もの時間がかかってしまった。結局この作品が陽の目を見るのは、5年後の1973年にホールマークというマイナー・レーベルからリリースされるときまで待たなければならなかった。

一方同時期に活動していたフェアポート・コンヴェンションは1967年にファースト・アルバムを制作。翌1968年に発表された同作品はバーズバッファロー・スプリングフィールドなどの影響が随所に見られるもので、米国のフォーク・ロックに多大な影響を受けた作品だった。ストローブスを辞めたサンディはこのフェアポート・コンヴェンションに参加。後にキング・クリムゾンへと発展するジャイルズ・ジャイルズ&フリップに加わるために辞めたジュディ・ダイブルに替わっての参加だった。そこからサンディフェアポートと一緒に名作を作り、一躍イギリスを代表する女性シンガーへと成長していくのだった。

フェアポート・コンヴェンションフォザリンゲイ〜ソロ活動〜フェアポート再参加を経て、再びソロへと、常にフェアポート周辺で活動をすることが多かったサンディ・デニーは、ソングライターとしても名曲を遺し、シンガーとしても高い人気を誇ったが、1978年4月21日、転落事故で亡くなってしまった。

サンディ・デニーの死後、彼女の歌声を愛するファンからその死を悼む声は多く聞かれることになり、現在までに再発も盛んに行われている。英トラッド・ファン好みの高音部に特徴のある表現の手法を持ちつつも、落ち着いた「お母さん声」ともいうべき質感を持っているサンディ・デニーの歌声は何とも形容し難い癒しをリスナーに与えてくれる。サンディ・デニーは英フォーク〜トラッド系という狭い枠やコアなリスナー層を越えて、ぜひ多くのリスナーに聴かれるべき素晴らしいシンガーであり、その歌声にはおそらく後世まで語り継がれるだろう永遠の魅力がある。

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